疲労困憊。今の私の状態を表すのならこの一言に尽きる。個人的には久しぶりにしんどい任務だった。
結界術は反転術式と同じで緻密な呪力のコントロールが必要、向き不向きが両極端に分かれるものだ。幸いにも私は前者で、それこそ血反吐をはくような日々の訓練がきちんと成果へと反映され、術師の中ではまあまあ、ギリギリ重宝される部類に入る。──私の同期は文句なしの粒揃いと評価されている人たちなので彼らに比べたら私など毛の生えた程度のものなのだけれど。
結界をゼロから構築するには呪力のコントロールと同等の集中力が不可欠だ。呪力という名の糸を弛みなく編み込み強度を上げながら蟻一匹入り込む隙間すら作らないようイメージを脳内に行き渡らせ、瞬時に具現化しなければならない。それが如何に疲弊する事なのか、「結界を張れ」と安易に口にしてくる人間に私は声を大にして「くたばれ」と文句を言ってやりたい。

今回の任務は一級呪霊の祓除。場所は京都。
宛がわれたのはまだ学生の身でありながら最強として各所にその名を馳せつつある五条くんと夏油くん、そして私。この二人が居れば十分事足りる任務内容ではあるが、現場の周囲には歴史的建造物が多く、管理者側から建物を損壊しないようくれぐれも気を配って欲しいと懇願されたようで私が引っ張り出されたという訳だった。
五条くんも夏油くんも「祓う」には向いていても「守る」事には向いていない。特に五条くんの術式は広範囲には効果的だが逆に複数の建物が乱立するような狭い場所は不得手、どんなに呪力を最小限に抑えても如何せん元々のポテンシャルが高すぎるので建物どころか地形の維持すら怪しい部分がある。まったくどこまでも規格外だ。
任務自体は最強コンビのお陰で最短で終わったが、それでも私の呪力は風前の灯火、余裕綽々で欠伸をする五条くんと顔色一つ変えずに軽く息を吐いて腕を組んだ夏油くんを目の前に私は情けなくも両膝を着いて息を大きく乱していた。

「ダッセー。こんなんでへばんなよ」

「大丈夫かい?」

二人の反応は対照的だった。
小指を耳に突っ込みながらべぇっと舌を出す五条くんが私の目線に合わせてしゃがんでくれた夏油くん越しに見えた。心配そうに眉を下げそっと手を差し出してくれた彼の手を御礼を言って有難く取り、力なく立ち上がる。
私としては嘔吐しなくなっただけ随分成長したように思うのだが、最強且つ才能マンの五条くんからしたら私なんてまだまだ雑魚の域を出ないのだろう。

「名前の術式は相変わらず凄いね。建物に傷一つない。居てくれて助かったよ」

「あ、ありがとう」

心身共に疲れ切っている身体に夏油くんの言葉は末端まで染み渡った。そもそも日常において第三者から面と向かって褒められる事など滅多にないのだ、しかも相手は特級目前の将来有望株。嬉しくない訳がない。
「うう〜!優しい…すき」繋がれたままの手を緩く握り返しながらおよよ、と感涙の言葉を思わず呟くとそれを聞いた三白眼がカッと見開かれた。それを見て真面目に褒めてくれたのに冗談が過ぎたかと即座に罪悪感が過ったが、訂正する間もなく鋭い手刀が私と夏油くんの繋がれた手に振り下ろされ「何ナメた事言ってんだよ」とおどろおどろしい声が真上から降ってきた。夏油くんと違って五条くんは任務内外問わず手厳しい。──否、口の悪さは置いておいて大抵の内容はぐうの音も出ない程的を射ているので反論の余地などないのだけれど。
額を軽く弾かれて思わず唸る。随分手加減はしてくれているのだろうが、それでも今の私には効果抜群だ。

「強度はまあまあだけど持続時間が短ぇ。もっと気張れよ」

「仰る通りデス」

こら悟、と窘めてくれている夏油くんを横目にポケットから取り出した眼鏡を装着する。一見視界に変化はないが、この伊達眼鏡を掛けていれば呪霊は視えない。私は五条くんのように特殊な目を持っていないし、そもそもサングラスが果てしなく似合わないので一般人から見ても違和感のないように特殊加工を施してある伊達眼鏡を普段は着用している。
ふあ、と込み上げてきた欠伸を噛み殺し、ぼんやりとする視界に目を擦っているとその腕が掴まれた。「五条くん?」「動くな」何もない空間がぐにゃりと歪んでいるのを見て背筋に冷たいものが走った。異変を指摘されるまで気配を察知出来なかったのは不覚という他ない。
いつでも使役している呪霊が出せるように隣に立って身構えた夏油くん含め、私たちは次の瞬間碌な抵抗も出来ずに“それ”に飲み込まれた。



