望みを言ってごらん


「えん、だん……?」

えんだん、エンダン、縁談。
たったひとつのその単語が名前に齎す破壊力たるや。目をぱちくりと瞬かせて鸚鵡返しにそう零したっきり、名前は押し黙った。それ以外に何と言ったらいいのか思い浮かばなかった。

「見合いの事だぞ」

「ええ、ああ、はい」

ぱちぱちと名前の頬を比較的優しい力で叩くリボーンのその素早い動きに今日は一段とついていけなかった。
このご時世にまだそんな文化が残っていたなんて、とぼんやりと名前は思う。残っていたとしても、自分には関係ない世界だと思っていた、というのが正しい。年齢だけ見れば正に結婚適齢期と呼ばれるものに当て嵌まってはいるのだろうが、それは飽く迄一般人の場合だ。おいそれと口に出来ないような事を平然と熟してきた自分にまさか縁談だなんて。
目の前の話を持ち出してきたボンゴレ10代目なら兎も角、苗字名前という人間には何のブランド力もない。ただの人殺し、汚れ仕事をするだけの人間に目を掛ける人物がいた事に彼女は素直に驚いた。

「…実は、今回が初めての事じゃないんだ」

「……そうなんですか」

最早在り来たりな返事しか出来ない。こんな時、どんな反応をしたらいいのか名前は教えてもらっていない。沢田の口ぶりからして今まで自分の預かり知らぬところで一体何人の縁談が持ち上がったのだろう。
「今回も含むと…5回目で」そう続けた沢田に、今度こそ名前は衝撃で言葉を失う。5回目と、沢田は言った。5人目ではなく、5回目。

「それは…何と言いますか、物好きがいらっしゃるようで」

名前にとっては全てが寝耳に水の話だった。寧ろ、4回目までの話を聞き及んでいないのに、何故5回目の今になって急に話を持ち出したのか。沢田の真意が掴めず、名前は首を傾げるばかりだ。きちんとした説明を求めるのは必然だった。

「ヴァリアーの事は基本的にはオレのところまで回ってこないんだ。オレも今回の件があって初めてこの事知ったくらいだし」

「はあ…」

ボンゴレという組織が外部的問題に直面でもしない限り、ヴァリアーの位置づけはボンゴレの管轄内であってそうではない。未だに9代目直属と謳っているだけあって、XANXUSと沢田の関係性は周知の事実だ。情報共有など余程の事がない限りはしていない。仮に報告義務があったとしても、ヴァリアーがそれに従う訳もなく正に無法地帯そのもの。
ヴァリアー内においても基本的に仕事以外の情報が共有される事はない。名前含め所属する殆どが殺し(仕事)以外の事に何の興味もないからだ。

「……スクアーロさん謀りましたね」

「………」

だが、今回ばかりはそうも言っていられない。じっとりと恨めしげに見上げる名前の目線を受け、珍しくスクアーロは閉口してあらぬ方向へ目を背ける。その様子に名前は確信した。この男が知らない筈がない。今日名前が此処に連れて来られた本当の目的はこれだったのだ。
「悪かったなぁ」あのスクアーロに謝罪をさせる者など、然う然うない。おお、と山本が内心珍しいものを見たと思う中、名前はこれ以上彼を責めるつもりはないようで「パンケーキが食べたいです」と打って変わってにこやかにそう告げた。

「ゔお゙ぉい!オレだけの責任じゃねえぞぉ!」

「今私の前に居るのはスクアーロさんで、私を此処に連れて来たのもスクアーロさんなんですから文句は受け付けません」

こちらだって急な事を言われて混乱しているのだ、このくらいの八つ当たりくらい許してもらいたい。
スクアーロから聞くところによると、4回目までの縁談はヴァリアーに直接届いていたらしいが、あのXANXUSが仕事以外の案件に興味を持つ筈がない。一瞬で消し炭にされて終わりだっただろう。恐らく目も通していないに違いない。因みに4回目はマーモン宛に届いたようだった。けれど、ただの縁談をマーモンが快諾する理由はどこを探しても見つからない。無利益な事に時間を割く程無駄なものはない。
道理で当事者である名前が知らなかった訳だと彼の話を聞いて思ったが、マーモンがこの件を把握した上で彼女に伝えていないというのなら話はまた変わってくる。マーモンが知る必要がないと判断したのなら、名前はそれだけで理由としては十分だった。
ヴァリアーがうんともすんとも言わないから、到頭ボンゴレ10代目に直訴する事にした。それが今回の5回目である。
「沢田さんも大変ですねえ」やっと全容を知った名前は憐れむような目で彼を見た。これを余計な仕事と言わず何とする。

