眠れない白昼に


「ん?」

「あ…」

東京都○区△△4丁目、廃ビル前にて。
固く施錠された入り口の目の前で彼女たちは揃って声を上げた。人気もないこの場所でまさか人間とバッティングする事になるとは──面倒だ。それは両者が奇しくも同時に思った事である。
人払い出来てねぇじゃん。どうなってんだよと内心此処には居ない補助監督へ毒突きながら不思議そうにこちらに向けられる双眸を真っ向から受け止める。

「アンタ、このビルの関係者か何かか?」

スーツ姿の名前の出で立ちを見て、眼鏡を掛けた気の強そうな少女がまず口を開いた。深緑の艶のある長い髪は後ろで一つに括られており、その佇まいから肩に背負うケースの中身は恐らく得物だと瞬時に名前は見抜いた。
「いいえ」と短く告げられた否定の言葉に凛々しい顔が一瞬で警戒の色に染まる。彼女の隣に立つ少年はハイネックで口元が隠れてしまっているが気怠げな瞳と象牙色の逆立った髪が印象的だった。2人とも揃って似たようなデザインの黒い制服を着用している。──ああ、これは。
上に目線を向け、名前は「うーん」と顎に手を当て困ったように小さく唸った。

「すじこ」

「…ああ、分かってる」

「すじこ?」少年から飛び出した突然の名詞に思わず鸚鵡返しに呟いた名前に眼鏡の奥の切れ長の瞳が剣呑な色を宿した。
《アァアップゥルパァアイ》とビルの何処からか響いてきた叫びが余りにも煩わしく、名前は眉間に皺を寄せて「それ」から目を逸らした。やっぱりな、とその様子を見て独り言のように小さく呟いた少女が一歩前に出る。

「アンタ、あれが視えてんだろ?」

「あ、やっぱり呪術師の方でしたか。見たところまだお若いのに大変ですねえ」

その言葉に少女は背負うケースを、少年はハイネックにそれぞれ手を掛ける。「呪詛師か」ぽつりと零された知った単語に名前は慌てて両手を前に突き出した。

「私は視えるだけでして、貴方たちに危害を加えるつもりは…」

「……棘、」

「明太子!高菜」

「ああ?でもコイツどう見ても──一般人(パンピー)じゃねぇだろ」

音もなく詰められた距離に名前が動じる様子はなかった。間合いに入った途端繰り出された蹴りは名前の滑らかな動きによって往なされ、逆に距離を詰められる。少女が目を見開いた時には既に地面に投げ飛ばされた後だった。背に感じた衝撃で肺が軋み呼吸が一瞬止まる。
近接戦に於いてはそれなりの鍛錬と実績を積んでいる自負があったのに、驚く程呆気なく崩された。しかも名前は殺気のひとつも出していない。向かって来た攻撃をただ受け止め流しただけ。
警戒されているのは解っているから、両手を軽く挙げたまま敵意がない事のみを主張し、名前から彼女たちに近寄る事はしない。


『動くな』


ぱちりと名前は目を瞬かせた。地を這うような低い声は紛れもなく少年から発せられたもので、問題は自らの意思とは関係なく彼のその言葉通り指先ひとつ動かせなかった事だ。少年はハイネックを下げ、隠されていた口元が露出している。左右の口角から伸びる不思議な紋様、ちらりと覗いた舌にも別の紋様が浮かび上がっていた。
これが「術式」かと未だに金縛りにあったかのように動けない身体に無理に抗う事もせず、視線だけを倒れた少女を抱き起す少年に向ける。

「すじこ!」

「…っ、平気だ」

「出来れば話を聞いて頂きたいのですが」

どうしたものかと考え倦ねる彼女の髪を風がふんわりと包み込む。優しく揺れた髪を結う赤いリボンを見た少年が「ツナ!」と指示しながら声を上げた。
「あ?」起き上がった少女が彼の不可解な単語をきちんと文章として理解し会話らしい会話をしている様を興味深げに見守る名前を捉えた。

「棘、それマジ?」

「しゃけしゃけ!」

「あー、私もチラっと見ただけだけど、確かに言われてみればな」

あれだけ警戒していたのに、2人揃って複雑な表情を浮かべながら名前の目の前に自ら歩いてきた。動けないからこその緩みかと彼女は思うが、どうやらそうでもないらしい。
後頭部を乱雑に掻いた少女がどこか憐れむような、信じられないものでも見るかのような目を向けながら口を開いた。