***



「い、痛い…」

「何処だここ──ってか何だよコレ」

大きな舌打ちを一つ零してそうぼやいた五条くんの隣で私は情けなく尻餅をついていた。大丈夫、と声を掛けようとしてくれたまま不自然に言葉を途切れさせた夏油くんの様子から私もその違和感に気が付いた。
ジャラ、と強打した腰を押さえようと動かした手から何かを引き摺ったような音がした。「え」と濁点の付いた短音を吐き出して私は目を瞬かせる。私の両手首には重厚感のある手枷が嵌められていた。それは五条くんたちも同じで、私の右手首の鎖の先は五条くんの左手首、左手首の先は夏油くんの右手首に繋がっていた。因みに五条くんと夏油くんの片手はそれぞれ自由なままだった。突然の事に流石の五条くんですら手枷を見下ろしたまま言葉を失っている。
ほんの数秒前まで屋外に居た筈の私たちは何もない真っ白い部屋に閉じ込められていた。視界いっぱいに広がる眩しいくらいの明るい白に浮かび上がる私たちの高専の制服の黒だけが異質なものに見えた。
自由な右手の拳を握り締め、ギリ、と五条くんは苦々しげに歯を食い縛った。

「術式が使えねぇ」

「え」

「悟もかい?」

うーんと小さく唸りながら零した夏油くんの言葉を聞いて漸く私はマズイんじゃないかと焦り出した。隙間なく嵌められた手枷と太い鎖は工具でも使わない限りどうにか出来る代物ではない。素手では絶対に無理だ。けれど五条くんの術式なら鎖を捩じ切る事くらい…なんて他力本願な期待を寄せていた事を見破られた気分だった。
五条くんの長い脚が壁を蹴るが傷一つついていない。半ば呆然としながら取り敢えず立ち上がった私は顎に手を当てて考え事をしている夏油くんに問いかけた。

「呪霊がまだ残っていた…?」

「私たちが気付かない筈はないけど、可能性としては考えられるね。これが特殊な条件下で発動するタイプの術式なのか未完成の領域内なのか不確定要素が多すぎて現時点では判断が出来ないんだけど」

「…取り敢えずアレぶっ壊すぞ」

「あれ?」

五条くんの視線の先にはドアがあった。壁と同化しかかっていて全然気づかなかった。鎖で繋がれているので三人で仲良くドアに近寄る。しかしドアに埋め込まれた横長プレートの文字が目に入って、私の思考は再び停止した。ひくりと口の端が引き攣る。殆ど同時に足を止めた二人もそれを読んだに違いない。

「ふっざけんな!ナメやがって」

「………」

「………」

ガンッと勢いに任せて激昂した五条くんがドアを蹴り上げたがそれはビクともしなかった。私と夏油くんは絶句したままだ。


【異性同士キスをし合ったら出られます】


マジか、と夏油くんの口から珍しく俗な言葉が発せられた。それくらい彼にとって予想だにしない衝撃的な展開だったのだろう。まったく顔に出さないから気付かなかったが夏油くんは夏油くんで動揺していたんだと思うと少しだけ安心した。私だけがこの展開についていけていない訳ではなかった。

此処に閉じ込められたのが三人一緒だったのは僥倖だった。もし閉じ込められたのが私一人だったら、この最強コンビだけだったら提示された条件をクリアする事は不可能で、下手をしたら一生出られなかったかもしれない。そう、私たちはこの得体の知れない部屋から絶対に出られるのだ。──私が二人とキスさえし合えば。それを再認識した瞬間、心臓がひと際ドクドクと二人に聞こえてしまうんじゃないかと思うくらい大きく脈打った。
五条くんと夏油くんの物言いたげな視線が私に向けられた。そのタイミングが面白いくらいに一緒だったので流石親友、と場にそぐわない茶化した考えが過るが“それ”から現実逃避しても現状打つ手なしなので諦めて私は努めて平静を装って言葉を発した。

「しよっか」

「「………は?」」

随分と不穏な聞き返し方だった。明け透けな言い方が悪かったのか、二人の目が若干据わっている。これは任務、仕方のない状況なのだから仕方がないと呪文のように何度も心の中で復唱しながら勇気を出して発した言葉だけに、二人のこの態度には若干傷ついた。
「ご、ごめん…私なんかとするの嫌だろうけど、その」言い終わる前に勢いよく五条くんに両肩を掴まれた。ズレた丸いサングラスから覗く涼しげな瞳はこれでもかと見開かれている。

