嘘は艶やかに


静かに閉められたドア。名前は無機質なそれに自身の手のひらをそっと押し付ける。決して厚くはない隔てりの筈なのに声一つ漏れてこない造りは聊か不自然に映った。
ただの宗教団体の施設が応接間を防音仕様にするだろうか。聞かれてはマズイ話をする為か、或いは──

「お姉さん、どうしたのぉ?」

「やっぱり出口解らないんじゃない」

能々見ると、その双子は実に対照的だった。
菜々子と呼ばれた少女は明るい長髪を御団子で纏め、ゆったりしたベージュのカーディガンと際どいところまで短くされた制服のスカートの丈は“今時の”女子高生そのものの装いだった。美々子と呼ばれた少女は肩につかないくらいの長さで切り揃えられた艶やかな黒髪に落ち着いたセーラー服、菜々子と違い一見大人しいように見える風貌だがそれぞれの瞳には猜疑、挑発、厭悪──そして殺意。どろどろとした負の感情がありありと見て取れた。
ゆらりゆらりと菜々子の手の中のスマートフォンが、美々子の持つ荒縄で首を絞められた歪な人形が揺れる。殺しに対して免疫がある程度あるのは一目で解った。…けれど、殺し屋(プロ)ではない。

「大丈夫です。ご親切にどうも」

そう言って彼女たちに背を向け歩き出した名前は例え相手が同業者でなくとも隙を一切見せはしない。女だからと、若いからと個の技量を見誤ってはならない。裏社会は完全なる実力主義、性別や年齢など何の判断材料にもならないからだ。現に名前は女という性別に囚われる事無く10代でヴァリアーに入隊しているし、彼女の同僚には僅か8歳で入隊した天才と言う名のモンスターも居る。因みにその最年少記録は今現在も破られてはいない。
少しずつ遠ざかっていく名前に美々子も菜々子も手を出す様子はない。夏油からの直接的な指示がないのもあるが何よりも彼女の醸し出す見えない圧に単純に言えば臆したのだ。
ただのヘラヘラ笑っているだけの女ではないと、その所作から察した彼女たちはその背を睨むように見つめたまま静かに見送るしかなかった。



***



「なんだか面倒な事になってきましたねえ」

不気味な程静まり返った廊下を歩きながら名前は心底げんなりとした様子で呟いた。「同感だよ」とゆらりと現れたマーモンが名前の肩に乗りながらムと口元を歪める。
夏油という男は視える側の人間だ。ただ視えるだけなのか、術師なのか、それとも──。

「五条さんとは、また違った人種ですよね」

「あの男はあの男で厄介なのに違いはないだろうけどね。気配は限りなく僕らに近い。多分アレは呪詛師だ」

「ニコニコしてましたけど完全に殺る気でしたもんね」

「ぽっと出の人間に獲物を横取りされるなんて気に食わない」

吐き捨てるようにそう言ったマーモンをまあまあと宥めながら名前は戻るか否かを仰ごうとして口を噤み歩みを止めた。
「…気付いたね」小さな手を顎に当てながらマーモンはどこまでも続く廊下を見据える。この廊下はこんなに長いものではなかった。あれだけしていた人の気配が皆無なのも不自然だ。
マーモンの目配せを受けて名前はホルスターから拳銃を引き抜き、近くの窓ガラスに向けてトリガーを引いた。空を切り裂く僅かな発砲音と硝煙の匂い、変化はそれだけだった。放たれた銃弾は窓ガラスに減り込んでいる。一見ガラスに見えるだけで実際の質感は粘土のようだった。それはナイフを突き立てても変わらない。

「やられたね」

呪霊の仕業にしろ術師の術式の効果にしろ、こうなってしまっては名前たちでは対処の仕様がない。業務妨害も良いところだとぶつける先のない怒りに小さな身体から盛大な舌打ちが零れる。
見据える少し先には気配が2つ。──道理で追う素振りがなかった訳だと名前は肩を竦めた。現状、取るべき行動は一つしか残されていない。ホルスターに得物を収めて名前は再び歩き始めた。


「お姉さん、どうしたのぉ?」

「やっぱり出口解らないんじゃない」


壁に身体を預け待ち構えていた双子は同じ言葉を名前へと投げかけた。揶揄うような無邪気な悪意を真っ向から受け止め「大丈夫です。ご親切にどうも」と彼女も微笑を浮かべそれに答える。ふうん、と揃って詰まらなそうに発せられた相槌の後、双子はしなやかな指先をドアへと向けた。


「や、意外と早かったね」


夏油も先程と変わらぬ柔和な笑みを浮かべていた。とんだ茶番に付き合わされたものだとここで初めて名前は怪訝そうに顔を歪めた。
柔らかい物腰とは裏腹に僅かに開いた仄暗い色を灯す漆黒の瞳が獲物を見るように名前へと向けられている。ただ一つ異なるのは胡の左腕が欠損し、芋虫のような形の呪霊に身体を巻かれている事だ。
真っ白い床に転がる腕と飛び散る血液を一瞥し、名前は困ったように眉を下げた。

「その人、まだ生きてますか?今死なれると困るんですよねえ」

取り乱す訳でもなく、逃げ出そうとする訳でもなく、命乞いをする訳でもない。夏油の期待をすべて裏切った彼女の言動は彼を大いに愉しませた。
あっはっは、と腹に手を当てながら哄笑する夏油は時折言葉を詰まらせながらドアを閉めた双子に向かって礼を述べていた。

