遠くで小鳥の囀りが聞こえる。カーテンの隙間から零れる朝日がドンピシャで顔を照らすものだから、私は堪らず呻き声を上げて目を擦った。
寝惚け眼で思考が碌に機能していない状態でもすぐ傍にある筈の気配がないのにはすぐに気が付いた。手を伸ばしてシーツに触れると確かにあった筈の体温は余韻も残さずに消え去ってしまっていたあとで。職業柄、気配には人よりも敏感である筈なのに勘が鈍ったのかと自身に呆れ返るが、相手は私を上回る実力の持ち主であり気配を気取らせぬのは勿論、私よりも一等滑らかに身体を動かせる人だ。
悪戯好きの彼がさてどこに行ったのか、それはそれなりに長く濃密な関係を築いている私にも解らない。

「ししっ。やっと起きたのかよ寝坊助」

そんな事を考えていたらその人は絶妙なタイミングで音もなくドアを開けて戻って来た。雑な言動に似合わず、動きは恐ろしいくらいに静かだ。最年少でヴァリアーに入隊した天才は持っているモノが違う。息を吸うのと同じように周りに溶け込み、誰よりも愉悦に浸り幼さを孕んだ狂気を振り翳して人を殺める。
ほんと、敵わないなあと思っていると無反応な私を見てむっと唇と尖らせたベルがベッドの縁までやってきてどかりと座った。緩やかに軋んだマットレスに気を留めている場合ではない。

「王子無視するとかいい度胸してんじゃん」

「んん、ごめんね。おはよ、ベル。何処に行ってたの?」

そっと頬を撫でるとひんやりと冷たい。外の空気を纏わせて帰ってきたベルは寝起きで体温の高い私の手をお気に召したらしくにんまりと口角を上げた。ナイフが飛んでこなくて良かったと胸中思いながら猫のように気紛れなベルが私の目の前で見覚えのあるビニール袋を揺らした。ゆらゆらと揺れる袋に印字されたロゴを見て私はすんと鼻を啜って目を輝かせる。

「わあ!買ってきてくれたの?私ここのクロワッサンだいすき」

「ん。地味なパン屋の癖にちゃんとカード使えるし、ま、いいんじゃねーの」

突っ慳貪にそう言うけど、ベル自身もこのパン屋さんの味を気に入っているのを私は知っている。ちらっと見た袋の中にクロワッサンとは別にブリオッシュが入っているのを見て私は目元を緩ませた。
予期せぬ大好物の登場に鼻歌でも歌い出しそうなくらい機嫌が良い私は直後サイドテーブルにぽいっと乱雑に袋を置いたベルに肩を押されて目を瞬かせた。

「うん…?」

「っは、間抜け面。ウケる」

私の上に馬乗りになって歯を見せて笑うベルにどうしたものかと考え倦ねていると彼の動きに合わせて長い前髪がさらりと揺れた。こんなに至近距離でも隠された瞳が垣間見える事はない。けれど見えずともその瞳が好奇の色を孕んでいる事は手に取るように分かった。

「で、お前はどんな御礼してくれんの?」

こんな朝っぱらから王子を扱き使ってさあ、と続けられた意地悪い言葉に思わず口を噤む。こんな親切の押し売りを朝っぱらからされるなんて誰が想像出来ようか。
ずい、とキスが出来そうなくらい寄せられた端正な顔に私はおずおずと手を伸ばした。

「ベル、ありがとう」

頭部と背に手を回し、少しだけ強く力を入れると僅かにベルの体重が私の身体に掛かる。ある程度加減してくれているようで苦しくはないが、密着した身体からほんのり感じるベルの体温に心拍数が上がっていくのが自分でも解った。
朝日を吸い込んできらきらと輝く金髪と、その上にちょこんと鎮座しているティアラが少しだけ眩しい。ふんわりと鼻先を擽る嗅ぎ慣れた香水の匂い。「ん」と私に抱きしめられている所為でくぐもった小さな返事を辛うじて聞き取って、指通りの良い髪を優しく梳いた。
ベルにこうして触れる事は、簡単なようで実は難しい。何せ彼は誰かに触れられる事を好まない。出会った当初は気位が高い野良猫みたいな人だと思ったものだが、まさかあの時は彼とこのような関係になるとは思いもしなかった。
だからこそ、何気ないこの瞬間さえ私は特別な物のように感じる。同時に競り上がる幸福感にだらしなく口元が緩んでしまうのは仕方のない事だった。

「……ベル」

「なーに」

「その、手」

「誘ってきたのはお前じゃん」

「そ、そんなつもりは…っ!」

「うしし!王子知ーらね!」

大人しく抱き着かれていただけのベルが、いつの間にかパジャマのボタンを何個か外して露出した鎖骨に熱い舌先を這わせた。わざとらしく吹きかけられた吐息に思わず腰が浮く。途端、逃げ出さないように容赦なく掛けられた体重に「ぐえっ」と女性が零すには聊か不適切な音が漏れた。
このまま流されたら昼手前まで解放してもらえなさそうだ。危機感を募らせる一方でさして抵抗も出来ない私はしなやかな指先に脇腹をなぞられて息を呑む。

「パン…折角買ってきてくれたのに。あとお腹も空いた」

「バルミューダ使えばよくね?あと後半は聞こえねー」

「そんな殺生な」

「いーから。大人しくオレに食われてろって」

「…ベル、好き」「ん、オレも好き」聞こえているじゃないかと都合の良い耳に文句を言おうとした口は呆気なく彼によって塞がれてしまった。
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