ストーカー気質〜よりも前の話



奴と初めて会ったのは、と或るパーティー会場だった。

其れなりに名の知れたファミリーが主催したそれには、ボンゴレやキャバッローネには劣るがまあ、“其れなりの”傘下ファミリーが集まっていた。私はその華やかなパーティーに紛れて楽しむフリをしながらターゲットを観察する。
私はただのパーティー参加者ではなかった。
グラスを片手に薄ピンクの華やかなドレスを身に纏った女を口説くターゲットを視界に捉え、私は一つ溜息を吐いた。嗚呼、反吐が出る。こういう場は昔から苦手だった。
華やかな雰囲気もギラギラと輝くシャンデリアも見栄と欲を身に纏って微笑み合う人間も、嫌いだ。仕事じゃなきゃこんな場所には絶対来ない。動きにくいドレスも近寄ってくる男も鬱陶しい事この上ない。
それを笑顔でかわすのにも、疲れてしまった。シャンパンの入ったグラスを傾けながら私は再び溜息を吐く。

「お嬢さん、そんなに溜息を吐いてどうされたんですか?折角の美しい顔が台無しですよ」

「……こんばんは」

ターゲットが嘘くさい笑みを浮かべながら私を見下ろしていた。近寄ってきたのにも気づかないなんて、少し考え事をし過ぎたようだ。
それにしてもさっき口説いてた女はどうしたんだ。まあ、こちらから接近する手間が省けて助かるのだけれど。

「パーティーは詰まらないですかな?」

「いいえ。とても満足していますわ。ただ少しはしゃぎ過ぎてしまって、疲れてしまったの」

とび切りの作り笑いでターゲットを見上げると、男は下心が見え見えの顔つきで言った。

「どうです、客室で私と休憩しませんか?──退屈は、させませんよ」

細められた目に思わず引きそうになったが、何とか堪えた。そして伸ばされた手を私は迷う事なく取った。
ふかふかのベッドの上で死ねるなんて、貴方はなんて幸せなんでしょう!
決して声には出さずに、私はただ笑みを浮かべながらターゲットに連れられて客室へと向かった。


月が綺麗ですね


役目を終えた真っ黒い相棒を撫でながら、私は一人静かにベッドの柔らかな感触を楽しむ。
月明かりが差し込んだ部屋は閑散としていた。
絵画の魅力などこれっぽっちも理解出来ない私ではあるが、壁に掛かっているそれが月明かりで薄らと照らされているのを見て何となく綺麗だと思った。
この部屋のものを全て売ったら、一体幾らになるのだろう。

「貴方は幾らになると思う?」

傍らに居る塊に聞いてみた。無論答えが返ってくる筈もない。
さっきまで生きていたそれは、鉛玉が眉間をぶち抜いた瞬間からただの肉塊になった。任務は無事成功。実に呆気なく終わった。
ぐっと大きく伸びをして私は立ち上がる。もうこんな場所に用はない。
依頼主に報告も済んだし、後は報酬がきちんと振り込まれているか口座を確認するだけ。
少しだけ乱れた衣類をきちんと正して私は軽い足取りで部屋から出た。
ぐい、と腕を引っ張られたのはその時である。
パタン、とドアが閉まる音と共に壁に体が打ちつけられる。予想外の事に受け身も満足に取れず、一瞬の苦しさに息を呑んだ。

「しし!いいモン見ぃーっけ」

降ってきた男の声に、私は肩を震わせた。もう、気付かれた…?
逃げようにも両手は拘束されておりどんなに抗ってもビクともしない。男女の力の差は歴然としていた。

「だ、れ…」

「はあ?王子に名乗らせるとかお前何様?」

王子、と耳慣れない単語が耳について首を傾げる。今時自分を王子だなんて、こいつ頭でもイカれてるんじゃないのか。思わず顔を上げた私は、自分の運の悪さを呪った。
目を覆い隠す長い前髪。眩しい程の金色の髪の天辺にはそれに負けないくらいの輝きを放つティアラが鎮座している。歯を見せてにんまりと笑うこの男とは全くの初対面ではあるが私はこいつを一方的に知っていた。
プリンス・ザ・リッパー。服のエンブレムを視界に捉えて、私は引き攣った笑みを浮かべた。

「貴方、ヴァリアーの…」

「ししっ!なんだ知ってんじゃん」

最悪だった。もしこいつが部屋で死んでる彼のボディーガードであったなら、まだ良かった。逃げられる可能性も自信もあったから。
しかし相手がヴァリアーの幹部ともなれば話は別だ。逃げられる可能性はゼロな上に殺される可能性が限りなく高い。
ベルフェゴール。確かこいつはそんな名前だった筈だ。彼を天才と人は呼ぶ。殺しの、だが。性格は自己中心的で極めて残忍、殺しを遊びだと勘違いしているキチガイだ。
全身から血の気が引いていくのが分かった。こいつは、人を殺すことに理由を求めない快楽殺人鬼だ。
背筋がひやりと凍ったような錯覚に陥って私はごくりと口に溜まった唾を飲み込んだ。

