嘘は艶やかに


「ねー、殺し屋ってなぁに?」

「お姉さんヤバイ世界の人?」

マーモンによってお預けを食らってしまった名前は退屈そうにぐっと軽く伸びをする。先程までの殺意はどこへやら、欠伸を噛み殺し出し掛けた牙をすっかり仕舞い込んでしまった彼女に目を輝かせた双子が忍び寄る。興味を抱いた対象に接する距離の近さは流石ティーンと言うべきか。恐れを知らない4つの曇りない瞳に毒気を抜かれた名前は一瞬たじろぐ。
彼女たちの緩んだ警戒心の理由には名前が“こっち側の人間”であった事、“夏油が人間と認めた”という部分が大半を占めている。

「そのままの意味合いですよ」

「殺すのが好きだから殺し屋になったの?」

「お姉さん強いの?」

「うっ…」

「あんまり困らせてはいけないよ」と見兼ねた夏油が優しく双子を窘める。露出している両耳朶に付けられた大ぶりな黒いピアスが室内の照明の明かりを吸い込んできらりと光った。
「はぁい」と間延びした声がすぐに上がるが反省をしているようには見えない。その証拠に「ねーお姉さん」と再び始まってしまった質問攻めに名前はパッと両手を前に突き出して降参の意を示した。じとりと恨みがましい視線を送っても今度は助け船を出す気はないようで、夏油は緩やかにその視線を往なした。

「夏油様何やってんのォ?」

「ん、大事なお話をちょっとね」

「つまんなーい」

そんなやり取りに気を向ける事無くマーモンは内ポケットから出した小切手にさらさらとペンを滑らせると押し付けるように前に突き出した。ぱち、と瞬きを数度した夏油の目線が小切手とマーモンを往復し、その態度で名前は記入されている金額がある程度予想出来た。

「お姉さんは参加しないの?」

「はい。私はただ、マーモンの意思に従うのみです」

「へー。じゃあつまり、お姉さんはあのフードの人が一番大事ってこと?」

「そうですね」

「自分の命よりも?」

「自分の命よりも、何よりも」

名前の淀みない返事を聞いて美々子と菜々子はパッと顔を輝かせた。「おんなじだね」と揃った声はどこか興奮気味にそれぞれが名前の腕を取って軽く揺する。
至極当然の返答をしただけの彼女は双子が何故こんなにも嬉しそうな反応をするのか不思議でならなかったが、その言葉のまま、名前と同じような想いを美々子と菜々子が夏油に対して向けているのだろうと解釈するのにそう時間は掛からなかった。

「……猿が何匹か入ってきたね」

「名前、人差し指」

夏油がぽつりと零した呟きを拾ったマーモンが顎で胡を指し示した。
美々子の手を軽く振り払った名前はホルスターから拳銃を引き抜き躊躇う事無くトリガーを引いた。寸分の狂いなく撃たれた弾は中指までも吹っ飛ばし胡の野太い悲鳴が室内に木霊する。粉々になった指輪に混じる金属片は通信機の一部だろう。

「あの廊下、出れはしないけど入れる仕組みかい?」

「ご明察」

「マモちゃん、殺しても?」

今度は名前が双子の腕を引っ掴んで夏油の傍に無理矢理立たせた。彼女たちがどこまで戦えるかは知らないが、これ以上面倒を見るつもりはない。
「ちょっ、引っ張んなし!」と上がる文句に顔色一つ変えずマーモンへ指示を仰ぎながら漆黒の瞳が夏油を静かに見上げた。

「一般人に死なれたら困るので」

「ふふ、私たちを一般人なんて呼ぶのは君くらいのものだね」

可笑しそうに腹を抱えた夏油の言葉に既視感を覚え、名前は目を細める。けれど追及する事はなく「大事な“家族”なのでしょう」とだけ返し拳銃をもう一丁取り出した。

「殺していいよ。まだ大事な商談の最中だしね」

「承知しました」

防音仕様になっているこの部屋は外からの音は一切遮断されているが気配までは消せはしない。2丁の拳銃をドアへと向けた名前はそれが開いた瞬間、にこりと微笑んだ。

「ボス!!」

「静かにしてください」

殺しに卑怯もクソもない。死んだら敗け、それだけだ。放たれた弾丸は慈悲なく急所を的確に撃ち貫く。雪崩れ込むようにしてドアから入って来た屈強な男たちがなす術なく絶命し人形のように倒れていく。ものの数秒で積み上がった屍の山に夏油は乾いた拍手を送った。
正確な射撃に一切の躊躇のなさを機敏に感じ取り、ドアの外に張り付いた気配は動くのをやめた。中国語で吐き捨てられた下品な暴言に銃口を下ろす事なく名前は呆れたように溜息を吐いた。

「もうおしまいですか?」

「女…?ボス、ッボスに一体何をした!」

「コソコソ隠れていないでご自分の目で確かめてみては?」

「ボ──」

得物を構えながら姿を現した男の額に風穴が開く。
「あと6人。さっさと終わらせましょう」と慣れた手つきで再装填(リロード)をする今が好機なのだが完全に凍り付いた空気の中飛び出してくるような果敢な人間は残念ながら居ないようだった。このままかくれんぼをしていても埒が明かないと拳銃を36口径に替えようか思案した時だった。
ずん、と地鳴りのような足音がして大柄な男がドアの前に立った。ドアの高さよりも上背がある男は拳ひとつで頭上の壁を粉々にし、一歩踏み込んだ。
「女、何者だ」男の眉間を貫通する筈だった弾丸は男の手によって防がれた。「へえ」と名前はぱちりと瞬き感嘆の声を上げた。素手で弾丸を防ぐ人間などそうは居ない。床に落とされた金属音がやけに大きく響いた。
男が着けている黒いグローブに秘密があるのだろうが、どちらにせよ弾を見切るだけの瞬発力が伴わなければ不可能な芸当だ。敬意を表して男の問いかけに名前は応じた。

