「寒くはないですか?」

「ああ」

「そうですか」

それが、数十分前に彼とした最後の会話だった。
至極つまらなそうに書類に目を通している彼の片手には酒の入ったグラス。ウイスキーのロックなんて、よく飲めるなあと思いつつぼんやりとそれを見る。彼と私の距離は近いようで遠い。彼の意識は私には向いておらず、恐らく書類の方は半分も向いていないだろう。酒を飲むスピードは彼にしては遅い。一体、今何を考えているのだろうか。
バサッと乱暴に書類が投げられた。ひらひらと紙が宙を舞い床に散らばる。きっと書類を読むのに飽きてしまったんだな、と呑気に思いながら視線をそれから外す。拾うことはしない。拾ったところで彼の機嫌を損ねるだけだ。くあ、と欠伸を噛み殺す。退屈から来たものではない、ただ寝不足なだけ。


空になったロックグラスにウイスキーが足される。ボトルにはもう半分も残っていない。ふああ、今度は大きな欠伸が出る。手で口を軽く押さえながら目に滲んだ涙を拭いとる。
ちらりと、XANXUSさんがこちらに視線を向けた。「どうしました?」当然、返事は返ってこない。別に、私はそれでいいと思っている。けれど周りはそうは思っていないようで健気だな、なんて言われる事も屡。彼に何かしらの反応を示して欲しいと思っていない訳ではないが、傍に居られるのならそれでいい。
愛想尽かされたんじゃねえの?とも言われるが、多分それはない。本当に愛想尽かされたなら、きっと私は今こうして彼の隣に座っている事は出来ないだろうから。

「あ、新しいの持って来ましょうか?」

「要らねえ」

「はい」

時々でいい。気が向いた時に、こうして反応を返してくれれば、私はそれだけで満足する。空になったグラスをテーブルに置いて、XANXUSさんはまた口を閉じた。ふあ。欠伸が漏れる。これで何度目だろう。頭がぼんやりとする。瞼が重く、今目を閉じたら確実に眠ってしまう。幾ら足掻いても眠気には逆らえない。大人しく睡魔に従うことにした。
意識が途切れる直前、ソファに預けた身体が傾いたのは気のせいじゃないだろう。彼の肩に頭を預ける。そこから伝わってくる体温が酷く心地よい。大丈夫、迷惑なら叩き起こされる。何も言われないことを良い事に、私は素知らぬふりをして眠りについた。



***



ガシャン!と大きな音がした。その音に、眠っていた意識が少しだけ浮上する。どうしたのだろう。目を開ける気力はまだない。ふわふわと奇妙な感覚の中で、何が起こっているのかを考える。
「何すんだぁ!」──この声は、スクアーロさんだ。だとしたら、先程の音はXANXUSさんが彼にグラスか何かをぶつけた時のものだろうか。スクアーロさんがまた何か言っている。もうちょっと眠りたい。小さく身じろぐと、自分がいつの間にか横になっている事に気がついた。身体が暖かい。何か、掛けてくれたのだろうか。誰が、なんて愚問だ。ちょっと嬉しくなった私は、また身じろぐ。多分、口元は笑っている。

「うるせえ」

その言葉に一瞬どきりとするが、私に言った言葉ではないらしい。直後、また轟音が響く。スクアーロさんの大きな声も。それよりも、どうやら私はXANXUSさんに膝枕をされているらしかった。真上から彼の声が聞こえてきたのだから間違いないだろう。
どうしよう、凄く嬉しい。どうしようもなく嬉しくて、私はぎゅ、と掛けられているものを握りしめた。幸せだなあ、なんて思いながら私は再び睡魔に会いに行く。


どのくらい経ったか、再び私の意識は深いそれから浮上する。今度は何も聞こえない。スクアーロさんは大丈夫だろうか。その思考はすぐに切り捨てられた。「名前」──と、名前を呼ばれたからだ。どきりと心臓が跳ねる。彼は、まだ私の傍にいてくれている。

「起きろ」

その声に、返事をしなくてはと思う。けれど、口から発せられるのは「ん、」という情けないもので、彼に通じるわけがない。まだ起きたくない。それが私の本音だ。

「名前」

「…ん、もうちょっと……」

名前を呼ぶ声色は、怒気を含んではいない。それを良い事に、私はまるで我儘をいう子どものように駄々をこねる。ふわりと彼の匂いが鼻を掠める。幸せだな、と思った。
大きな手が私の頭に置かれる。髪に触れるそれが堪らなく気持ち良い。きっと次に起きた時、私はベッドの中に居るだろう。その隣にXANXUSさんが居てくれたなら、これ以上の幸せはないだろうと思う。

音無き言葉
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