「ここ、何処だろう?」

「少なくとも私たちがさっきまで居たホテルではないね」

「クソッ、ふざけた真似しやがって」

五条くんの舌を打つ音がベッド一つしかない無機質な空間にやけに大きく響いた。
ふむ、と小さく唸って顎に手を当てた夏油くんの動きに合わせて重厚感のある音がする。隙間なくガッチリと彼の右手首に嵌められたその先は私の左手首と繋がっており、私の右手首は五条くんの左手首と繋がっていた。
不可解な事象、不可解な現状。
「悟、術式使える?」ぽつりと呟いた夏油くんの問いかけに五条くんはサングラスから垣間見える瞳を不機嫌そうに歪めた。

「使えねえ。多分この手錠だな」

「私もだよ。呪霊の生得領域或いは領域展開だとして、肝心のその呪霊の気配が此処にないのは聊か変だね」

私を挟んで繰り広げられている二人の会話が何だか遠くで聞こえる。
さっきまでこの最強コンビと熟していた任務で私は呪力をすっかり使い果たしてしまっていた。疲労困憊。今の私の状態を表すのならこの一言に尽きる。
休息を渇望している身体の悲鳴を脳は精度よく感知し、抗えぬ強烈な眠気が先程から私を襲っている。瞼が重く、思考が纏まらない。立ったままうつらうつらとする私の頭を大きな手が無遠慮に掴む。

「オイ。寝んな」

「んんー」と何方付かずの相槌を打って、込み上げてきた欠伸を噛み殺す。申し訳ないが今の私は全く役に立たない。コンディションが万全であったならこの状況に大いに動揺していただろうし、二人と違って両手首を緩く拘束されている事実にもう少し反応が出来てもいたと思う。しかし今は兎に角眠たいのだ。
咎めるようにグリグリと私の頭部を押す五条くんの加減された力にも抗えず、私は彼の脇腹に力なく寄り掛かった。
「あっ?!おまっ、何して」珍しく動揺したような声が真上からしたが返事をする気力さえない。五条くんの制服からいい匂いがする。温い体温が心地良くてこのまま安眠出来そうだと馬鹿な事を考えていると背後から伸びてきた手に腰を掴まれ、体勢が戻された。

「今君に倒れられたら文字通り私たちも共倒れだからね。もうちょっと頑張れるかい?」

「う、ん…」

「取り敢えず調べてみよう。…と言っても、一つしかなさそうだけど」

「傑それマジで言ってんの?俺見ねぇようにしてたのに」

「私は悟と違って如何わしい事を考えている訳じゃないからね」

「…此処から出たら覚えてろよ」

覚束無い足取りで夏油くんに腰を引かれるがまま、真っ白い部屋にぽつんと設置されているベッドへと近付いていく。倒れられたら困ると思ったのか五条くんも私の腕を掴んでくれているので半分意識が飛んでいても安定感抜群だ。
まるで酔っ払って歩行も意思疎通も出来ない人みたいだ。最強コンビに介抱されるなんて考えただけで胃に悪い。体調が回復したら二人にはきちんと御礼をしなければならないなあとぼんやりと思った。

「「………」」

ピタッと動きを止め、不自然な静寂が部屋に広がり少しだけ霞がかった意識が浮上する。思慮深い夏油くんは兎も角、五条くんが押し黙るとは珍しい。
見上げると硬い表情をした夏油くんが一枚のメモを手にしていた。「何て書いてあるの?」と問いかけると複雑そうに眉を下げて悩む仕草を見せ、けれど最終的には私にも見えるように手元に持って来てくれた。
「一緒に寝ないと出られない部屋」──たった一言そう書かれていた文字を目で追って、その意味を咀嚼しながら目前のベッドへと目を向ける。正確なサイズは解らないが三人が寝るのに大きさは十分なように思う。海外製なのか五条くんが横になっても足元に余裕がありそうだ。

「これなら問題なく寝れそうだね」

「……オマエ、それマジで言ってんの?」

一分くらい前に夏油くんに掛けていた言葉と同じ内容を五条くんは信じられないものを見るような目をしながら再度口にした。夏油くんも目を丸くしてこちらを見ている。
二人が言うように、此処が呪霊の領域の中ならこのメモがただの悪戯や冗談ではなく、必然的に書かれている事をクリアしない限りは出られないという縛りが発生しているという事になる。既にこの部屋に引きずり込まれてしまった私たちにそれを拒む権利はない。