「ヴァリアー、と言えば伝わりますかね」

「…成程、ボンゴレファミリーか。しかも暗殺部隊所属となれば女一匹に不覚を取ったのにも頷ける」

少数精鋭が売りのヴァリアーは一対多が基本、任務の完遂は勿論八面六臂の働きが常に求められる。高が弾一発防がれただけ、対峙する相手が2mを優に超え、発泡スチロールのように壁を素手で粉砕するような豪腕であろうと名前が臆する事はない。命よりも大事な人が「殺せ」と言うのだ、それを忠実に遂行する事以外彼女は考えていない。
「…(ツァイ)」と嗄れ声が男の名を呼んだ。片腕を失くし力なく横たわる主の変わり果てた姿に男から濃い殺気が溢れ出す。

「…女、楽に死ねるなどと思うなよ」

「生憎と死ぬ予定はありません」

「得物がないと殺せぬような弱者が随分立派な口を利くものだ」

「貴方はただ図体がデカいだけの愚図にしか見えませんけどねえ」

ビリビリと空気を揺らす圧と共に蔡の拳が壁に大きな穴を開けた。立ち昇る土埃に紛れて侵入して来ようとした気配は直後呆気なく弾丸に貫かれた。
名前の背後ではマーモンがこちらに背を向け夏油と商談をし続けている。血腥い光景をガン見する双子、そして時折興味深そうに名前の方を見やる夏油の擽ったい視線は感じるがマーモンは見向きもしない。
「あと3人」呑気にカウントをした名前に蔡が一歩足を進めるとその重さに耐えきれず床に大きな亀裂が入る。

「喧嘩を売る相手を間違えたな、女」

「さあ、それはどうでしょうか」

無防備な背中、全く気に掛ける様子がないという事はそれだけ名前の働きに信頼を寄せているという事に他ならない。この期待を名前は一度として裏切った事はない。
ぞわ、と蔡は全身の毛が粟立ったのを肌で感じた。反射的に踏み出した足が竦み、半歩後退する。防衛本能から思わず両腕を胸の前で構えた蔡はその怖気の正体が名前から発せられる殺気だと気付いて目を見開いた。

「相手が強者だとか弱者だとか、関係ないし興味もありません」

どこまでも深い底の見えない闇色の瞳と目が合った瞬間、ひゅっと蔡は息を詰まらせた。
まだ名前は一歩たりとも動いてはいない。なのに、部屋に充満する殺気が肌を刺激し、まるで首筋に刃を突き立てられているような錯覚を思い起こさせる。

「私はただ与えられた仕事を粛々と熟すだけです」

名前の両手から滑り落ちた拳銃が無機質な音を立てる。痺れるように揺れた鼓膜に気を取られた刹那、目前に2本の短刀が迫っていた。視界を奪う為に投げられたそれがどこから、どのタイミングで投げられたものなのか蔡には理解できなかった。しかし、身体は理解するよりも早く動いた。
弾丸すら防ぐグローブを嵌めた手はそれに斬りつけられる恐怖など抱いてはいない。パン、と難なく弾いた。確かに弾いた。けれど視界は本人の意思に反して真っ黒に塗り潰され、脳味噌を引き摺り出されるような激痛と感覚に奇声が漏れた。両目に突き刺さった短刀の柄に手を這わせ全身を蝕む痛みに吐き気が込み上げる。
投げられた短刀は2本ではなく4本だった。彼が2本だと錯覚したのは僅かにタイミングをずらして投げられた3、4投目の軌道が全く同じだったからだ。初撃が弾かれるのは想定済み、時間差で投げられた本命が見事両目を潰した。

「大半の殺し屋は視覚に頼った生き方をしていません」

「ひ…っ」

心臓を鷲掴みにされたようだった。ずしりと肩に人間一人分の重みを感じ耳元で死神の声がする。気配は勿論足音すら立てず忍び寄った名前の手が蔡の頭にそっと触れる。
奪われた視界と灼け付くような痛み、免れない死への恐怖に身体を雁字搦めにされた彼は意味のない短音を発しながらくすりと嗤う死神の声に耳を傾けるしかない。

「両目を奪われたとしても残された感覚で獲物を殺す事は可能です。でも、本当にそれが可能か否かは実際に潰されてみないと解りませんよねえ」

「あ…っぐ…ぇ!」

「どんなに屈強な人間でも意図せず視界が潰されれば隙が出来る。たった一瞬であろうともそれがどのような結果を招くかは…態々言わなくても解りますよね?」

ごきん。頸椎が上げた悲鳴が脳内に響き渡ったのを最後に蔡の意識は途絶えた。
もし彼が前者の人間であれば耳元で名前の声がした瞬間態勢を立て直していただろう。名前もお喋りなどに現を抜かす事もなく最大限の警戒をしながら“真面目に”殺しに徹しただろう。詰まるところ蔡は「図体がデカいだけの愚図」だったという訳だ。
ただの巨大な肉の塊に成り下がったそれに目を向ける事無く、残りの命を刈り取る為に軽快な足取りで名前は半壊した壁を潜り抜けた。

21.08.29
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