twitter、pixiv再録
※893パロ






右隣から叫びに近い怒声と何かを打ち付けるような音が聞こえてきて思わずPCのキーボードを打つ手を止めた。
これってやっぱり事故物件のうちに入るのかなあ、なんて俯瞰的に考えてしまうくらいにはこの異常は私にとってすっかり日常の一部になってしまっていた。

木造二階建てアパート、築四十五年、1LDK。敷金礼金なしで家賃が管理費込二万円。

内見もまだだというのに不動産屋でこの文面を見た瞬間、私の中で此処を住居にする事は殆ど決定していた。雨風が凌げて眠れるのならどんなに不便な間取りであろうと構わない。
大学進学を機に田舎から上京してきた私は実家からの仕送りは望めない為収入はアルバイトのみ、学費は奨学金で賄うという中々シビアな新生活をスタートさせようとしていた。都会の生活水準は高い。兎に角慎ましやかに暮らす事が生き抜く為の最低条件だった。
そんな逼迫した経済状況の中で提示された家賃二万円物件はこれ以上ないくらい魅力的に映った。しかしこのご時世こんなに上手い話が転がっている訳もなく、私が目をキラキラとさせる中担当してくれた方は周りを気にしながら声を潜めて「仕事上こんな事を言うべきでないのですが、この物件はお客様のような方には個人的にオススメしたくないのが正直なところです。お節介かもしれませんが自分の娘が此処に住むと言ったら私は何が何でも反対します」とまで業界のプロに言わしめた曰く付き物件だった。

自殺他殺病死天災、そのどれにも当て嵌まらない珍しいタイプの事故物件。公に出来ないお仕事をする人たち──所謂反社の人間が頻繁に出入りするアパート。住人も世話になる側としてソッチと繋がりのある訳ありが多いというややこしい物件だった。
イマドキそんな危ない物件を事故物件としてでも販売する不動産屋があるのかと是非含めそれはそれで問題だろうと思ったのだが、この不動産屋も地域密着型の個人経営、もしかしたら訳ありの人たちへの住居の斡旋もしているのかもしれない。──未成年で学生という身分の私に対して親身に忠告してくれた辺り悪い業者ではないのだろうが。
確かにこれなら家賃二万円にもなるか、と一人納得した。非常に言いにくそうにコッソリ教えてもらった内容を聞いても、私の意思は変わらなかった。
私はただ格安の住居を求めていただけで、ソッチの業界の人たちとは自分含め親も親戚も繋がりは一切ない。だから此処に住んでもそんな危ない人たちと関わる事はないだろうという不思議な自信があった。確かに経済状況は芳しくはないが、闇金に手を染める程私も愚かではない。その前にバイトを増やすなり親に掛け合ってみるなり、最悪大学を中退して実家に帰る。
何度も念押しされながらも、結局その日に内見をして私は当初の意思を曲げずに即日契約をしたのだった。

実際、住んで一年が過ぎたがトラブルに巻き込まれた事は一度もない。──そういう人を見た事も。けれど、訳あり物件の烙印を押されてしまう程度の今日みたいな出来事は割と頻繁にあったのも事実だ。昼夜問わずアパートのどこからか聞こえてくる口論、そして時には轟音──例えば誰かが殴られたような、ドアや外壁に何かが打ち付けられるような──や哭声が薄い壁を伝って耳に入ってくるものだからそれは確かに恐ろしいと感じた。まあそれももう過去の事、人間は良くも悪くも順応性のある生き物だ。半年もすればすっかり慣れてしまった。
どうしても気が散る時はヘッドフォンをして爆音で音楽を聴いたり、耳栓をしてしまえば安眠するにも問題はない。週末期限のレポート課題を絶賛やっつけ中だった私はいつものようにテーブルの上に転がる愛用の耳栓を手に取った。外部からの音を意図的に遮断してしまえば何も怖くはない。しかし今日に限ってはそうもいかなかった。
大袈裟かもしれないが私は今日生まれて初めて“死”というものに直面したと感じた。