「嫌だとは言ってない、一言も」

「えっ、あっうん」

美人の無表情は言い表せないくらいの凄みがある。しかも瞳孔が開いているので余計に怖い。言い聞かせるようにゆっくりと紡がれたそれにどう返すべきか悩んだが、返事をしないとそのまま揺さぶられそうだったので取り敢えずしどろもどろに肯定すると今度は夏油くんが心配そうな顔で私に問いかけた。

「名前こそ私たちとキスするの、嫌じゃないのかい?」

「──嫌じゃ、ないよ」

ぽつりとそう返すと夏油くんの三白眼が五条くんの瞳と同じくらい見開かれた。驚きで黒目が丸くなっている。夏油くんは五条くんが相手でなければ基本的に冷静沈着、滅多な事では表情を崩さないので私に対して不意を突かれたって顔をするのはとても珍しい。

「多分、この条件をクリアしない限りは本当に出られないんだと思う。だから仕方ないと思ってる」

「………」

「もし此処に閉じ込められたのが五条くんと夏油くん以外だったら、腹を括るまでにもっと時間が掛かったと思うし、怖いって気持ちは消えなかったかもしれない」

「オマエ…」

「でも二人なら嫌じゃないよ。…緊張はする、けど」

ぐっと握った手を包み込むように夏油くんの大きな手が優しく握ってくれて、恥ずかしくて俯いた頭を五条くんがぶっきらぼうに撫でてくれた。一応同い年なんだけど、これではまるで子どもみたいだ。別の意味で恥ずかしくなってきた。
「で、どーすんの。ジャンケン?」ジャンケン?と不思議に思って私は顔を上げる。それは夏油くんへの言葉だったようだ。
ジャンケンで順番を決めるのか…経験豊富な二人はキス程度じゃ動じないんだな。私の勝手な妄想なので実際どうなのか聞いた事はないのだけれど。
少し考える素振りを見せた後、夏油くんはニコッと柔和な笑みを浮かべて半歩後退し、壁に寄りかかった。

「お先にどうぞ」

「…やっぱナシはナシだかんな」

「もちろん」

どうやらまず最初に五条くんとキスをする事になったようだった。ぞわぞわと身体の内側がなんだがむず痒くて落ち着かない。身体の節々に必要以上に力が入っているから、相当緊張しているみたいだった。この緊張は、呪霊を前にして感じるものとは全くの別物だ。
「名前」ひえ、と変な声を上げて五条くんを見上げると問答無用で掛けていた眼鏡のブリッジに指が触れ引き抜かれた。自身のサングラスも外しながら「邪魔だろ、これあると」と呟かれた言葉の意味を理解して顔が熱くなる。
私の眼鏡もサングラスと一緒に五条くんのポケットにしまわれてしまい、彼が一歩前に出ただけでその圧倒的な身長差に気圧され反射的に一歩下がった。ぴくりと不満そうに眉間が動き、また一歩五条くんの長い脚が距離を確実に殺しにきた。

「悟、顔が怖いよ」

「うっせ」

ふふ、と壁に寄りかかって腕を組みながらのんびりと言った夏油くんは何故か愉しそうだった。「げ、夏油くん」と半分非難、半分助けを乞いたくてその名を呼ぶとそれを遮るように私の真横に手が置かれた。
その行為でこれ以上下がるスペースがないのだと知る。

「余所見してんじゃねーよ」

「ご、ごめん」

「で、どっちからすんの?俺はどっちでもいいけど」

どっち、どっちって…どっちだ。この緊迫した空気と目の前で余裕そうな表情を張り付けた顔の良い同級生の存在で頭はパンク寸前。未知の世界過ぎて、まだ何もしていないというのに呼吸するだけで精一杯の状態だった。なので「した事ない、から、わ、わかんない」と声を震わせて見当違い且つカミングアウトしなくて良い事を口走ってしまったとハッとした時には既に音となって五条くんの耳に届いてしまっていたので慌てたところで取り消しの仕様がなかった。
「…わかった」と真顔でそれに答えた五条くんが何だか怖い。面倒くさい女だと思われている。間違っていないからこそ居た堪れない。キスって一体どんな顔で待てば、すればいいんだろう。最早自分が今どんな顔をしているのかさえ解らない。

「五条くん…」

「名前。顔、上げて」

いつもより数段優しげな声のトーンに体温が上昇していく。怒られるよりずっと良いが、これはこれで調子が狂う。
頬に感じる熱は自覚しているからこそ、恥ずかしくて中々顔を上げられない。それを見兼ねた五条くんの両手がそっと頬を包み込んで優しく持ち上げた。
白雪のような長い睫毛に縁取られたアイスブルーの瞳が揺蕩う。不思議とそれを見つめていると不安や恐怖心が消え、緊張が少しずつ和らいでいった。
ふ、と小さく息を吐くとそれを合図にゆっくりと整った顔が近付いて来る。大人しく目を閉じ、触れるまであと少しというところである事に気が付いた私はカッと勢いよく目を開けた。

「あっ!」

「あ"?」

ふに、と手のひらに五条くんの唇が触れる。ムードをぶち壊した挙句口を私の手で覆われ行為を妨害された事への不満が低い短音ひとつで表され、そのご尊顔には青筋が浮かんでいる。結構本気で怒っていらっしゃる。ごくりと生唾を飲んで、私は恐る恐る口を開いた。

「今更なんだけど、キスって口じゃないとダメなのかな?」

「………」

「あ、いや、抜け道というか。場所は指定されていないから、例えば手とか頬でも良いんじゃないかなって。ちょうど今五条くんの口が手に触れたし、試してみる価値は──」

「却下」

「ええー?!」

「名前ってぼんやりしているようで意外と鋭いところあるよね」夏油くんがぽつりと漏らした言葉は自身が発した叫び声に紛れてしまい私の耳に入る事はなかった。
私の手を掴んだ五条くんが「マジで今更。いい加減腹括れ」と怖い顔で凄んだ。いつまでも閉じ込められたままでいる訳にもいかないし、確実な方法はやっぱり口だ。
話はおしまいと私の手を壁に押し付けて、逃げないように顎を掴み今度は目を閉じる間もなく唇を塞がれた。触れるだけでは終わらず僅かに角度を変えて啄むように唇を甘噛みされると身体が震えた。その感覚が恐ろしく思えてぎゅっと目を閉じると手首を壁に押さえつけている力が緩み、恋人繋ぎへと変わった。絡み合うそれを僅かな力で握り返すとぐっと五条くんの大きな身体が潰れない程度に密着してきた。この距離では心臓の音が聞こえてしまうのではと不安が過ぎるが、退路は疾っくに断たれているのでどうする事も出来ない。
てっきり口同士を合わせて終わりだと思っていたのに、私の中でのキスの概念がガラガラと音を立てて崩れ去る。完全に主導権は五条くん、私はただ、金縛りに遭ったかのようにぴくりとも動かずされるがままだ。
ちゅ、と時折漏れる可愛らしいリップ音と共にやって来る激しい羞恥心の波に呑まれないよう必死だった。どのくらいそうしていたか、五条くんの「は、っ」という呼吸音を最後に解放された私は酸素を求める魚のように口を開閉させ熱っぽい瞳をこちらに向ける彼の姿に息を詰める。

「次、オマエだけど」

「は、はい」

背筋を正し私の身長に合わせて腰を折ってくれた五条くんに震える手を差し出して、透明感のある色白の頬に添える。手のひらに感じる滑らかなそれは目を瞠る程うつくしく儚げなつくりをしていた。同じ人間なのに、こうも違うものなのか。
背伸びをして顔を近づけながら、ゆっくりと瞳を閉じる。先程の五条くんとのそれを思い出しながら再び、今度は自分から触れた唇の柔い感覚に胸の奥が熱くなった。
キスをしたのは今さっきの一度きりという経験不足も甚だしいド素人の私は五条くんのようにスマートに出来る訳もなく自分がされたように角度を変える為に唇を離そうとしてうっかり舌先が五条くんの唇を掠めてしまった。その瞬間、ガッと両肩を掴まれ密着していた身体に隙間が生じた。

「え、あっ、ごめん。私なにか粗相をしちゃった?」

「おっまえさぁ!!」

わなわなと唇を震わせた五条くんの目元が薄っすらと赤く色付いていた。状況が飲み込めずぱちくりと瞬きをした私の腰に夏油くんの腕が回された。「頑張ったね」耳元に感じる吐息に肩が跳ねた。
五条くんといい夏油くんといい、この声の良さは何なのだろう。心臓に悪い。私の唇を指の腹で軽く拭いながらうっそりと彼は囁く。