頷いた私を見て唇を噛んで言葉を詰まらせた五条くんと、眉間に皺を寄せている夏油くん。珍しく煮え切らない様子にすっかり寝る気満々だった私は聊か毒気を抜かれてしまった。
何か不都合でも、と言いかけたその時、背を思い切り押されて私は両手首の鎖が邪魔で満足な受け身が取れず顔からベッドにダイブした。幾らマットレスが柔らかくても完全に無痛ではない。擦れた鼻を庇いながら顔を上げた私は、顔の横に手が置かれている事に気が付いた。 「すまない、っ」と焦ったような声が背後からした。恐らく背を押したのは五条くんで、夏油くんは倒れた私に巻き込まれてしまったのだろう。私が夏油くんの下敷きにならずに済んだのは彼の反射神経の良さのお陰だ。

「傑、早く奥行って」悪びれる様子もなくそう言い放った五条くんの言葉を受けてか、間近にある男性特有の骨ばった大きな手がぴくりと動いた。此処で喧嘩が始まったらどうしようと内心ヒヤヒヤとしているとふう、とひとつ溜息を漏らして夏油くんが身体を起こして四つん這いで移動を始めた。──同い年なのに、彼はやっぱり大人だ。精神年齢の高さと懐の広さがきちんと比例している。
繋がれている私に気を遣ってか、ゆっくりとした彼の動きに合わせて私も体勢を立て直し、ベッドの中心部に寝っ転がる。手錠の関係で自然と私は大柄な男性二人に挟まれており、それが何だか酷く滑稽だ。
隅っこに畳んであった厚手のブランケットを五条くんが引き寄せやや乱雑にかけられる。ふあ、と何度目かの欠伸をしていると夏油くんが一声掛けて伊達眼鏡を外してくれた。
触り心地のよいブランケットと横になった安堵感で忘れかけていた眠気が一気に押し寄せてきた。いつもの癖で特に何も考えずに寝返りを打ったところで「オイ」と背後から不穏な声が聞こえた。

「なんで傑の方向いて寝るんだよ」

「いつも、こっち向いて寝てる、から」

「ふざけんな。いいからこっち向け」

「悟、ヤキモチかい?」

くすくす笑う夏油くんの声が当たり前だがすぐ近くで聞こえた。頬に触れる温かな手は彼のものか。「んん、それ好き」猫のように思わずすり寄ると指先がぴくりと震えた。直後、腹部に腕が回って背中に人肌を感じる。

「五条、くん。くるしい」

「……うるせぇ」

「…悟、それじゃあこの子が眠れないよ」

いつの間にかサングラスを外したようでグリグリと背骨に五条くんの顔が押し付けられている。投げ出していた足の間には夏油くんのそれが差し込まれていて広いベッドなのに笑ってしまうくらい私たちは仲良くくっついている。

「この状況で寝れんのオマエだけだぞ」

耳元で囁かれたその言葉の意味をきちんと処理出来ない。密着してはいるがガッチリと拘束されている訳ではないので身体に不快感は特にない。
どういう仕組みなのかは不明だが、空調もきちんと調節されているようで室温も湿度も良好、快適に惰眠を貪れそうだ。強いて言うなら耳元でまだ何か言っている五条くんが気になるくらい。喋るというよりは喚くに近い声量だったので「うーん」と抗議の意味を込めて唸ると私は薄っすらと目を開けて身体を捻った。
少し見上げると驚いたのかアイスブルーの瞳が大きく見開かれていた。薄く開いた唇がまた何かを言い出す前に五条くんと繋がれている手を彼の頬に当ててそれを阻止した。

「さとる、一緒に寝よ」

「………は、」

たっぷりの間の後、短音ひとつを発して押し黙った五条くんを目視して、夏油くんに引っ張られてつい下の名前で呼んでしまった事に気付いた。でもそれを弁明する時間すら今は惜しい。一分一秒でも早く寝たい私は頬に触れる手を握ってきた荒っぽい仕草に眉を顰める。

「もっかい言って」

「んんー?」

「名前、呼んで」

「悟」と安眠の邪魔をしないでという意味合いを込めてお望み通り呼ぶと、きゅ、と唇を噛んで目許がほんのりと赤く色付いた。こんな姿の五条くんは中々にレアだけど、目に焼き付けているよりも私は寝たい。
しかし今度は大人だと尊敬していた彼が私の睡眠の邪魔をし始めた。

「ね、私は?」

「夏油くん…」

「悟の事は名前で呼んで、私の事は呼んでくれないの?」

「何だよ傑、ヤキモチか?」

揶揄いを含んだ言葉にうるさいよ、と拗ねたような声が五条くんに向けられたかと思うとねえ、と優しい催促が鼓膜を揺らした。
「傑」と碌に思考が働かない頭でも彼を満足させない限りは自身の欲求が満たされる事はないと判断して私は素直に夏油くんの名前も舌足らずな言葉で紡ぐ。
「も、寝たいから、おわり」と今度こそダラダラと続いていた緩い会話を打ち切って、再び寝返りを打った。おやすみという二人分の声に答えられたかは定かではない。瞼と頬に感じたぬくもりを最後に私の意識は完全に途絶えた。
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