嘘は艶やかに


「名前、話はついたよ」

隊服に付着した土埃を払いながら転がる死体を顔色一つ変えずに踏みつけ部屋に入って来た名前にマーモンは振り返り際そう言った。どうやら夏油との取引は双方納得した条件で無事纏まったようだった。
絶命して間もないそれらはまだ僅かに体温を持ち、履き物越しに感じる柔さが何とも言えない気持ち悪さを孕んでいる。死体を何体か踏みつけた事で傷口から滲み出た血液が床を更に侵食していく。うっわ!とそれを見た菜々子が思い切り顔を歪めて夏油の黒衣を掴む。

「美々子見てたァ?殺し屋とかマジじゃん!」

「菜々子、声大きい…」

頭に響く高い声にぎゅ、と人形の頭に爪を立てて美々子は夏油の陰からそれらを盗み見た。
返り血どころか息一つ乱していない名前を見つめ、夏油は転がる死体に目を向ける。彼女が今しがた踏みつけた部分は除いて所々血溜まりは出来ているものの、この人数にしては少ないと言える。目視する限りどれも的確な射撃で急所を一発で仕留めているので随分と死体も綺麗なものだ。そう感心しながら手元の紙に筆を滑らせ、完成したそれを読み返し満足げに微笑んで名前たちへ差し出した。

「一番下、君たちの名前と血判を押してくれるかい?私の名前の下でいいから」

「………」

言われるがままに目を向けると几帳面さを思わせる滑らかな字体で“夏油傑”と書かれた文字が鎮座しており、それを指の腹でなぞる。そして不意に飛び込んできたマーモンが夏油へと支払う総額を見て無意識に名前は口の端を引き攣らせた。強欲で守銭奴な性分故に、ここぞという時の投資をマーモンは惜しまない。
支払い金には此処を出るまでの身の保証は勿論、口止め料、建物損壊・死体処理の費用、胡の身柄引き渡しなども含まれている。対する夏油も今日の事だけでなく夏油に関する情報の一切を第三者へ提供する事を禁止する旨が書かれていた。
記載内容について不備も不満もないが、この紙切れ1枚では正直心許ないというのが本音ではあった。まともに戦えば残念な事に、呪術を使われては圧倒的に分が悪い。最悪金だけ盗られ道すがら殺される可能性も無きにしも非ずだ。
うーんと小さく唸りながら名前はマーモンを見やる。マーモン自身もそれについては思うところがあるようで視線は食い入るように誓約書に向けられていた。相手は呪詛師だ、血判を求められるあたりただの誓約書ではなさそうだった。
「これは“縛り”だよ」2人の反応を見兼ねた夏油が腕を組みながら言った。

「縛り?」

「そう。これはその辺の紙切れ同然の誓約書なんかとは訳が違う。破れば相応の報いを受けなければならないから、何があっても破らないのが身の為だよ。私だって勿論ただじゃ済まないからね」

夏油が嘘を言っているようには見えない。報いというのも効果は不明だが内容からして軽傷で済むようなものでもなさそうだ。それならば夏油に闇討ちをされる心配もないし、約束事さえ守ればマーモンたちの身の安全は絶対に保証される。

「呪霊相手なら口頭でも効果を発揮するんだけどね、私たちは人間だからこういう形を取っているんだよ」

「呪霊って意思疎通が図れるんですか?」

「ある程度等級が高ければね」

君たちじゃ会話する前に多分殺されてしまうだろうけど、と続けられた言葉に悪意は込められていないだけに質が悪い。視えるだけで祓う事が出来ないのは本当なので返す言葉はない。
渡されたペンを握りながら名前は夏油の名の下に自身の名を綴る。そしてペンのみを夏油に差し出しながら名前はにこりと笑みを浮かべた。

「サインをするのは私だけで」

うーんと夏油はあからさまに困ったという顔をして顎に手を置いた。ワザとらしいその仕草を目にしても名前の顔色は変わらない。
「理由を聞いてもいいかな?」柔和に笑う目の奥で一瞬殺意が蠢いたのを2人は見逃さなかった。

「単純に、私とマーモン2人分の命では釣り合わないからです。勿論私たちの方が払い過ぎという意味で」

「…そうかな?」

「マーモンは既にお金を対価に支払っています。だとしたら、ペナルティとしての命を差し出す人間は私一人で十分でしょう」

「ま、そういう事だね。例えば君たち──家族全員(・・・・)の名を此処に載せるというのなら、僕もそれに従うけど、どうする?」

マーモンの言葉を聞いた夏油の指先が僅かに揺らいだ。少しの沈黙の後、徐に肩の力を抜いた夏油は浅い溜息と共に己の親指に歯を立てた。ぶつりと尖った歯が皮膚を裂いてもけろりとした様子で己の名の横にそれを押し付けた。
「交渉成立ですね」それを見て同じように仕込みナイフで指先を斬りつけた名前が彼に続いて血判を押した。

