淡い光が差し込む静かな一室。
そこに名前とベルフェゴールは居た。ソファに仲良く座る二人は、ゆっくりと流れる時間をそれぞれ楽しんでいた。名前は本、ベルフェゴールはスコーンに夢中だ。
名前をアフタヌーンティーに誘ったのは彼だった。しかし、彼女はティーそっちのけで自室から持参した本に入り込んでおり、折角淹れたアールグレイは一口も飲まれぬままテーブルに置き去りにされ、立ち上る湯気が心做しか寂しげに揺れている。

香ばしいスコーンの香りが鼻腔を擽る。さくり。そんな音を立ててベルフェゴールはスコーンに齧り付いた。ジャムとクロテッド・クリームをたっぷりつけたそれは口内でほんのり甘く溶ける様に広がっていく。口の端に付いたクリームをぺろりと舐め取って、彼は満足げににんまりと笑う。相当お気に召したようで、手を止めることなく彼は一人で黙々と食べ続け、スコーンは一つ、また一つと消えていく。好きなだけ食べて漸く彼は満足したらしく、締めとばかりにアールグレイを流し込んでカップを置いた。
暫くして今度は彼を、退屈と言う時間が襲う。
スコーンには満足した──次は?

そこで、漸くベルフェゴールは名前へと視線を向けた。先程まではスコーンに夢中で名前が隣でティータイムの相手もせず本に没頭していても特に気に留めなかったが今は違う。自己中心的な彼は、物事が常に自分を中心に動いていないと気が済まない。退屈など許せないのだ。そんな身勝手が許される理由は至極簡単なことで、彼が“王子だから”だ。

名前が本に夢中で自分の相手をしてくれない。
ベルフェゴールは不満げに口をへの字に曲げた。

「なぁ、名前ー」

「………」

「ひま!相手して」

「…ん。ちょっと待ってて下さい。今いいところなんです」

ぺら、とページを捲る音が耳に入る。いつもは気にもしないその音が今は凄く不快だ。本を恨めしげに見ているうちに、彼はそれをぶん取って床に叩き付けたい衝動に駆られる。が、それをしないのは相手が名前だからだ。構ってほしい。しかし困らせたいわけではない。複雑な感情がぐるぐると混ざって、ベルフェゴールは更に機嫌が悪くなる。

「なあ、」

自分は思っていたよりも機嫌が悪いらしい。いつもよりもトーンが下がった低い声が洩れる。

「もうちょっと……」

しかし、彼女は動じなかった。



構ってほしい



「………」

への字口が深まる。前髪で隠された眉間には皺が寄っていることだろう。そんな事にお構いなしで名前は目の前に広がる活字を黙々と拾い、時折笑みを浮かべて沈黙を守る。
ストーリーは終盤に差し掛かっているらしく、目が忙しなく字を追っているのが分かる。あと数十分もすれば読み終わるだろう。しかしその数十分を、彼が待てる筈がなかった。

とん、と名前の左肩に重みが掛かる。視界の端に映りこんだのは眩い金色。愛しい重みに名前は一瞬目を細めるも、読書を止める気配はない。
肩から伝わってくる仄かな体温にベルフェゴールは安堵を覚える。が、ハッと我に返り彼は名残惜しいがゆっくりと身を起こす。
──妨害行為失敗。
ならばと、今度は手をそっと名前へと伸ばす。触れたのは、濡れるように艶やかな漆黒の髪。東洋人特有のそれは触り心地が良く、癖になりそうだ。程程に長いそれは指で梳いても引っ掛かることはなく、逃げるように指の間からすり抜けてしまう。
飽きることなくベルフェゴールは頭のてっぺんから先までを、ゆっくりと往復する。指が偶然耳を掠めると、ふふっと名前が擽ったそうに身を捩る。やっと返ってきた反応に気分を良くしたベルフェゴールは、止めることなく髪を梳く。

「ベルさん、くすぐったいです」

首を傾げるようにして逃げようとするが、逃がしてやるものか。いくら首を捻って逃れようとしても、しつこく迫ってくる指からは逃げられない。
観念したように抵抗をぴたりと止めた彼女は、ベルフェゴールの好きにさせることにしたらしい。ちなみに、彼女はまだ一度も本から視線を外してはいない。
──これも、失敗。

「なあ、王子まじ暇なんだけど」

「もう少し、なんです」

もうちょっと、もう少し。さっきからそればっかりだ。
苛々が限界に達した彼は、むっとした表情のまま体を横に向けて、そのまま名前の膝の上に倒れこんだ。ソファの肘掛けに足が乗っかり、組まれる。柔らかな太股の感覚を頭部に感じながらも顔は変わらない。

そのまま何分経過しただろう。不意に、何かが彼の髪をそっと撫でた。確認しなくても分かる。これは名前の手だ。それはティアラの乗っている位置から下へと、一定のペースで滑るように撫でていく。時折ページを捲る為に離れていくが、ぺらりと音がした後に手は戻ってきて、また撫でていく。それが心地よくて堪らない。
話しかければ上の空で、視線も向けてもらえない。しかし、彼女は自分の存在を無視しているわけではないのだ。ちゃんと、分かっている。今の彼女にとっては本>自分なわけで、忘れられているわけではない。だからこそ、腹立たしいのだ。何故、本の方が優先順位が上なのだ。
しかし撫でられているうちに、そんなことはどうでも良くなってきた。随分と現金なものだとベルフェゴールは苦笑を浮かべる。
自由奔放で自己中心的な彼も、彼女を前にすればまるで歯が立たないのだ。惚れた弱み、というやつなのだろうか。それも悪くないと思っている自分が居るのも確かで、否定出来ないことにまた、苦笑が漏れる。