「私を、殺すの?」

震える唇でそう問えば、彼は益々笑みを深めた。絶対、この状況を愉しんでいる。いつ殺されても可笑しくはないこの状況下で気丈に振る舞う余裕などなかった。
私の問いに答えることなく、彼は何を思ったのか空いている手を伸ばして私の頬に触れた。
ひんやりと冷たいそれにびくりと肩が跳ね上がる。何をされるのか分からない私は、一纏めに拘束されている手をきつく握り締める。滑るように頬を移動したその手は、血の気を失った唇に触れ、戯れるように指の腹でその感触を楽しんだ後白く長い指先が顎先を捕らえた。ぐい、と持ち上げられて無理矢理目線を上げさせられる。
こんなに近い距離でも長い前髪に隠された彼の瞳を拝む事は出来ない。

「おまえ、名前は?」

薄い唇が、そう言葉を紡いだ。私の問いかけに答える気はないらしい。ならば私も答える気はない。自己中心的な人間は嫌いだ。精一杯の抵抗でふい、と目を逸らした瞬間だった。
頬に衝撃が走る。目の前が真っ白になり同時に口の中に鉄の味が広がった。頬が熱い。殴られたのだと衝撃で滲んだ視界の中冷静にそう思った。
私を殴った忌々しい手はいつの間にか後頭部へと移動しており、容赦のない力でがしりと髪を鷲掴みにされる。

「お前さ、自分の立場分かってんの?」

「…っ」

「質問に答えろよ」

恐ろしかった。全身を支配するような感覚に、私は言い知れない恐怖を感じた。声の出ない私に苛立ったのか、ドスリとナイフが頬を掠めて壁に突き立てられた。痺れるような痛みと頬を伝う血の感覚にじわじわと目に涙が溜まっていくのが分かった。
昔から、痛みには弱かった。殴られたりするだけで、すぐに涙腺が緩んで涙が出てしまう。泣きたくなんてないのに。泣いたら、負けを認めた事になる。相手に優越感を与えてしまうのが嫌で嫌で仕方がなかった。
「名前は?」と耳元で悪魔が囁く。これが最後な気がした。この問いに答えなければ、多分私は今度こそ殺される。冗談じゃ、ない。
冷たいナイフの感触に震えながら、私は小さな声で答えた。

「苗字、名前……」

収まり切らなかった涙が、零れ落ちる。
それをざらついた舌が無遠慮に舐め取った。



そこから先の事を、私はよく覚えていない。
気がついたら車の中に押し込められていて、次に気がついた時には知らない屋敷に連れて来られていた。
ゆらゆらと揺れる視界。無抵抗な事を良いことに、奴は私をまるで俵か何かを担ぐようにして己の肩に乗せて歩いていた。落ちないように腰に手が置いてあるのが何となく分かった。
多分、此処はヴァリアーの屋敷だ。もう私にはどうする事も出来ない。此処に連れて来られた時点で殺されるよりももっと酷い事をされるのは目に見えていた。

「何してんだぁ?ベル」

ピタリと動きが止まった。私もその声に、暫し思考が停止する。幻聴だと思った。しかし「見て分かんねーの?アホ鮫」と嘲笑う奴の声で、私はこれは幻聴などではないと確信した。その途端、また涙がぶり返してきた。溢れんばかりの涙を目に溜めて、鼻を啜る。その音を聞いて「何、また泣くわけ?」と茶化すような声色で奴はまた笑った。
服が汚されるのを嫌がったのか、少しだけ力が弱められた。その隙を私は見逃さなかった。ドレスを着ている事なんて忘れて、奴から逃れる事に必死だった私は渾身の力を込めた膝蹴りをお見舞いした。大した威力がないのは分かっているが、奴のバランスを崩すには十分だった。
上手いこと奴の拘束から逃れた私は、一目散に駆け出した。飛んできたナイフは死ぬ気で避けた。しかし刺さりはしなかったが何本かが足を掠めて痛みで転びそうになった。
そんな醜態を晒しながら、私はその勢いのまま“彼”に思い切り飛びついた。

「ゔお゙ぉ!!何だテメ──」

「ぅえ…スク…アーロッ」

年甲斐もなくわんわん泣きながら、懐かしいその名前を呼んだ。その声で、私を引き剥がそうと試みていた手の動きが止まる。多分、彼は目を真ん丸くして驚いているだろう。

「……名前?」

ぽつりと呟かれた名前に、そうだと私は何度も首を縦に振る。
級友との再会は、あまりにも突然だった。出来ればもっと別の形で会いたかったと鼻を啜りながら思った。


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