いびつがふたつ


「闇より出でて闇より黒くその穢れを禊ぎ祓え」


宮内と名乗った補助監督の男が片手で印を組みながらそう唱えると空から重力に従ってゆっくりと人工的に創られた夜が下りていく。
「帳。結界術の一種で外から僕たちを隠す為のものだよ」非術師には名前たちが今視えている帳すら視認出来ないのだと五条は興味深そうに空を見上げる彼女にそう説明してくれた。

「いいんですか?そんなにペラペラと喋ってしまって」

「言ったところで君たちに如何にか出来るモノでもないでしょ」

それはそうだが、“約束事”がある手前洩らされる情報に疑問が湧いたのは当然の事である。しかし飽く迄も五条が勝手に教えてくれた事なのだから咎められる対象にはならないだろう。
「術士要らずなんて便利なものだね」五条の言葉を聞いて待機していた工作員たちに撤退の連絡を入れながらマーモンが言った。幻術を使って目眩ましをするにも各ポイントに人員を配置しなければならないのでこの帳は確かに有用性が高い。
感心もそこそこにマーモンは姿を隠し名前と五条は正面から敷地へと踏み込んでいく。建物の入り口に10人、眼光を鋭くさせた男たちが殺気に似た空気を醸し出しながら彼女たちを待っていた。
ずらりと並ぶ一番端、意識のない女を抱え頭部に拳銃を突き付けている男を一瞬視界に捉え、名前は一歩前に出た男を見据えた。

「随分と手厚い歓迎ですね」

「…オイ、その男はなんだ。聞いている話と違うぞ」

「見学者みたいなものなので、どうかお気になさらず」

にこにこと愛想の良い笑みを浮かべながら低姿勢を崩さない名前を相手は完全に下に見ていた。彼らは寧ろその隣の目隠しをした如何にも怪しい風貌の五条の方を警戒すべきと判断したようでこれから取引が始まると言うのに構わず銃口を向け正に一触即発の状況になっていた。
「これが交渉相手とは高が知れているね」相手から視えない事を良い事に名前の隣でマーモンは言いたい放題、五条にも視えているのでそれを聞いた彼は構わずケラケラと笑い声を上げている。緊張感もクソもない雰囲気は当然快くは思われず、鼓膜を揺らす不快な音が響き威嚇するように地面に一発銃弾が撃ち込まれる。

「大体金はどうした!キャッシュで持って来いっつったろうが!!」

「…君たちの言ってた状況が変わったってコレの事?」

耳を軽く押さえながら五条がこてんと首を傾げた。「そんな感じです」名前の適当な返事を五条は不満そうな顔で受け止めた。
まだ任務は何一つ終わってはいない。邪魔しないでくださいね、そう言って五条を見上げる黒曜石のように煌めく瞳は有無を言わせない迫力を宿していた。黙っていろという容赦ない圧に五条は軽く肩を竦めて見せた。

「ところで、先程から反応がありませんが生きていますよね?」

「…ガキは薬で眠らせてある。まだ危害は加えちゃいないがそれはお前ら次第だ」

背格好や髪色は篠宮スミレの容姿に限りなく一致してはいるが、この距離から断定は出来ない。相槌を打って時間稼ぎをする名前の横でマーモンは手にしたマモンペーパーで鼻をかみ、「粘写」で令嬢の現在地を特定する。「ニセモノだね」マモンペーパーに浮かび上がっている場所は建物内を指していた。
茶番に付き合うのはもう終わりだ。そのマーモンの言葉を合図に名前の周りの空気が変わる。特殊な目を持つ五条だけがその変化を敏く感じ取った。五条の隣に立っている名前は既に幻術で創られた紛い物、本物は得物を片手に歩き出していた。
五条の視線に気が付いた名前が一度だけ振り返る。しぃー、と子供に言い聞かせるように唇の前に人差し指が突き立てられた。
幻術で創られた苗字名前が「申し遅れましたが」と目を細める。

「ボンゴレファミリー、独立暗殺部隊ヴァリアー所属。苗字名前と申します」

「は、」

「これから誰に殺されるかくらい、知っておいた方がいいかなと思いまして」

「このアマッ──」

その言葉の続きは残念な事に紡ぐ事は出来なかった。
空を切り裂くように放たれた一発の弾丸は寸分の狂いなく男の頭部を通弾し、血液と共に脳髄を撒き散らしながら息絶えた。マーモンと五条以外の人間がその光景に絶句したまま数秒間停止した。この時点で彼らの死は確定したも同然だった。
「よーいドン!で殺し合いは始まりませんよ」やだなあ、と変わらぬ笑みを湛えたまま名前は彼らが意識を向けるよりも早くトン、と地面を足で突いた。途端、地面を割って出てきた鋭い氷柱が彼らの腹を抉る。訳が分からず呻き声をあげ喀血する様子は実に滑稽に映った。

「ただの幻ですよ。だって地面から氷柱が突き出してくるなんてあり得ない(・・・・・)じゃないですか?
でも痛い、冷たい、苦しい──脳がそう錯覚してしまっている時点で貴方たちの負けです」

気の持ちようでどうにかなる程人間の脳は簡単な造りをしていない。幻術を幻術だと認識していても、破れなければすべて無意味だ。幻術使いの技量次第で勝敗は簡単に決まる。名前もマーモンも5本の指に入る優秀な術士だ。故にそこらの人間にどうこうされるモノでもないのだが、一連の光景を涼しげな顔で静観し口笛を吹く五条悟だけは例外だった。非常に不本意ではあるが彼の前ではこの高度な幻術もただの子供騙しの見世物に成り下がる。
苦し紛れに撃たれた弾丸は誰の身体も掠る事はない。はあ、と大きな溜息を吐いたマーモンが洋館の入口へと足を進めながら不愉快そうに口元を歪めた。

「煩いね。サイレンサーくらい着けなよ、ド素人が」

埃でも払うかのように手を素早く振ると幻術で拘束されていた男たちの首が一斉にあらぬ方向へと捻じ曲がった。ごきりと鳥肌の立つような生々しい余韻だけ残してそこに再び静寂が訪れた。
五条さん、と足元に転がる出来たばかりの死体に目も呉れずに名前が初めて彼の名を呼んだ。

「ここからは、別行動で」

「勿論。まだ僕の出番はなさそうだしね。でも危なくなったら呼んでね、助けてあげるから」

「私にコレを貸し出した時点で、そんな気微塵もないでしょう」

懐の呪具を指さしながら名前はバッサリとその甘言を切り捨てた。
呪術師との信頼関係など最初から持ち得ていないし、束の間のビジネスパートナーとしての関係すら昨日の時点で破綻したも同然だ。ただ自分へ与えられた仕事を熟す為に。邪魔も手伝いもしないというのは死にかけていても助けないと同義だ。
ゆらゆらと彼女の髪を結う赤いリボンが風に弄ばれている。きっと彼女にとって物言わぬ死体は地面に落ちている石ころと何ら遜色ないのだろう。
胸糞悪い仕事だと胸中吐き捨て、五条は片手で印を組むと一瞬で姿を消した。

21.03.16
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