「隊長、こちらの書類にサインをお願いします」

そう言って書類を差し出す彼女は普段と変わりない様子で、昨日涙を流してこの手を拒絶した彼女とはまるで別人のようだった。
バレッタで結い上げられた漆黒の髪が太陽の光で艶やさを増す。赤いフレームの眼鏡の奥から覗く切れ長の瞳がじっと銀の瞳を見つめる。差し出された書類を受け取り、ざっと目を通しつつやや乱雑にサインを書き殴る。

彼にデスクワークは向いていない。それは周知の事実だ。戦闘には類稀なる才能を発揮し事長けているスクアーロではあるが、書類整理などの机仕事は専ら苦手であった。当然、そんな彼の部下も彼と似たり寄ったりである。そこを名前が上手くフォローすることによってこの隊は均等を保っている。
逆にいうと名前は戦闘向きではなかった。それなりに拳銃も扱えるが、咄嗟の判断力と体力・精神力が他の隊員に比べ劣っている。加えて見かけによらず考えるより先に行動してしまうタイプであり、如何なる任務においても完璧を求められるヴァリアーには名前のような人間は不向きという他なかった。

「…隊長?」

「──何でもねぇ」

そう言って書類を渡し、スクアーロは怠そうに頭を掻く。本来ならばこうして机と向き合っていることですら好ましくないのだ。こんな日に限って任務は入らない。
「隊長、」女性にしては低めの心地よい声が耳を掠めた。書類を受け取った体制のまま、名前は口元をきゅっと閉じている。まるで何かを言い出すのを躊躇っているかのように。

「…どうした」

「昨日のことなんですが…」

「……」

「勤務外とはいえ上司に対して部下として有るまじき非礼の数々、誠に申し訳ありませんでした」

書類を小脇に抱え、背筋を伸ばし頭を下げる。文句のない謝罪だった。しかしスクアーロは納得がいかないようで眉間に皺を寄せる。
「それだけかぁ」と発せられた言葉に何を思ったのか名前はびくりと肩を震わせた。

「あ、はい…今後、このような事がないよう自分の態度を改め──」

「そっちじゃねえ」

「……っ!」

じっとこちらを見つめる真っ直ぐな視線に、名前は居心地が悪くなる。話を蒸し返したのは自分だ。けれどそれは飽く迄も部下としての非礼を詫びるつもりでのことで、他に他意はなかった。

「お気持ちは大変嬉しく思います。私のような人間を隊長が──恐縮です。ですが昨日もお答えした通り、申し訳ありませんが……隊長のご期待に添う返事は出来ません」

「はっきり言うじゃねえかぁ」

くつりと喉を鳴らして笑うスクアーロに、思わず名前は視線を逸らす。先程までの凛とした態度はどこへやら、気弱な視線が床を見つめている。
がたりと音を立ててスクアーロが立ち上がる。名前は動けなかった。

「触れてもいいかぁ」

「だ、駄目です」

「…」

「……」

「……」

「あっ、ええと…っ」

「耐えきれなくなったら叩き落とせぇ」

「……っ」

そっと伸ばされた手が名前の頬に触れる。きゅ、と目を瞑り名前は何かに耐えるように手を握りしめる。机一つ挟んだこの距離が堪らなくもどかしいとスクアーロは思う。今すぐにでも抱きしめたい衝動に駆られるが、触れただけでこの反応を示す名前には耐えることは出来ないだろう。
流れるように滑る指先が口の端に触れた。思わず肩を跳ねさせた名前であったが、触れたのは一瞬だけで、最後に頬を一撫でして手は離れていった。

「諦める気はねえ」

「で、でも…!」

「覚悟しとくんだなぁ!」

そう言って笑うスクアーロに名前はこれ以上何も言えなかった。言い知れない感情がざわざわと胸の内で騒ぐ。小刻みに震える手を握りしめても、胸の内のざわめきが治まることはなかった。

高らかに嗤い宣戦布告を

(あ、あの隊長…!)
(なんだぁ)
(お友達から、始めませんか)
(…あ゙ぁ?)


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