「オイ。シャワー貸せ」

またやって来た。コンコンとノック音の後、嫌な予感がしつつもそれを拒めなかったのはドアを破壊されたくないからだ。目が合って開口一番に言い放たれた言葉に私は冒頭の言葉を音にする代わりに大きな溜息をこれ見よがしに零してやった。
「なんか文句あんのかよ」あ?と真上から降ってくる凄みのある声にはどうにも逆らえない。いつだったか、着替えの最中にドアを開けられてからはこんな五条くんでも流石にマズイと思ったようで入室前にノックだけはしてくれるようになったのがまだ救いだ。…否、そもそも女子部屋に男子が入室する事自体駄目なのだが。

顔面偏差値最高レベルの容姿と他の追随を許さない類稀なる才能の対価に性格を犠牲にしてこの世に生を受けた五条くんにはモラルというものが欠落している。でなければこんなに堂々と恋人でもない私の部屋に足を踏み入れようとは思わない筈だ。呪術高専にて私が宛がわれたこの部屋には幸運な事に簡易的ではあるがシャワー室なるものが設置されていた。高専は一部の教員や関係者も交渉すれば住居も可能となっているらしいのでその兼ね合いで造られた一室なのではと勝手に推測している。ともあれ、態々風呂場に足を運ばなくて良いのは私にとって大きなメリットだった。湯船に浸かりたい時は勿論行くが、真冬でもない限りはシャワーで十分事足りる。部屋から一切出ずに済むなんて本当にラッキーだ。……というような事をついうっかり五条くんに聞かれてしまったのが不運の始まりだった。

五条くん曰く「オマエの部屋の方が近いから便利」というクソみたいな理由で彼は度々私の部屋のシャワーを使いにこうしてやって来る。しかも図々しい事に着替えしか持ってこない。シャンプーやコンディショナー、洗顔、ボディーソープまで全て私の物を当たり前のように使っている。図々しい以外の言葉が出てこない。ボヤキの一つでも零そうものなら「ケチ臭ぇ事言ってんじゃねえよ」とサングラスの隙間から覗く六眼が私を射殺す様に見つめてくるのだ。
残念ながら同級生は無慈悲で何処までも淡泊だ。「それは災難だね」「何処までもクズだな」夏油くんも硝子ちゃんも話を聞いてはくれるが五条くんを止めてはくれない。関わりたくないと背後のオーラが言っている。友だちの定義とは一体…。

遠くで聞こえる水の流れる音にドキドキしていたのは最初の数回だけだ。今私は無の境地に居る。流石に上半身裸で出て来られた時は悲鳴を上げたが、ちょっとやそっとでは動じなくなった。こんな事でメンタルを鍛えてどうする。

ローテーブルに突っ伏すと伸ばした手が無造作に置かれた五条くんのサングラスに当たった。以前興味本位から着用した硝子ちゃんが「何も見えねー」って笑ってたけど、どういう事なんだろう。面と向かって貸してくれとは言えないので良い機会だと私は勝手に拝借する事にした。細いフレームを掴み恐々と耳にかけると、瞬きを数回。目の前に手を翳してみてもそれすら視認出来ない程真っ暗で何も見えなかった。こんな視界で生きていけている五条くんはやっぱり私のような凡人とは根本的に作りと格が違う。
「オマエ何やってんの」その言葉と共に取り上げられたサングラスに私は声にならない悲鳴を漏らして大きく身体を震わせた。いつの間にか上がった五条くんが肩にタオルを掛けながら私から取り返したサングラスを着けて大きく伸びをしていた。

「あーサッパリした」

「それはヨカッタ」

棒読みで返した言葉にも勝手にサングラスを着けていた事にも気にしている様子はない。勝手に借りた手前何となくバツが悪くて「五条くん、冷蔵庫にイチゴ牛乳あるけど飲む?」と無意識に口走っていた。返事がないので不思議に思って振り返ると薄っすらと口を開けたまま固まった五条くんがこちらを見つめていた。

「…俺の為に態々買ったの?」

「いや、自販機で間違えて押しちゃって。五条くん前に飲んでたし、好きなのかなーって思って」

「ややこしい真似すんな」

「じゃあ要らない?」

「要る」と今度は秒速で反応を返した五条くんが冷蔵庫に手を掛けたのを見て私は塗りかけだったボディークリームを手に取って指先で適度な圧を掛けながら足に塗る。五条くんが来る前にシャワーを済ませておいて正解だったと内心思っていると背に重みを感じてそれに抗えず上半身が伸ばした足に密着した。うわ、と背後から失礼な色を孕んだ声がする。

「オマエ身体柔らか過ぎだろ。キモッ」

「一言余計だよ。ぐぇえっ!ちょ、体重掛け過ぎ!」

「…こんだけ柔らかいと色んな体位できんな」

大男が脱力すると凄まじい重みがある。大凡年頃の女子が出すべきものではない、蛙の潰れたような声を呼吸と共に吐き出した私は五条くんの漏らした独り言は聞き取れなかった。苦しい、内臓が出そう。ほんのり香る苺の人工的な匂いに無性に腹が立つ。
私の背に圧し掛かる五条くんは無防備に曝け出されたうなじに指を這わせ、それに過剰なまでに反応を示した私の態度に満足したのか漸く離れてくれた。こんな拷問みたいなストレッチが存在するなんて。
素知らぬ顔で恨めしい私の視線を躱す五条くんの短髪から雫がぽたりと落ちた。驚いて見ると五条くんは髪をしっかり拭かなかったようで床には彼の髪から滴り落ちた水滴が所々足跡を作っていた。「五条くん!」と私は彼の返事を聞く前に無造作に肩に掛けられたままのタオルを引っ掴んで頭の上に乗せて、膝立ちで背後に回った。座ってイチゴ牛乳を飲んでいた五条くんがギョッとした顔で振り返った。

「ダメだよちゃんと拭かなきゃ。風邪ひいちゃうよ」

「はぁ?そんな弱っちぃ作りしてねーよ」

「床にも水落ちてるし、すぐ終わるから大人しくしてて」

文句を言われる前にピシャリと言い切った私に最終的には根負けしたのか無下限を発動される事もなく私にされるがままになった。何様俺様五条様!な彼にしては随分とお利口さんな態度である。異性の髪をこうして拭いたのはこれが初めての事だが、思いの外緊張はしていない。悲しき哉、五条くんが私のようなちんちくりんを相手にする事は絶対にないだろうという自信があるからだと思う。
水気を含んだ五条くんの白髪は蛍光灯の光を吸い込んでキラキラと輝いている。時折指で梳くとその触り心地と指通りの良さに感嘆の声を上げそうになる。ぴくりと肩を揺らす五条くんは「痛くない?拭き残しはある?」という私の問いかけにウンともスンとも言わない。怒っている訳ではなさそうだけど、と不思議に思うも、結果的に構わず私は数分間手を動かし続けた。はい終わり、とタオルを取った時にふんわりと香った匂いに私は無意識に口を開いていた。

「五条くんから私と同じ匂いがする…」

「…おっまえ、さあ!!」

「わっ、びっくりした」

不本意ながらも一緒の物を使っているから当たり前の事ではあったが、それが気に食わなかったのか五条くんが大きな声を出した。振り返った彼の目元がほんのりと赤く色付いている。口を開けては閉じてを何度か繰り返した五条くんはそれ以上何も言わずに飲みかけのイチゴ牛乳を持って出て行ってしまった。
まさかこれを機に次回からシャワーを貸すだけでなくタオルで髪まで拭かされる羽目になるとはこの時の私は想像すらしていなかった。
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