あまり強くはないので


「依頼がブッキングするなんて事、あるんですねえ」

「ま、これで報酬も釣り合ったからね。やる価値はあるよ」

──東京都××市。
23区とは異なり緑が豊かで、周囲はポツポツと一戸建てが建ち並びビルやマンションは殆どない。耳をすませば風が吹く度に木々の騒めきが所々から聞こえてくる。
自然に囲まれた丘の上に聳え立つ洋館が今回の仕事場だった。元は美術館だったそこは敷地も広く、近隣に民家はない。余程の事がない限り部外者はまず寄り付かず、“悪い事”をするには絶好の立地条件だった。
葉の生い茂る太い木の幹に寄りかかりながら名前は手元のタブレットに目線を向ける。そこに記載されている依頼内容と報酬額にもう一度目を通して大袈裟な溜息を吐いた。

「Sランク任務の3倍の金額ですよね。全く金銭感覚どうなっているんだか」

「それだけ切羽詰まってるって事さ。本来ならこれくらい貰って当然、あんなの割に合わないよ」

マーモンからしたら高専が提示してきた報酬額など小銭のようなものだろう。彼らが出してきた金額も決して低いものではないのだが、このヴァリアー一の守銭奴は何処までも金に強欲で貪欲だ。
ブッキングした依頼の内容は誘拐された財閥の令嬢の救出だった。生きている事は大前提、出来る限り生傷を作るなという無茶苦茶な依頼内容ではあったが、この顧客はマーモンにとってはお得意様、それくらい報酬の羽振りは毎度良い。名前も誘拐されたご令嬢──篠宮スミレとは面識がある。だからこそ疑問に思う点もあった。

「人身売買の主な調達先って所謂裏バイトってやつですよね?日本でも有数の財閥のお嬢様が飛びつくような案件ではないと思うのですが」

「運のない事に連れ去る現場を目撃したらしいよ。で、同行していたボディーガード諸共そのまま」

有事の際に役立たないんじゃ金の無駄だね、と辛辣な言葉が可愛らしい口から容赦なく飛び出す。
口封じの為に連れ去ったはいいものの、この小さな島国に於いてボディーガードをつけて出歩く未成年者など然う然う居ない。そこで身元を調べてみたところ、財閥のご令嬢であった事が発覚。しかも父親は裏社会との繋がりがある。彼らにとっては正に棚から牡丹餅、通常ではあり得ない巨額の身代金を篠宮氏に要求したのである。
指定された時刻まではもう間もなく。コソコソ殺し回らなくても人質と金の受け渡しという大義名分があるので正面から堂々と入れるのは名前たちとしても好都合だった。

「私たちの身元って割れているんですかね?」

「さあね。でもリングも匣も所持していない下の下の下だし、小細工する手間すら惜しいよ」

「呪詛師って人さえ絡んでいなかったら、ここまで大掛かりになる事もなかったでしょうに」

「今回は特殊案件だからね。…名前、五条悟は居ない者としていい。あれは規格外の存在だからね」

「…まあ、幼少期から懸賞金かけられているのに今現在もピンピンしているような人ですもんねえ」

怖い怖いと手をひらひらと振って名前は肩を竦めた。「…来たよ」目的地の手前で停車した黒塗りの車を視界に捉え、マーモンが呟いた。「何処まで使っても良いですか?」「幻術まで。でも極力手の内は晒さない」「承知しました」
ざあざあと葉が揺れる中会話がテンポ良く行き交う。ぐっと足に力を込めると、太い枝が大きくしなった。

「こんにちは」

「昨日はどーも。時間ぴったりだね」

目の前に降り立った名前たちに驚く様子はなく、五条が片手を挙げて口角を上げた。昨日とは異なり、サングラスではなく目隠しでその双眸を覆っている。
随分と背が高い人だと目隠しに目線を向けながら名前は素直な感想を抱いた。──レヴィさんと同じくらいだろうか。同僚を思い浮かべながらそんな事を思った。ずっと見上げているのは正直しんどい。多少の圧迫感はあるものの、威圧感をあまり抱かないのはやや前のめりな姿勢と掴みどころのない飄々とした態度の所為だろう。

「え、なに?見惚れちゃった?」

「はあ…」

「え〜ノリ悪いなあ。折角一緒に仕事するんだし、もっとこう、親睦を深めてさぁ」

名前の薄い反応など其方退けでぺらぺらと喋り続ける五条を彼女は困ったように見つめる。会話をする距離が随分と近い。2人の間には人ひとり入れるか微妙なくらいのスペースしかなく、警戒心は微塵も感じられない。殆ど初対面の人間に対しても平気で距離が近いのは意図的なものなのだろうか。マフィアを相手に平気で間合いに踏み込んでくる神経が名前には理解し兼ねるがそれだけ自身の能力を高く評価しているという表れでもある。運転席から降りて来た昨日の男とは違うスーツ姿の男の方が余程マトモな反応をしている。

「って事で、はいこれ」

「これは…?」

何が“って事で”なのか理解に苦しむが明るい声とは裏腹に手渡されたそれの発する重々しい雰囲気に名前は押し黙る。手に乗せられた中華包丁のような見てくれのそれはずしりと確かな重量を持ち、柄の部分は大層草臥れているのに対し刃は指を這わせただけで血が迸るような狂気を孕んでいる。
「ムム」マーモンが珍しく興味深そうにそれを見て唸った。

「呪具“屠坐魔”。この武器には呪いが籠められているから君でも祓えるよ」

「…有難くお借りします」

「あっ、因みに失くすと弁償だから気を付けてねー!」

突き立てられた人差し指がどの位を指し示しているのかあまり知りたくはないがそういう事なのだろう。サバイバルナイフやダガーとは比べ物にならない重さではあるが、使い慣れない武器に翻弄される程経験が浅くもない。手首を使って軽く素振りをした後、名前は何の躊躇いもなく五条の首筋に向かって振り翳した。

「あっぶな!」

「単なる興味本位です。呪具(これ)でもあなたは殺せないんですね」

「カワイイ顔して考えてる事えげつないね」

殺すという行為に一切の躊躇がないのが見て取れた。屠坐魔を振り下ろすまで殺意を感じさせないのも流石だ。並みの人間なら抵抗する間もなく首が落ちていただろう。随分と手慣れていると実年齢よりも幼く見える容姿の中身で窮屈そうに渦巻く狂気にどうしようもなく笑いが込み上げてくる。
人は見かけに依らない。この女もまた己と同じく頭の螺子が何本もぶっ飛んでいる。

「安易に私の間合いに入ると良い事ないですよ」

「いいね、楽しくなってきた」

退く気配のない五条に諦めをつけ、名前は屠坐魔を隊服の内側に引っ掛けて数歩下がって距離を取った。
本気で殺すつもりで向けた刃は彼の首に触れる事無く静止した。まるで見えないバリアでも張られているかのようにどんなに押しても刃はぴくりとも動かなかった。恐らく銃弾でも同じ現象が起こるに違いない。どういう原理なのか不明だが、すべての万物に対してこれが有効なら正に五条悟という存在は規格外という他なかった。
「面白味のない男だね」行くよと続けながらマーモンは洋館へ向かって歩き出す。

「言っただろう。居ない者としていいって」

「……はい」

多額の懸賞金を懸けられながらも彼が今日まで五体満足で存命してこれた理由を彼女は何となく理解した。触れられないのであれば殺せない。少なくとも名前には五条悟を殺す事は不可能だった。

21.03.10
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