「おっ邪魔しま〜す」

何が起こったのか、一瞬解らなかった。バキバキと木材が無理矢理剥がされた音がして、玄関のドアが金具ごと室内に倒れ込んできた。唖然としながらも、この轟音は私がこの一年ちょっとでよく聞いた音だった事を思い出した。そうか、あれはドアが蹴破られた音だったのかと目視できる土埃が空中に舞っているのを追いかけながら思った。
築年数それなりのこの物件はオートロックなんてものはなく、玄関のドアにはチェーンすらない。それでも人が蹴ってどうこう出来るような造りはしていない筈、だったのだけど──蹴り飛ばしたドアの上を黒塗りの靴が容赦なく踏み一人の男が土足で入ってきた。ひゅ、と息を呑み私は瞬きすら忘れて突然現れた大柄な男に目線が釘付けになった。
動く度に揺れる柔らかな白髪、丸いサングラスで瞳は隠されてしまっていたが通った鼻筋と輪郭から浮世離れした造形の持ち主である事が窺えた。真っ黒なスラックスに派手な柄のシャツ、だらしなく開けられたシャツの隙間から覗いた刺青を目視した瞬間、ぶわっと汗がふき出した。ヤクザが我が家に乗り込んで来た事に身に覚えなど全くない。けれど、ソッチの人と対峙しているという事実だけで恐れる理由としては十分だった。

「アレ、君ひとり?」

こてん、と傾げられた首が困ったなあという雰囲気を醸し出した。ひとりも何も、此処は私しか住んでいませんが。スパッと言い返せたらどんなに良かっただろう。生憎とそこまで命知らずではない。懐っこい話し方なのに、やっている事はこの上なくエグい。彼の背景と化している破壊されたドアに溜息も出ない。
お気に入りだった真っ白いラグは土埃を被って一部が薄灰色になっていた。それを踏みつける先の尖がった靴をぼんやりと見ていると視線に気づいたらしい男が「あ、ごめんね〜」とワザとらしく言って靴を脱いだ。
溌剌とした声に悪気は毛ほども籠められていないのが手に取るように分かる。出来れば脱がずにそのまま退散して欲しかったのが本音だけれど、これも音にする勇気はなかった。

「うわあ、文字がいっぱいじゃん。忙しいとこ来ちゃってなんか悪いね」

ズカズカと入ってきて私のすぐ近くに腰を下ろした男からふんわりと甘い匂いがした。
開きっ放しだったPCを許可もなく覗き込んで字の多さに少しだけ端正な顔が顰められ、大きな手が無造作にそれをぱたんと閉じた。そしてその手が近くにあった昼食代わりに焼いたスコーンに伸び、声を上げる間もなく男の口の中に攫われてしまった。
リスのように口いっぱいに頬張る傍若無人な態度にも私はただ呼吸をするので精いっぱい、汗の滲んだ手のひらを膝の上でお行儀よく握る。この人の行動がまったく予測出来なくて声一つ満足に発せなかった。ヤクザの行動パターンなんて、私は知らない。だから何がこの人の引き金になってしまうか解らず大袈裟かもしれないが許可もなく声を出したら殺されてしまうのでは、と割と本気で怯えていた。
ごくりと喉が鳴ってスコーンを咀嚼し終えた男が私に向かってにこりと笑みを作った。

「ご馳走サマ。…さてと、ちょっとこれ見せてね」

「…あ、っ」

机の上に置いてある折り畳み財布を手に取って、許可もなく目の前でそれを開けられてしまった。そして引き抜かれた一枚のカードを見て血の気が引いていく。「…ああ、君あそこの学生サンね」紛れもなく、それは私の学生証だった。

「苗字名前ちゃん。カワイイ名前だね」

形の良い唇が甘ったるく紡いだその名前は、全く正反対の感情を私に植え付ける。
閉じられたPCの上にこれ見よがしに置かれた財布と学生証。長い指先が垢抜けない顔をして映る私の顔部分をトン、と突いた。ぞわ、と全身が粟立っている。見えない刃物を心臓に突き立てられている気分だった。生きた心地がちっともしない。

