長い長い廊下を歩きながら名前は窓の外を静かに見つめた。どんよりと鉛色をした雲は止め処なく雨を降らせる。
ぽたり。雨粒が窓にぶつかって一筋の線を描く。雨によって幾分か下がった気温は指先から熱を奪っていく。ぶるりと身体が震える。

目的の部屋はすぐ目の前だ。けれど中に彼は居ない。まだ任務から帰ってきていないのは知っている。中に入って待っていようかと止めた足を一歩、前に進めるがドアノブに手を伸ばす前に、名前は近くの窓に釘付けになった。
冷たい感覚が指先に伝わる。触れたのはドアノブではなく冷たいガラス。触れたガラスの向こう側は幾本もの雨の筋が通っており、それに触れられないのが堪らなくもどかしい。

名前は雨が好きだった。

まるで落ち込んだ人間の心を表したような薄暗い空、それを洗い流すように降る冷たくも美しい雨。全てが名前を惹きつけて止まない。我慢できなくなって名前はそっと窓を開ける。肌寒い風と共に入ってきたのは、微かな雨の声だった。ぴちっ。近くの木の葉に溜まった水滴が落ちた。それはきらきらと光る宝石のように見えた。
しとしとしと。一定のリズムを刻んで雨は大地を濡らす。触れたい。名前は次なる欲求を満たすために身を乗り出して手を外へと伸ばす。ぴちっ。一滴の透明な雫が掌に落ちてきた。冷たい。そして、綺麗だ。

ぎゅ、と手を握り締めて、名前はその場に座り込む。見上げた空は変わらず泣いている。何故泣いているのだろうか。悲鳴を上げる大地を想ってか、腐りつつある世の中を悲観してか。
嗚呼、なんて──愚かな。愛しさと同時に感じるそれ。矢張り雨はきれいだ。でも、これよりも綺麗なものを知っている──


「ゔお゙ぉい」


ばさりと、重たい何かが頭から降ってきて名前の視界は真っ暗なものへと変わる。頭上から降る怒ったような唸りに何故か酷く安心した。
頭から被せられたのは彼のコートだった。重たくもそれはまだ彼の体温を残しておりじんわりと温かい。ふわりと香った彼の匂いに名前は心地よさそうに目を閉じる。

「おかえり」

くぐもったその声にスクアーロは何も返さない。ぴくりと顰められた眉には不機嫌さが滲み出ているが、視界を遮られている名前には彼のその変化が分からない。
「チッ」舌打ちを一つして、スクアーロはコートで名前を包むようにしてひょいと持ち上げた。いきなりの浮遊感に悲鳴に近い声が上がるが、彼は気にしちゃいない。乱暴な音を立てて窓を閉め、彼は数歩先の自室へとずかずかと入っていった。

「わぷっ」

突然感じた浮遊感についていけない。コート越しに次に感じたのは柔らかなベッドの感覚だった。スプリングのきいたそれは体を数回ほど浮かせる。やがてギシリと軋んだ音が聞こえ彼がすぐ側に来たことが分かった。
乱暴にコートを剥ぎ取られてむ、と名前は眉を寄せる。じっとこちらを見下ろす彼の顔もそれに負けず劣らず不機嫌さを露にしていた。彼の大きな手が名前の後頭部を引っ掴み、急激に距離が縮まる。ぎらりと鋭い瞳を見つめているうちに、あっと言う間に距離がゼロになった。半ば無理矢理重ねられた唇は互いの熱を中和させ、新たな熱を生む。

「冷てぇ」

不機嫌な顔つきのまま、スクアーロはそう言って眉を顰める。それに名前は何故だか可笑しくなって、ふふっと小さく笑い声を漏らす。

「スクアーロは温かいね」

「…どのくらいあそこに居たぁ」

「分かんない。ずっと雨を見ていたから」

「馬鹿かテメェは」

こんなに体冷やしやがって、と苦々しげに彼は呟く。伸びてきた手がぐしゃと髪を撫で上げる。名前は体の冷えなど気にしてはいなかった。彼が居てくれるだけでじんわりと心は温かくなっていくから。それだけで十分だった。
ぽたり、不意に一粒の雫が名前の頬に落ちた。それが何か分かって嬉しそうに名前はスクアーロの髪に手を伸ばした。「名前、」と呼ぶ声に曖昧な返事をして。
触れた銀色の髪は雨に濡れて湿っていた。そしてその所々に散らばる小さな雨粒は薄暗い部屋の中でもきらきらと光っているように名前の目に映る。これこそが名前が一番綺麗だと思うものだ。
降り注ぐ雨よりも、ずっとずっと、きれいだ。

「おかえり、スクアーロ」

「……あぁ」

優しげな手が名前の頬を滑り落ちる。名前はそっと両手を伸ばしてスクアーロの首に回し、ぎゅうと抱きつく。シャツ一枚という薄手の格好の彼から伝わってくる体温に安堵を覚える。

「…やっぱり、ちょっと寒いかな」

「何だぁ、名前。誘ってんのかぁ?」

耳元でくつりと意地悪く笑う声に、不本意ながらもぞくりと体の奥が疼く。そんなつもりで言ったわけではないのに。いつの間にか腰に添えられていた手が怪しげな動きをする。それから逃れるように体を揺らすも、ゆっくりと這う手は止まることはない。

「貴方に抱かれるのも悪くはないけど、今は思い切り抱きしめてほしいな」

ぴたりと手の動きが止まる。追い討ちを掛けるように「だめ?」と問うと、スクアーロは苦虫を噛み潰したような顔をした。

「…誰の入れ知恵だぁ」

「ん。ルッスーリアがね、教えてくれた」

盛大に舌打ちをしてルッスーリアに対して悪態をつく彼に苦笑を浮かべながら「でも、」と名前は続ける。

「抱きしめてほしいのは本当だよ?」

期待を込めた眼差しで見つめられてスクアーロは「うっ」と言葉を詰まらせる。葛藤すること数秒。諦めたように肩の力を抜いて、湿った髪を掻き揚げた。
──偶には甘やかしてやるかぁ。
結局、彼は彼女に対して甘いのだ。

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