本を捲る音が消えた。そして聞こえる、吐息。いち早く気が付いたベルフェゴールの行動は早かった。本が閉じられる前に名前から奪い取るように本を掴み、乱暴にテーブルに置く。恐らくその衝撃ですっかり冷めてしまったアールグレイがカップの中で波紋を広げただろうが、気にしない。
ぽかん、とその一連の動作を見守っていた名前は我に返ってふふ、と笑みを零す。
やっと待ち望んだ瞳が向けられた。優しげに細められた目は、今は自分だけを映している。

「如何したんですか、そんなに慌てて」

「……べっつにー」

「ふふっ。拗ねちゃいました?」

「……知らね」

ぷいっと背けられた顔が、答えを示している。困ったように微笑んでもう一度頭を撫でた。

「つい、夢中になってしまって…」

「……」

「あの、早く止めなきゃとは、思っていたんですけど、」

「………」

「やめられ、なくて……」

ごめんなさいと、小さく呟かれた言葉に目を向けると、本当に申し訳なさそうにする名前の顔が見下ろしていて。こんな顔をさせたいわけじゃないと、ベルフェゴールはそっと手を伸ばして名前の首の後ろに添えて起き上がり、そのまま首筋に顔を埋める。甘い匂いがベルフェゴールを包み、彼は猫のように頬を寄せた。

「……これからは王子の前で本読むの、禁止」

「はい」

「王子ほったらかすのも、禁止」

「はい」

「オレ…お前のこと好き過ぎてどうにかなりそう」

「私もですよ、ベルさん」

私にとって、ベルさんは一番ですから。

不満なんて、吹き飛んだし、もうどうでも良くなった。一番欲しかった言葉が貰えたから。
ぎゅ、と首に絡まる腕に力を込めれば、それに答えるように背に手が添えられる。嗚呼、満たされる。
ふと瞑っていた目を開ければ、目に入るのは白い首筋。にやりとベルフェゴールが不敵に笑ったのを、名前は知らない。

「……っ!」

「ししっ」

ぺろりと、真っ赤な舌が首筋を一舐め。瞬間、背筋を通り抜けた独特の感覚に名前は肩を震わせた。

「ベ、ルさん……!」

「なーに」

「や、やめ…っ」

「やだ」

耳元で囁かれた否定の言葉は脳を揺さぶるように何処か官能的で。一瞬にして頬を染め上げた彼女を満足げに見やり、耳元から首筋まで舌を這わせた。
いつの間にかベルフェゴールは名前に跨るような体勢になっており、逃げようにも馬乗り状態のため上手く身動きが取れない。しゅる、と音がしてネクタイが緩められ、引き抜かれる。そのままぷち、ぷちとボタンが外される音が聞こえ、慌てて名前は声を上げた。

「ちょ、ベルさ……っ!」

「黙ってろって」

顔の真横で通せんぼしていた片方の手がゆっくりと頭部に回り、髪を優しく梳く。
それが合図だ。下唇を甘噛みし、啄ばむように唇を重ねる。頭部を押さえる手に力を込め、より一層、深いものにする。薄く開いた唇に舌を差込み、貪るように舌を絡め取る。好き勝手に暴れだすそれは歯列をなぞり、時折吸い上げ、たっぷりと堪能する。
まるで最高級の果実を食しているかのようにそれは酷く甘い。一口でも食べたら病みつきになる、一種の中毒作用を起こさせた。

「……ふ、ぁ…っ」

苦しい。力なくベルフェゴールの肩を叩くも、その意思表示は汲み取られることはなかった。逆に更に深まり、頭の先から足のつま先までを、痺れるような快感が突き抜ける。

「ベル、さ…っ!や…っ」

真っ赤になって震え上がる名前を、彼は愉しげに見下ろす。上手く呼吸が出来ずに苦しそうにする名前が堪らなく愛しい。
ちゅ、と可愛らしいリップ音を立てて漸く解放される。ペロッと名前の唇に付着したどちらのか分からない唾液を舐め取る姿が、名前には酷く淫靡なものに感じた。


息を乱して大きく肩で呼吸をする名前を尻目に見て、すっかり機嫌が直った彼は休む間もなく再度首筋に舌を這わせる。既に余裕のない名前がそれを流せる筈もなく、口からは声にならない息を詰めたような音が洩れる。
ささやかな抵抗、とばかりに伸ばされた手を絡み取り、そのまま握り締めて動きを封じてしまう。ボタンを外されて下着が見えるか見えないかのギリギリまで広げられた胸元に、舌はどんどん下りていく。

「ベルさん…!ちょ、待ってっ」

「待たねーよ。王子どんだけ待ったと思ってんの?」

「うっ…」

「諦めろって」

「で、でも!まだ外は明るいですよ…!」

「知らね」

「……っ!」

かぷ、と首筋に噛み付いてそのまま強く吸い上げる。真っ白な首筋に咲いた、一つの紅い華。それを満足げに見てベルフェゴールは顔を上げる。
「名前」吐息と共に吐き出される熱っぽい声に彼女は小さく震える。

「名前」

「は、い…っ」

「なあ、どうされたい?」

「っ…!意地悪、言わないで下さい」

「お前苛めんの、オレだぁいすき」

にんまりと歪められた口元はまるで不思議の国のアリスに出てくるチェシャ猫のようで。そんな意地悪で自分勝手なところも全部含めて愛しいと感じる自分は心底彼に溺れているらしい。小さく笑い声を洩らして、名前はベルフェゴールの体温を感じながら目を閉じた。

テーブルの上に置き去りにされたアールグレイは結局一口も飲まれぬまま、役目を終えた。
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