「僕もさぁ、こう見えて今の君みたいに忙しいんだよね。忙しい者同士、仲間ってヤツ?その誼みで教えて欲しいんだけど──」

学生証に触れていた手が突然私の頬に触れた。予期せぬ他人の体温にびくりと大きく身体を震わせると間近でククッと笑い声がした。──知らないうちにこんなに接近されていたなんて。するりと頬を撫でそれは首筋でぴたりと動きを止めた。
「ホラ、会話するときはちゃあんと相手の目を見ないと。ね?」冷水を頭から浴びせられたみたいだった。覗き込んできた顔を見て私は息を詰まらせる。唇は変わらず弧を描いたままなのに、瞳はまったく笑っていない。サングラスの隙間から見えた瞳は澄み切った海のように綺麗なのに、確かな冷徹さを孕んでいて唯々恐ろしかった。その目を見て、私はこの人の匙加減次第でただでは済まないのだと漠然と思い知り、震えた。
「ごめ…、なさい」やっと絞り出した言葉は言い訳の仕様がないくらい明らかな怯えを孕んでいた。全身を恐怖と緊張で支配された私は泣き叫ぶ事も出来ず、これ以上状況を悪化させない事だけを考え必死で男を見上げた。

「うん。素直な子、僕は好きだよ。──それで、本題なんだけど」

「は、い」

「ヨシムラっていつ戻ってくるか知ってる?」

「………え?」

何を聞かれるのかと思えば、男の口から飛び出した知らない苗字に私は戸惑いを隠せなかった。思わず聞き返してしまった事で未だぴったりと首筋に宛がわれている手に絞め殺される嫌な想像が脳裏を過ったが幸いにも実行はされなかった。

「し、知らない、です」

「…ホントに?」

「ほんとう、です」

「そっかぁ。実は君の彼氏にね、僕たちお金を貸しててさぁ、借りたものって返すのが当たり前だよね?でも、返すって約束した日過ぎてんのに返してくんないの。だから困ってんだよね〜」

どうやらこの人は私の「知らない」を“いつ帰ってくるのか知らない”という意味で捉えているようだった。ぺらぺらと流暢に事情を話されてもそれが私と何の関係があるのか不明瞭なままだ。
「彼氏…」と困惑した様子で唯一引っ掛かりを覚えた単語を呟くと、きょとんと綺麗な瞳が丸みを帯びる。
困っている、という点に関しては私も彼と同じ気持ちだった。

「私、彼氏いないです」

「え?純情そうな顔して付き合ってないの?じゃあ何、セフレ?写真見たけどあんなののドコがいいの、やっぱテクニック?ま、僕の方が色々と上だろうけど何なら試してみる?」

捲し立てるように放たれた疑問符付きの言葉は何一つ私の中に留まらなかった。
愈々相手が何が言いたくて私に何を求めているのか分からない。兎に角、この人は私を誰かと勘違いしているというのだけはこの要領を得ない会話で理解した。問題は、この誤解をどうやって穏便に解くかという事だ。

「私の知り合いにヨシムラさんという方は居ませんし、お、お兄さん、にご迷惑を掛けた覚えもないのですが…」

「…マジ?庇ってるとかじゃなくて?」

「ほ、本当に知らない人です。…その、私一人暮らしですし」

「嘘は吐いてないみたいだけど、うーん」やっと首筋から手を離してくれた男が顎に手を当てて独り言を零した。けれど疑いが晴れたようには見えないのでまだ安心は出来ない。ちゃんと無関係だと解ってもらわないと、このままでは風俗に売り飛ばされそうで怖い。後は殺されて海か山か、見つかりにくい場所に棄てられるか。ドラマの見過ぎかもしれないが、私の中でヤクザのイメージとは大体こんな感じだ。嗚呼、想像しただけでゾッとする。どちらに転んでも私に明るい未来はない。何かを考えながら男の形跡を探すように部屋のあちこちに向けられる視線に居心地の悪さを感じる。
その時だった。「悟?」と第三者の声が玄関の方から聞こえた。「あ、傑」間の抜けた声がその声に応えた事で、私の中に新たな恐怖対象が追加された。──お仲間が来てしまった。ガクガク震えている私なんて其方退けで呆れたような声が悟と呼ばれた男を窘めた。

