嘘は艶やかに


「すまないね、私用に付き合わせてしまって」

「お気になさらずに」

某日、某所にて。木枯らしの吹く晴れた空の下、2人の男女が開かれた大きな門を抜け、一つの建物へと足を進めていた。
女の名前は苗字名前。イタリアの最大組織、“ボンゴレファミリー”最強と謳われる独立暗殺部隊、ヴァリアーの幹部が一人。にこにこと屈託なく笑う顔の下で渦巻く殺意にだらしなく顔を緩める男は気付く素振りすらない。
ターゲットの名は胡天佑(フーチンヨウ)。本国ではそこそこ名の知れた中堅マフィアのボスだ。
名前が初めてホテルのバーで彼に接触して以来、計画通り事は進んでいた。複数回に亘ったこの欠伸の出るような茶番も今日で終わりだ。洗い浚い情報を吐いてもらえば、もうこの男に用はない。
今すぐにでも鉛玉をぶち込んでやりたい衝動を抑えつけながら、気分良く喋り続ける男に相槌を打つ。するりと腰を抱く手の不快な動きに「もう、」と満更でもない顔をするのにもほとほと嫌気が差していた。

「意外ですね」

「はは、万人受けしない事は承知の上さ。だから君の言いたい事も解る」

「確かに私は無宗教ですが、胡さんを否定する訳ではありませんよ。
ただ、だからこそ、私のような信仰心のない者が足を踏み入れて良いのか…申し訳ない気持ちの方が強くて」

門の外で待っていた方が良かったのでは、と目を伏せた彼女の腰を更に自身へと引き寄せ、胡は豪快に笑った。

「君のその思慮深さは何とも心地が良いね。安心するといい、あの方は寛大な御人だ」

広大な敷地に建てられた某宗教団体の本拠地は多くの人間が入れ代わり立ち代わり訪れているようだった。すれ違う人の憑き物の落ちたような、心酔する表情が何処となく薄気味悪さを醸し出している。宗教団体なんて大体そんなものかと一人納得して視線を逸らした名前は、立ち止まった胡がノックをして開けたドアの先に引っ張られるようにして足を踏み入れた。

「こんにちは、(フー)さん。わざわざご足労頂いてすみません」

「やあ夏油くん。変わりないようで安心したよ」

にこにこと穏やかに夏油と呼ばれた男は胡の握手に快く応じながら言った。
黒衣に五条袈裟を身に纏い、濡れ鴉のような長髪をハーフアップに結い上げている。左頬に垂れる前髪と三白眼が印象的だった。薄らと開けられた瞳が胡の後ろの名前を捉えた。「そちらの女性は?」まるで品定めでもするような一瞬の不快感の後、それを打ち消すように柔和な笑みが向けられる。

「ああ、彼女は私の連れでね。部外者ではあるが今回ばかりは目を瞑ってくれないだろうか」

「此処は人伝に多くの悩まれている方がやってくる場所なんですから気にしないでください。
それに胡さんには多額の寄付も頂いてますしね」

「感謝するよ。──それで、夏油くん。例の件についての返事を聞かせてもらえるかな?」

胡の声に被せるように奥のドアが勢いよく開いた。「夏油様!聞いてよぉ、美々子が、」ぱち、と目を見開いたまま言葉を紡いでいた口をきゅっと閉じて、制服に身を包んだ少女はしまったと己の失態を隠す事無く表情に出した。その後ろから彼女そっくりの黒髪の少女が不思議そうな顔をして首を傾げた。

「菜々子、勝手に開けたらダメだよ。夏油様、…お客さま?」

「ご、ごめんなさい!」

「ふふ。いいよ、大丈夫」

「夏油くん、この子たちは…?」娘と言われたら頷けるが、彼女たちは確かに“夏油様”と恭しい呼び方をしていたからその線は薄い。
「家族です」と夏油は胡の問いかけに間を置く事無く答えた。にこにこと浮かべている笑みは一瞬たりとも崩れる事はない。
ざわ、と薄ら寒い感覚が背筋を走り抜ける。そうか、と返事をしてどこか腑に落ちない顔をする胡の隣で平静を装いながらも名前は内心この場所から出ていきたくて堪らなかった。
不意に、身体の内側を突き刺すような圧を背後から感じた。反射的に振り向かなかったのはいつかの五条の助言を思い起こしたからだ。“呪霊の中には視えていると認識した人間を襲ってくるモノも居る”という知識がなかったら恐らく今頃名前の体は八つ裂きにされていた。ごく自然に身体を動かしながら彼女は初めて純粋に此処には居ない彼に感謝の意を向けた。

「どうかされました?」

心地良いテノールが耳を通り抜け、軽く振り返った名前の瞳に食えない男が映り込む。同時に耳障りな濁音が地を這うように部屋中に木霊する。
さっきまではなかった筈の気配が2体、彼女たちのすぐ近くで蠢いていた。偶発的なものか否か、彼女には判断がつかない。けれど確実に言えるのは夏油という男が“視える側の人間”である事、理由は不明であるが名前乃至は胡を試そうとしている事。

「…素敵な掛軸だなと思って」

くすくすと2人分の少女の笑い声がやけに大きく響く。
墨で大きく描かれた一匹の龍を見据える視界の中に異形の影が2つ。零れ落ちそうなくらいに見開かれた目玉と目線が交じり合う事はない。
感情を押し殺す事は職業柄得意だ。絶賛“仕事モード”の彼女はこちらを睨めつける龍の双眼を受け止めながら至って無邪気にそう返した。

「…嗚呼。頂き物なんですが、私も気に入ってるんです」

「ううむ確かに、能々見れば迫力があるような」

夏油の言葉に同調する胡の呑気な言葉に呆れを通り越して一種の尊敬の念が湧き上がる。この圧に気付かないのも、怖気立つような見てくれのそれらを視界に入れなくて済む体質も今の彼女にとっては羨ましい限りだ。
呪霊という殺せない存在は彼女たちにとっては専門外、厄介な障害物でしかなく現時点で襲われた場合の適切な対処法がない。ボロが出る前に身を引くべきだと早急に答えを出した名前は隣でこれ見よがしに大ぶりな宝石の付いた指輪の位置をつけ直す胡を見上げ申し訳なさそうに眉を下げた。

「胡さん、やはり私は外で待たせてもらいますね」

「その話はさっき済んだだろう。夏油くんの許可も取っているし、君が気にする事ではないよ」

「でも、大事なお話のようですし胡さんに迷惑は掛けたくないんです。ちゃんと、良い子で待ってますから」

ね?とアーモンド形の目を細めると胡は低い咳払いをして頬を掻く。それに渋々了承した胡は夏油の手前これ以上子どものように駄々を捏ねる訳にはいかないと無理矢理納得した様子だった。つくづく面倒臭い男だと胸中吐き捨てながら最後まで彷徨つく呪霊と目を合わせる事無く名前は応接間のドアノブを握った。

「2人とも、彼女を案内してあげなさい」

「はぁい」

「………」

「お構いなく」振り返り際、夏油と名前の視線が交じり合う。夏油は名前の言葉に返事をしなかった。双子も夏油の言葉に従いこちらに向かう足を止める様子はない。僅かにひりついた空気の揺れに胡だけが取り残されていた。

21.07.11
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