「今度は私の番だね」



***



極度の緊張のお陰で呪力切れによる疲労感も眠気も今やすっかり鳴りを潜めてしまっていた。代わりに先程からずっと大きな音を立てっぱなしの心臓がそろそろ破裂しやしないかと別の不安要素が頭の中を支配していた。ふう、と大きな溜息を吐いた五条くんが壁に背を預け視線だけが痛いくらいこちらに向けられているのが確認せずとも解った。
唇に触れていた夏油くんの指先が今度は頬に触れる。夏油くんの右手に嵌められた手枷から伸びる太い鎖が動く度にジャラジャラと音を立てた。輪郭を辿るような触れ方に擽ったさを覚えて小さく笑い声を漏らすと緩やかに目が細められた。凪いだ海の如く穏やかな色を映し出す漆黒の瞳と目が合うと、それは突然不穏な気配を纏った。
薄い唇に上唇を甘噛みされ、びくりと身体が強張った。反射的に逃れようとしたらそれを見越してか後頭部に夏油くんの手が触れがっちりと固定される。
五条くんとは違い、少し乱暴さを匂わせる所作だった。目を瞑る事も忘れて私は押し付けられる熱に押されっぱなしだった。もう解放してくれるのでは、という淡い期待は見事に打ち砕かれ代わりに先程私が五条くんにしてしまったみたいに夏油くんの舌先がぴったりとくっついたままの私の唇を突いた。先程と異なる点はこれを夏油くんが意図的にしているという事だ。
唇とは違う湿った熱の感覚に驚くとその隙を逃さずに舌が入り込んできた。「ん、ぅッ!」抗議の声を上げようとしたそれは当然言葉に成る前に消されてしまう。酸欠で苦しいのに、それとはまた異なる感覚に背筋が戦慄いている。

「やっ…んん」

「…は、」

「待っ、…ふ、ぁっ」

息継ぎの為か、一瞬だけ離された唇はまたすぐにくっつき、熱い舌が私のそれに絡まり卑猥な音を立てて吸われる。神経が敏感になっているのか、私の耳は互いの呼吸音、唾液の混じり合う水音、制服の擦れる音すべてを鮮明に拾ってしまう。
歯列をなぞられ、上顎をねっとりと舐められた時とうとう耐え切れずに私は夏油くんの制服を思い切り握り締めた。膝が震えて立っていられないのに体勢が崩れないのは夏油くんの膝が足の間を割って入り込んでいるからだ。
送り込まれた唾液をどうしていいのか分からずにこくりと喉を鳴らして飲み込むと後頭部に触れる手がぴくりと動いた。口の端から零れ落ちた唾液の感覚に震えていると、漸く夏油くんは唇を離してくれた。

「お疲れさま。どうだった?」

「…はっ…ど、うって…ッ」

息一つ乱す事無く、ぺろりと唇を舐める姿が唯々扇情的に映る。膝が退かされたのと同時に私はずるずるとその場にしゃがみ込んだ。放心状態で肩で息をするので精一杯の私の頭をひと撫でして、夏油くんは片膝をついてにこりと笑う。

「名前は私を優しいと言ったけど、別に私は誰にでも優しい訳ではないんだよ」

「……え?」

「私はね、見返りが欲しいという打算的な考えで、君に優しくしてるって事」

熱に浮かされた思考は使い物にならず、私はじっと夏油くんを見返すしか出来ない。夏油くんは自らの発言についてこれ以上言及する気はないようで「ほら、名前がしてくれないといつまでも出られないよ」と今度は試すような目で私を見た。
する、ちゃんとするけど、夏油くんがしたように、というのは無理だ。羞恥心で目に薄っすらと涙を溜めるとぐいと身体が右に引っ張られた。むっと不機嫌そうに唇を尖らせた五条くんが私と彼を繋ぐ鎖を強引に引き寄せたのだ。

「傑ズルくね?俺フツーのしかしてねぇのに」

「別に狡くないよ。“どんな”キスかは指定されていなかったからね」

「絶対確信犯だろ」

「さあ?」

繰り広げられる二人の会話についていけない。
駄々っ子のように狡いと繰り返した五条くんは宥める夏油くんから視線を私へ向けると顎をぐっと掴んできた。嫌な予感が身体を駆け抜け脳が逃げろと警鐘を鳴らしたが物理的に難しい。

「ご、五条くん」

「名前、俺ともシて」

「おち、落ち着いて」

「傑は良くて、俺は駄目なの?」

「げとうくん、」

迫ってきた端正な顔にぶるぶると震えながら私よりも可能性がある彼にヘルプを要請したが、無情な答えが間髪を容れずに返って来た。

「すまないね、こうなった悟は止められないから、少しだけ付き合ってあげてくれないか」

「そん、な…!…って、ぅあっ」

同意なく始まってしまった第二ラウンドにHPは0どころかマイナスに突入した。
「これが終わったら次はちゃんと私にしてね」と悪戯に私の髪を人差し指にくるくると巻き付けながら舌なめずりをした夏油くんの声は残念ながら私には届かなかった。
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