「遅刻も十分タチが悪いけど、それに加えて私に仕事押し付けてこんなところでサボるなよ」

「遅刻したのは傑の方じゃん?だって僕オマエより早くココ着いたし」

「…確認の為に一応言うけど私たちが今日用があったのは隣の部屋だよ、此処じゃない」

「………マジ?」

「マジ」

ぽかん、とした表情のまま彼がゆっくりと私の方に顔ごと視線を向けた。仄かに漂っていた殺気が消えた凪いだ瞳を見て緊張の糸がぷつりと切れた音がした。ぽろぽろと一気に零れ落ちる大量の涙を見て大の男二人がギョッとしたように目を見開いたのが滲む視界の中でも解った。
「悟、その子に何したんだい」「あー…」バツが悪そうに頬を掻いて出しっぱなしの学生証が男の手によって伏せられた。そんな配慮をされたところで今更何の意味もない。

「てっきり庇ってんだと思って、軽〜くお話を」

「…馬鹿」

男の体重に耐え切れなかったのか、半壊したドアからバキッと可哀想な悲鳴が聞こえた。明日からどうしよう。ドアの歪み具合にもよるけど蝶番だけつけ直せば取り敢えず凌げるかな。
さめざめと泣きながら今後を悲観していると私の耳に小さな呻き声が届いた。そこで漸く、傑と呼ばれた男が何かを片手で引き摺っている事に気が付いた。
「ひっ…!」それは、紛れもなく人間だった。肩まである濡れ鴉のような髪をハーフアップに纏め、黒いスーツを身に纏ったその男は柔和な笑みを崩さずに私の視線の先に気付いてこの緊迫した空気に不釣り合いな程明るい声を出した。

「ああ、見苦しいものを見せてしまったね」

「よ、しだ、さん…?」

右半分の顔がパンパンに腫れていて切れた唇には乾いた血がこびり付いていたけど、その人は間違いなくお隣さんだった。気さくな人で、顔を合わせると挨拶くらいは交わす仲だったので間違えようがない。

「ヨシダ?そいつヨシムラって名前じゃなかったっけ?」

「吉田でも吉村でもどっちでもいいよ。臓器に個人名は必要ないからね」

「だ、ずけ…ッ」

臓器、このひと今臓器って言った。聞かなかった事にしようと言われた言葉を頭の隅に追いやろうと努めていると、吉田さんの絞り出すような嗄れ声に反応するより早く傑と呼ばれた男が地面にその顔を容赦なく叩きつけた。その大きな音と痙攣する身体、引き上げられた顔──鼻から滴り落ちた鮮血を見て心臓が止まりそうになった。
ぐず、と鼻を啜りながらあまりの恐怖に震える指先が縋るように無意識に何かを掴んだ。それが悟と呼ばれた男のシャツであると気付いた時にはその手は大きな手に優しく包み込まれてしまっていて離す事は出来なかった。確かに心細くて切羽詰まっていたが、恐怖の元凶に縋り付くなんてどうかしている。
嗚咽を漏らして俯いた私の顔に柔らかい何かが押し当てられた。ふんわりと香った芳香剤にぱちりと目を瞬かせる。

「怖がらせちゃってごめんね?でも、僕たち君には危害を加える気ないから泣き止んでくれると有難いんだけどなあ」

押し当てられたハンカチを反射的に触れるとそれを見計らって離れた手が今度は吃逆上げて震える背を優しく撫でた。完全に無関係の人間を巻き込んでしまったという罪滅ぼしなのか、あまりの豹変っぷりに驚いて涙が止まってしまった。
貸してもらった黒いハンカチに惜しみなく涙を染み込ませてそれを離すとクリアになった視界に入り込んできた某有名ブランドのモノグラムに今度は呼吸が止まりかけた。田舎出身の貧乏苦学生の私でも知っている、そのデザイン。友だちが誕生日プレゼントに彼氏に贈ろうかな、と呟きながら雑誌に丸をつけていた候補の一つがこのブランドのハンカチだった。なんで覚えているのかと言えば、そのハンカチの価格が私の一ヶ月分のアルバイトのお給料に相当するものだったから。──どうしよう、そんな高価なもので顔を拭いてしまった。多分鼻水も付いている。誤解は解けたけど今度はハンカチを汚したって理由で売り飛ばされるかもしれない。
再び目に涙を溜めた私を見て、何を勘違いしたのか「ホラ、もうあのゴミはここから見えないとこに傑が置いてくれたし、大丈夫だよ」と今度は頭を撫でられた。
「悟が迷惑を掛けてすまないね」いつの間に上がり込んだのか、テーブルを挟んだ目の前に胡坐を掻いて座ったその人はスーツのポケットから分厚い茶封筒を取り出してPCの上にそれを置いた。

