今日は祝日、会社は休みだ。今のご時世、祝日に会社が休みだなんて事は殆どないが、幸運にも私が勤めている会社はその数少ないうちの一社だ。まあ、時と場合にとっては祝日でも出勤になったりするのだが。取り敢えず今日は一日中家でのんびりと過ごす、筈だった。

「何か食べたら?」

「…食べたく、ない」

ずきずきと痛む頭を押さえ、私は小さく呻き声を漏らした。完全なる二日酔いの症状だった。


Thursday


時計の針は正午を差していた。この時間になって漸く、ベッドから起き上がる事が出来たのだ。片手で頭を押さえ、ふらふらと覚束ない足取りでテーブルまで来たは良いものの、目の前に並んだ食事を見ても食欲が湧くことはなかった。
ずず、と目の前で恭弥くんが味噌汁を啜っている。昼食を作ったのは彼だった。彼には昨日から迷惑を掛けっ放しである。これではどちらが年上か分からない。

「味噌汁」

「え?」

「固形物は駄目でも、それなら飲めるでしょ」

「う、うん」

気は進まないが、折角恭弥くんが作ってくれたのだ。要らないなどと言える筈がなかった。
ふと、目の前に置かれているメニューに疑問を抱いた。湯気の立つ味噌汁。その横にはトマトジュースが置いてあった。目の前にあるのはその二品のみ。実に奇妙な組み合わせだった。恭弥くんの飲み物はトマトジュースではなく、どうやらこれは私だけの特別メニューのようだ。

「いただきます」

ちょうど良い温度の味噌汁を一口飲む。飲み込むと、じんわりとした温かさが身体に浸透していく。ホッと息を吐いて私はもう一口口に含んだ。

「美味しい」

「…そう」

飲んで解った。これは蜆の味噌汁だった。トマトジュースと蜆の味噌汁。どちらも二日酔いに効果があるとされているものだ。

「恭弥くん」

「なに」

「ありがとう」

「…別に」

素っ気ない返事。でも私はそれで十分だった。ふい、と外方を向いた恭弥くんは何だか照れているように見えて、私は思わず笑みを漏らした。
味噌汁もトマトジュースも残さず飲んだ。それを確認して席を立った恭弥くんが食器を片づけ始める。流石にそこまでさせられないと私も立ち上がろうとするが、透かさず「名前はそこに座ってて」と鋭い一瞥と共にそう言われてしまえば浮いた腰を元の場所に戻すしかなかった。
テーブルに頭を乗せて目を閉じる。行儀が悪いがまだ本調子ではないのだ、これくらい許して欲しい。それが分かっているのか恭弥くんからのお小言はなかった。
陶器の音と水が流れる音だけが室内に響く。それに耳を傾けながらこんな休みも悪くないと思った。…このしつこい頭痛さえなければ、の話だが。
もう少し、寝ようかな。座っているより横になっていた方が大分楽だ。何より寝ているだけなら恭弥くんに迷惑を掛けることもない。
コトリ、と近くで物が置かれた音がして薄らと目を開けると、ミネラルウォーターが注がれたグラスが目の前に置いてあった。洗い物を終えたらしい恭弥くんは湯気の立つカップを持っていた。多分コーヒーか何かだろう。
お礼を言って乾いた喉を潤すために一口飲む。が、一口のつもりが自分でも気付かないうちにかなり水分が不足していたらしく、こくりこくりと喉を上下させて一気に半分くらいまで飲んでしまった。ぷは、と息を吐き出すと「ゆっくり飲みなよ」と呆れたような声が降ってくる。

「生き返った…」

「大袈裟だね」

「恭弥くん、いい旦那さんになると思う」

「なに、それ」

見上げると、ふふ、と小さく笑った恭弥くんと目があった。意地悪そうに口角を上げて笑うのではなく、自然な笑み。どきりと心臓が跳ねた。これが不意打ちってやつだろうか。それを誤魔化すためにグラスを握りしめてちびちびと水を飲む。幸い彼は私のそんな変化に気付いた様子はなく、コーヒーを飲みながら「そういえば、」と何かを思い出したように言葉を発した。

「昨日の事だけど」

「昨日?」

平静を装って、出来るだけ自然に見えるよう私は首を傾げて聞き返す。動揺でグラスの持つ手が震えたが身体を少し揺らしてそれを誤魔化す。
昨日──。多分、恭弥くんが言いたいのは“あの事”だ。“もっと、欲しい?”そう問いかけてきたあの妖艶な笑みと耳元を掠めた低い声が頭の中を駆け抜ける。──駄目だ、思い出したら。
生憎と酒に酔っていたからと言って酔っている間に起きた出来事を綺麗さっぱり忘れられるほど、私という人間は都合よく出来ていなかった。まだあの感触が唇に残っている。ああ駄目だ、これ以上は──。
ぐ、と唇を噛んで大丈夫、と何の根拠もない自信を無理矢理奮い起こして私は「ああ、」と困ったように笑い、言う。

「恭弥くんがベッドまで運んでくれたんだよね?重かったでしょ、私。柄にもなく飲んじゃって、気がついたら寝ちゃったみたい。迷惑掛けてごめんね」

よく帰ってこれたなあ、と冗談交じりに付け加えた私を恭弥くんは「そう」と一言返してじっと見下ろす。見透かすようなその目にどきりとした。
少し、饒舌過ぎただろうか。でも恭弥くんはそれ以上何も言ってこなかった。それを良い事に私は気付かれてはいないと勝手に解釈し胸を撫で下ろす。これで、いい。

崩れかけた関係はもう修復する事は出来ない。けれどこれ以上崩れないように阻止する事は出来る。一線を踏まれたなら、また新たに線を引けばいい。彼が一歩前に出るなら、私が一歩後ろに下がればいい。そうすることで均衡は保たれる。
彼は怪我人で私はお節介な世話人。更に言うなら彼は学生で私は社会人。そこにそれ以上の何かが混ざる事は許されない、絶対に。
ぎゅ、と手を握りしめて押し寄せる背徳の波に私は震える。

揺れる瞳

木曜日、出来るなら、全て忘れさせて
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