「安心しなよ。僕たちはプロだからね。縛りなんてなくとも交わした取引は守るさ」

「私としては君たちみたいな人間が協力者になってくれると有難いんだけどね」

「今回は特例ってだけで、手を組むなんて割りに合わないから御免だよ。後々五条悟が絡んでくる厄介事なんて特にね」

呪詛師側に手を貸すという事は自ずと五条に喧嘩を売ったのと同義になる。表社会に安易に足を突っ込むのもルールに反するというのに態々あの規格外の気に触れるような自殺行為をする気は毛頭ない。
この界隈に於いて五条の名を知らぬ者は居ないであろうが「悟、ね」と呟いた夏油は少しだけ予想とは違う反応を見せた。

「あ、もしかして親しい間柄でした?」

「…親友だったんだ。色々あってこうなってしまったんだけどね」

「成程、それなら余計に五条さんに所在を知られる訳にはいかないですねえ」

ポケットから取り出した真っ黒いグローブを両手に装着しながら名前はそう返した。
呪術界も意外と狭いもののようだ。嘗て親友だった2人が今や敵対同士に──なんとベタな展開だと胸中思いながら欠伸を洩らす。
表の諍いに自ら首を突っ込もうなどという酔狂なマフィアなどそうは居ない。所詮は他人事、五条と夏油の間の因縁など聞く気もないし関心もない。それはマーモンも同じだった。

「悟は君たちの間でも有名人?」

「それはまあ。何せ世界で5本の指に入る賞金首ですから」

「ああ、そういえば前にそんな事言っていたっけ」

懐かしむような柔らかな声色と伏せられた瞳に籠る感情、彼の中に渦巻く思想にも彼女が惹かれる事はない。何故ならまだ仕事が残っている。和気藹々と談笑をしている時間も最早なかった。
「さて、さくっと済ませてしまいましょうか」ホルスターからサバイバルナイフを引き抜き、虫の息の(フー)の元へ足を進めながら名前は緩やかに口角を上げた。

「多少散らかしても問題ないよ。清掃費用もきっちり入っているからね」

「承知しました」

夏油の後ろに控えていた双子は疾っくに彼によって退出させられていた。此処から先は幾ら見慣れているとは言ってもお世辞にも精神衛生上良いとは言えないので賢明な判断である。
失血によって意識が朦朧としながらもこちらに近寄って来る気配と死の匂いに胡はガチガチと歯を鳴らして懇願した。

「は、はなす!何でも、何でも話すから、命だけは…っ!」

「洗い浚い話してもらう事は大前提ですよ。まあ──この状態じゃ、どの道もう助からないでしょうねえ」

「そ、そんな!!」

「今は失血によるショック症状と頭部の外傷で感覚が鈍くなっているだけで、持ってあと数分ってところでしょう」

胡の顔のすぐ傍でしゃがみ込んだ名前が抑揚のない声で淡々と告げた現実に彼は唇を震わせながら「嘘だ」と譫言を漏らす。「何故だ、何故わたしが」と焦点の合わない瞳がぐるりと一周した時、名前は持ち変えたサバイバルナイフを胡の指先へ振り下ろした。
親指が呆気なく吹っ飛び血が迸る。右腕の指も残すはあと薬指と小指のみとなった。新たに与えられた痛みで朦朧としていた意識が否応なしに引きずり戻され、潰れかけた喉が獣のような音を押し出す。

「知ってました?生かすのって殺す事より余程難しいんですよ。ちゃんと加減しないといけないですからね」

因みに私は、ヴァリアーの中でそれが一番得意なんです

頬へと飛んだ血を拭い、嫣然とした振舞いで手の中のナイフをくるくると弄びながら空いている手が胡のネクタイを掴み上げた。締まる首元と見下ろす何処までも深い闇色の瞳に心臓までもが軋む。年甲斐もなく嫌だと駄々を捏ねる赤子同然のその様を見ても感情は凪いだままだ。

「ボンゴレの並盛(シマ)に土足で踏み込んだんですから、それなりの代償は支払って貰いませんと。
貴方が唯一幸運だったのはこの仕事を引き受けたのがヴァリアー(私たち)だったという事ですかねえ」

ボンゴレ10代目がこの仕事を態々ヴァリアーに寄越してきたのは風紀財団の暴走を懸念しての事だった。
並盛はボンゴレ現ボスとその守護者たちにとっては所縁の地、特に雲の守護者はそれに並々ならぬ執着に近い情を持っている。その土地が他所のファミリーによって土足で踏み荒らされたと知れば被害は甚大なものとなっていただろう。勿論この件を事後に知ったとしても彼の機嫌は芳しいものではないだろうが、その辺を上手く収めるのもボスの役割のひとつだ。
10代目の心労が絶えない事は想像に難くないが同情してやるほど気安い関係でもない。飽く迄彼らとは何処までもビジネスライクな関係だ。

「ひッ…わる、悪かった!もう手を引く!情報も渡す!!だから、俺を、」

「さあ、誠意の見せ所ですよ。頑張ってくださいね」

製造場所、流通ルート、関連組織、死にかけのこの男に訊かなければならない事はそこそこある。この調子では1分もあれば十分だろうと胸中思い、名前は手慣れた様子でナイフを振り下ろす。段々と濃くなる噎せ返るような血の臭い。
やけに明るい名前の声と途切れ途切れに紡がれる中国語、非常にカオスな現場の少し離れた先ではタブレットを手にしたマーモンがWi-Fiどころか電波がない事に腹を立て、ワザとらしく肩を竦ませる夏油にぶつくさと文句を垂れていた。

22.02.13
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