「これ、ドアの修理代。迷惑料も入っているから返す必要も遠慮する事もないからね」

その言葉で茶封筒の中身を察してしまい、ハンカチを握り潰すように掴んで顔を引き攣らせる。ヤクザのお金なんて怖くて受け取れる訳がない。彼らに関わったのは今日が初めてだけど見た限りでは収入源は相当ヤバイ。

「うけ、取れません」

こんな曰く付きの血塗られた現金を貰ってはいけない。お金なんて要らないから今すぐ出て行って欲しいというのが私の切な願いだった。
三白眼が私、そして部屋の中をゆっくりと行き来してふう、と小さな吐息が漏らされる。

「お節介かもしれないけど、君のような“良い子”はこんなところに住むべきじゃないと思うよ。今後似たような事に絶対に巻き込まれない保証もない。何せ此処はそういう物件だからね。若いんだしきちんとオートロックの付いた家に引っ越す事をお勧めするよ」

「それは…今日のこの件で身に染みました。引っ越しは前向きに検討します。でも、やっぱりこんな大金貰えません」

「名前って泣いてるだけのビビリかと思いきや、結構強情なんだねえ」

ウケる、全然引かないじゃん。ぷは、と吹き出した男が新しいオモチャでも見つけた子どもみたいに目を輝かせて私を見た。びくりと肩を震わせて距離を取ろうとした私のうなじを押さえ「じゃあさ」とにんまりと悪い事を企む顔が美しく歪んだ。

「僕が所有するマンションの一室、名前にあげるよ。オートロックだし最寄り駅は同じだから大学にも問題なく通えるよ。今回のお詫びのシルシって事で家賃はタダ。どう、良い話でしょ?」

「お気遣いは結構です、本当に…」

ふーん、と抑揚のない声が不穏な色を纏った。ゆらりと揺れたサングラスの奥の瞳の野蛮さに喉元を締め付けるような息苦しさを覚える。生きた心地がしないと思ったのはこれで何度目だろう。目の前の前髪が特徴的な彼は片肘をついてにこにこと私たちのやりとりを静観しているだけで助けてくれる様子は微塵もない。

「現金はイヤっていうから提案してあげたのに、そんなつれない態度取られると傷つくんだけど」

「……っ」

「ねえ、僕は素直な子が好きだよ」

「や、だ……っ」思わず漏れた本音が二人の耳に届いてしまった。ハッと息を呑んだ時には既に取返しが付かなかった。「そ、じゃあオマエの意見聞くのは止めね」鳩尾辺りに衝撃が走って、内臓を圧し潰すような痛みに呼吸が止まり視界が揺れた。呻き声ひとつ上げられずにぐらりと自らの意思に反して力の抜けた身体は彼の腕一本で支えられた。
「かわいそうに」薄れゆく意識の中、そんな気持ちなんてちっとも含まれていない声色が私の腹に一発入れた男を軽く窘める。

「ここまで譲歩したのに頷かないこの子にも非はあるでしょ」

「さあ、どうだろうね。──悟、その子飼うの?」

「うん。顔は悪くないしちょっと面白そうだからね。期間は決めてないけど取り敢えず飽きるまで」

「あんまり乱暴に扱ったら駄目だよ、いざという時商品にならなくなる」

「傑の方が僕の何倍もタチが悪い」

次に目が覚めた時、私は自分の身に降りかかる数々の不幸を享受しなければならないのだろう。確かな絶望が鈍痛と共に全身を蝕んでいく。
眠ってしまえとでも言いたげに、乱れた髪を節くれ立った指がするりと梳く。のんびりと交わされる理不尽極まりない会話を最後に、私の意識は完全に途絶えた。
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