「アンタ、どっかで見た事あると思ったら悟の彼女だろ」

「………え?」

先に言えよな、とバツが悪そうに視線を逸らした少女の言葉は名前の耳には届いていない。
「今、何て?」最初に顔を合わせてから今まで、どうにも会話が上手く噛み合わない。この世の終わりのように顔を青褪めさせた名前を今度は不思議そうに2つの顔が見つめた。



***



「高菜!」

「悪い、待たせた」

廃ビルから出てきた狗巻棘、禪院真希の両名を「お疲れさまでした」と労わる声が出迎えた。
彼女たちが入ってから出て来るまで10分も経っていない。廃ビルにねっとりと渦巻くように染みついていた大きな気配はすっかりと消え失せていた。呪術師とバッティングしたのはある意味幸いだったのかもしれない。こんな有様ではどの道名前は立ち入る事は疎か仕事場にも出来なかっただろう。

「で、悟の彼女がこんな場所に何の用だったんだよ」

「“仕事”をするのにちょうど良い高さのビルだったものでその下見に。あともう一度言いますが五条さんとはそんな懇意な間柄ではありません」

きっぱりと否定する彼女は照れだとか謙遜だとか、そういった日本人特有の反応が混じっているようには見えない。ワケ分かんねえと首を傾げる真希の隣で神妙な顔をした狗巻が口を開く。

「高菜〜?ツナマヨ」

「…彼は何と?」

「あー、棘は術式の関係で語彙をおにぎりの具に絞ってんだよ。あの目隠し馬鹿のスマホの待ち受けがアンタだったからてっきり付き合ってんのかと思ったって」

語彙を絞るにもきちんと決め事が彼の中にはあるらしい。名詞は名詞でも彼が今まで口にしていたのがおにぎりの具だと言われて腑に落ちた。表情や仕草に至って変化は見られず、名前には狗巻が何を言っているのかサッパリ理解出来ないが真希は彼の言葉を明確に察し、淀みない受け答えをしている。呪術師と一口に言っても色んなタイプが居るのだなと名前は思った。

「じゃあなんで悟が懇意な間柄でもない女の写メ待ち受けにしてんだよ」

「そう言われましても私は当人ではないですし、そもそもあの写真も盗撮と言いますか…」

あ、金銭のやり取りは発生しているし、撮影者であるマーモンからは一応撮影の許可も取られているから盗撮には当たらないのかと名前が思考を巡らせている真ん前で真希と狗巻はカッと目をこれでもかと見開いた。「はあ?!」ひと際大きな声が響き渡る。自己紹介がてらさらっと五条が彼女たちの“先生”の立場にある事は聞いていたが、今2人がしている表情はとてもじゃないが教師である五条に対して向けるべきでない顔つきをしていた。

「おかか……」

「アイツマジで人間性死んでんだろ。ここまでクソだとは思わなかった」

「しゃけ」

「あ、いえ…その辺の事情は少し複雑でして……ただ私も禪院さんたちのように見た人に要らぬ誤解は与えたくありませんので五条さんに止めるようにお伝え頂きたいのですが」

「真希でいい。付き合ってなくても多少関わりはあんだろ?自分で言った方が早ぇじゃん」

「私からはあまり連絡を取りたくないので……」

「……好きどころかすげー嫌ってんじゃん」

まあ好きでもない男に無断で自分の写メ待ち受けにされたらそりゃそうかと顔を思い切り顰める真希は同性として純粋に名前に同情の念を抱いていた。この際顔の良し悪しは関係ない。興味のない人間からの好意の押し付けは等しく気分が悪いものだ。
「悟には私からちゃんと言っといてやる」真希の頼もしい言葉に名前は顔を輝かせた。しゃけ、と続けられた狗巻の言葉にも恐らく真希と同じような意味合いが含まれているように感じ、彼女は「ありがとうございます」と2人に向かって頭を下げた。

「名前」

「あ、マモちゃん」

「ポイントに問題はない。このまま計画を進めるよ」

「承知しました。──それではお2人とも、また機会がありましたらどこかで」

ひらりと片手を振って名前は驚く程あっさりと別れを告げ立ち去ってしまった。「…あのガキ、気付いてたか?」「おかか」ぽつりと零された問いかけに狗巻は否定を意味する単語を告げる。名前の肩に当然のように乗るマーモンの存在を話しかけられるまで2人とも視認出来ていなかった。何とも薄気味悪い気配が背筋を這う。呪霊とも違う類のそれは唯々不気味で異質だった。

21.05.08
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -