「えーっと、恭弥くん?」

「………」

「私色々やる事あるから、その…」

「………」

「退いて欲しいなあ、なんて…」

2人分の体重を支えているソファが重量オーバーとでも言うようにギシッと不穏な音を立てる。眉を下げ懇願するように出た言葉は我ながら情けないもので、そんな私を見下ろす恭弥くんは感情を読み取る事を許さないとでも言うように文字通り、無表情だ。
が、この状況からして、喜んだり楽しんだりという感情は一欠けらもないという事だけ、ひしひしと感じる。ごくり、何やら漂う不穏な空気に無意識に喉が鳴る。
数分前を振り返ってみるが彼の気に障るような事をした覚えは一切ない。明日、帰れるね。完治祝いに今日はお寿司でも取る?確かこんな会話をしていた。不自然な点はない筈だ。そもそも晩御飯の献立の相談で誰がこんなに怒るものか。恭弥くんの機嫌が元々悪くて八つ当たりをされているのだとしたら話は別だが。

「…考え事とは余裕だね」

状況、分かっているの?

ぐっと私の手を押さえつけているそれに力が籠る。中学生とはいえ男であると知らしめられる。さて、どうしたものか。このまま穏便に事が運ぶにはどうしたらいい?空っぽの「ごめん」が通用しない事はもう分かっている手前、墓穴を掘るような真似は出来ない。うーん、と困ったように眉を下げ笑う私を見て恭弥くんの口元が露骨に歪む。
「…また、」ぽつりと、恭弥くんが言葉を零す。

「貴女はまた、そうやって僕を子ども扱いするんだね」


Saturday


何もかも見透かすような瞳と言葉に私は乱された。子ども扱い、その言葉の真の意味を私は知っている。でも認めては、受け入れてはいけない事だ。動揺を目の前の男の子に悟られてしまう程私は未熟ではない。私は、狡い大人だ。

「……中学生は、立派な子どもだよ」

「その子どもに揺れているのは、だれ?」

「誰だっていきなり両手拘束されてソファと仲良くさせられれば、動揺くらいすると思うけど?──例えそれが中学生の男の子相手だとしても、ね」

攻めるような、否──攻めている目だ。子どもは本当に感情に素直だ。思っている事がそのまま態度に出ている。この素直さが私に彼を子どもだと教え、安心させてくれる。
このまま問答を繰り返していても平行線を辿るだけだ。恭弥くんが引いてくれる様子はない。なら、私が終わらせるまでだ。

「ね、お腹空かない?」

「空いてない」

「私は空いた」

「………」

「ご飯にしよーよ。ね、お寿司」

「……ねえ」

「私中トロとエビとサーモンと、あと巻物も食べたいなあ」

「名前」

「恭弥くんは、何が食べたい?」

「逃げないで」

頭の中に浮かんでいた美味しそうな魚介のネタが一気に吹き飛んだ。逃げないで、その言葉が私の思考を停止させた。妙な沈黙が訪れる。
ぴたりと喋るのを止め口を噤んだ私の頭を大きな手が覆う。未だに両手を束ねる片手は解放される兆しがないが、その手に力が入っていない事に今更気づいた。振り解こうと思えば、簡単に出来る。でも、何故か、私はそれをしなかった。出来なかった、と言った方が正しいか。

逃げないで。まるで懇願するような弱弱しい声色が耳に残る。それは何度も何度も私の鼓膜を揺らし、声を出す事も指先一本動かす事も許さない。「何から逃げるって言うの?」そう言い返せる程の余裕が、私にはなかった。
あれ程大人ぶっておいてこのザマだ。恭弥くんの一言一言に私は情けないくらい、揺れている。「…だめ、だよ」沈黙を破って漸く絞り出した言葉は拙かった。嗚呼本当に情けない。

「どうして」

何が駄目なのか彼は聞いてこなかった。敏い子だ、恐ろしいくらいに。私は一体どうしたらいいのだろう。何て返してあげたら、いいのだろう。
恭弥くんが望む言葉を言ってあげる勇気が私にはない。私は臆病者だ。自分の気持ちを認めるのも、口に出すのも、伝えるのも、全てが怖くて堪らない。

「ごめん。…ごめんね」

「そんな言葉が聞きたいわけじゃないよ」

両手を拘束していた手が放れた。しかし安心する間もなく今度は恭弥くんの両腕に全身を拘束される。ギシ、とソファが悲鳴を上げた。背中に触れる手が温かい。
「名前」と、耳元で囁くように名前を呼ばれる。「どうして、」今度は私がその言葉を口にした。どうして、──そんなに優しい声で呼ぶの。
涙が溢れた。恭弥くんの肩に顔を埋めながら私は鼻を啜る。怖かった。もう、やめてほしかった。これ以上されたら、きっと私は耐えられない。

「名前」

「…っ」

臆病な私を嘲笑うわけでもなく、恭弥くんはただ私の名前を呼ぶ。恭弥くんが何を言おうとしているのか、解ってしまった。だから私の涙は止まる気配を見せない。
恭弥くんは私との曖昧な関係を終わらせようとしている。曖昧な関係を甘受している私をその優しい声が咎めている。逃げないで。その言葉が頭から離れない。
もう一度、彼は私の名前を呼んだ。お願い、お願いだから、その先を言わないで。私の切な願いはいつだって聞いてもらえない。


「僕は、貴女が好きだ」


ぽたり。ぽたり。頬から滑り落ちた滴が、華奢な彼の肩を濡らした。

曖昧な関係に終焉を

土曜日、涙に込められた意味
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