「あー、笑った笑った。大事な恋人に対して、案外薄情なんだね」

「…げ、と…き、さまァ…っ!」

「あ、良かった生きていますね」

「この猿は君にとってそんなに重要なのかな?」

「猿?」耳慣れない蔑称に小首を傾げた名前に頬に飛んだ返り血を指の腹で拭い取りながら夏油は頷く。ぜえぜえと生に喘ぐ様を三白眼が確かな厭悪と殺意を孕んで流し見た。シッシと払う仕草をすると巻き付いていた呪霊が即座に拘束を解き胡の体が乱雑に投げ捨てられる。
捩じ切られた左腕以外に大きな怪我はなさそうだが遠目から見てもこの出血量からして長くは持ちそうにないのは経験から容易に察した。

「そう。私は非術師が嫌いでね。同じ空気を吸っていると思うだけで虫唾が走るよ。汚らわしい」

「その基準で行くと私たち(・・・)もお猿さんの仲間入りですかねえ」

「君は違うだろう。話している感じ術師ではなさそうだけど、きちんと視えているみたいだからね」

「私は人間(・・)にはそこそこ優しいんだ」と彼は補足する。
やっぱりバレていたのかと夏油との会話の中で彼に下手な誤魔化しが通じないと判断した名前ははぐらかすのを止めた。にこにこと笑いかけて来る夏油の傍に控えている呪霊は何かを仕掛けてくる気配はない。
「呪霊って手懐けられるんですね」物珍しそうにそれを見た名前が興味本位で尋ねると「まあね」と腕を組みながら夏油は悪戯っぽく片目を瞑った。

「“呪霊操術”、私の術式だよ。君を帰れなくしたのも私の呪霊の仕業」

よくもまあ、ぺらぺらと喋るものだといっそ感心してしまう。
舐められているのか、情報を開示する事で何らかのメリットがあるのかその真意は推し量れない。しかしいつまでもこの無意味なお喋りに付き合っている時間はない。
夏油から視線を外した名前は床に力なく伏せ縋るようにこちらを見つめる胡に微笑んだ。

「胡さん、ご気分は如何ですか?喋れます?」

「た、たす、…助け、ッぅぐ」

大分出血してはいる所為で顔は真っ青だが、まだ目の焦点は合うし何とか言葉も聞き取れる範囲だ。
ゆらりと空気が溶けるように歪む。一歩踏み出した名前は次の瞬間スーツにフードの付いたコートを羽織った出で立ちで佇んでいた。「なにあれ、マジック?ウケる〜」手元のスマートフォンを弄りながら燥ぐ菜々子と愉しげに口笛を吹いた夏油は緊張感というものを持ち合わせてはいないらしい。
羽織られた隊服のエンブレムに目線が届いた瞬間、胡はひゅっと息を詰め目を見開いた。

「っおま、え…は」

「どうも、殺し屋です」

ポケットに手を突っ込み、たった数歩の距離を緩やかに詰めながら名前は口角を上げる。隊服に刻まれたそのエンブレムが何を意味するのか、裏社会に於いて知らぬ者は誰一人としていない。
「何故だ…、どう、してヴァリアーがっ!!」掠れたその叫びは繰り出された蹴りによって中途半端に掻き消された。一切の躊躇なく横っ面に足先を減り込ませた名前は吹っ飛んだ胡を追って身体の向きを変える。衝撃で数本抜け落ちた歯が転がっているがそれに気を取られている時間も押し寄せる痛みに喘いでいる余裕もなかった。
唾液混じりの血を吐き出し、胡は迫り来る明確な“死”という恐怖に唯々戦慄する。ヴァリアー相手に命乞いなど一切無意味な事を知っているだけに、その隊服を身に纏いながら嗤う女が心底悍ましい。

「貴方たちファミリーが日本に持ち込んだ合成麻薬、結構人気なんですねえ。随分と荒稼ぎなさっているようで」

「…っひ、そん、なの俺たちだけじゃないだろう!なんで、私がこんな目に!」

「別にヴァリアー(私たち)は正義の味方とかそんなんじゃないので。──ただ仕事だから、私は此処に居る。それだけです」

「ふざけ、るな!!!俺に手を出してタダ、で済むと、」

ぐっと右手を握り締めた胡を冷めた目で見つめ、骨の一本でもへし折ってやろうかと物騒な事を考えながら名前が足を動かした時だった。
「名前」と彼女を呼ぶ抑揚のない声が一瞬で彼女の意識と意思を攫う。

「マモちゃん」

「まだそれに手を出したら駄目だよ」

こくりと頷いて大人しく殺意を引っ込めた名前を横目に、本来の姿で現れたマーモンが数歩先に佇む夏油を捉えた。名前と同じデザインの隊服を身に纏う性別・年齢不詳、一切の気配を消して幽霊のように顕現したマーモンを好奇の色を宿した目が見つめ返した。先に口を開いたのはマーモンだった。

「夏油、と言ったね。僕はマーモン。君と取引がしたい」

「……へえ」

片手で顎に触れながら「取引、ね」と復唱して思案する素振りを見せた夏油はマーモン、名前、そして血溜まりの中伏せる胡へと順に視線を彷徨わせ軈て友好的に両手を広げた。

「いいよ、聞こうか」

21.07.27
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