「いやあ、ハハ。…一応、これその人の資料ね」

差し出された数枚のA4用紙は差し詰め名前に対する自己PRか。添付されている大きな写真は興味の欠片もなくとも嫌でも目に入る。にこりとこちらに向かって人の好さそうな笑みを浮かべる鳶色の髪の男性がひとり。
「どなたですかねえ」ぽつりと漏らした独り言に沢田は目を剥いて驚く。「え?!面識ないの?!」これだけのアプローチをしてくるのだから、てっきり何処かのパーティーや任務、その他で何かしら接点があると思っていたのに。

「こいつ、“あの時”の医者だぞ」

リボーンの言葉にぴくりと資料を持つ指先が反応を示す。それを受けてざっと視線を男の経歴部分に泳がせた名前は、へえ、と短音を零した。確かにリボーンの言う通りこの写真の男はあの抗争で名前が重傷を負った際に彼女に関わった医療チームのひとりだった。けれど──「覚えていませんね」あの時彼女に一番関わったのはオペを務めその後のケアに携わったDr.シャマルだけ、意識が戻るのと同時に生きる目的が出来た名前にはその他の医師や看護師など記憶に留めておく価値も理由もなかった。
「ってかなんでリボーンが知ってんだよ!」驚く沢田に容赦ない蹴りが入る。「きちんと読んどけっつっただろダメツナが」いやデリケートな内容だし何の関係もないオレが読むのも、と言う沢田の言い訳を大人しく聞いてやる程、この元家庭教師は優しくはない。

「沢田さん。この話、持ち帰っても?」

「あ、うん!勿論、急な事だし苗字さんも考える時間が──」

「いえ、私が判断する事ではないので」

沢田の言葉を遮って飛び出した名前の言葉に、今度は沢田が押し黙る番だった。まるで自分には関係がないとでも言う風に名前はあれっきり渡した資料に一瞥も呉れない。彼女のこの先のパートナーになるかもしれない縁談を、当事者である彼女の他に誰が決めるというのか。
歪とも言える名前とマーモンの関係を知る沢田も、咄嗟の事に言葉が出なかった。

「テメェの縁談だろうがよ」

ずっと黙っていた獄寺が怪訝そうな瞳を湛えて、真っ直ぐに名前を見ていた。それを受けても尚、名前の態度に変化はない。

「そうですね。でも、私が判断をする事ではありません」

「ハッ。まるで人形だな」

「何とでも」

「獄寺くん、その辺で…」

「あのチビが結婚しろって言ったらどんなヤツとでもするって事か」

「はい。私にとっては、任務を熟す感覚と何ら変わりありませんから」

獄寺の眉間の皺が深くなる。どうにも分かり合えない部分が今回の件で露出したようだった。
「ゔお゙ぉい!名前、行くぞぉ!」もう用件は済んだと判断したらしいスクアーロがその言葉と同時に名前の腹に腕を回して問答無用で肩に担ぎ上げた。ぐえ、と突然の腹圧に思わず呻き声が漏れる。

「…どちらに?」

「テメーが食いてぇっつったんだろうがぁ!」

「わあ!もう付き合ってくれるんですね。流石スクアーロさん!」

パンケーキ!と目を輝かせた名前に舌打ちを一つ零して、「邪魔したなあ!」と沢田たちに背を向ける。「山本ぉ!その首は次回に取っておけぇ!!」と付け加える事も忘れない。

「苗字さん、最後に」

「はい?」

「この人の事、苗字さんはどう思う?」

スクアーロが振り向いた事で必然的に名前は沢田と目が合う。物言いたげな雰囲気の中に、名前の真意を探ろうと揺らぐ瞳がある。どこまでも真っ直ぐなその瞳はずっと見つめていると毒だ。優しい色を灯す色素の薄いそれは、時に残酷なくらい対象物を捉えて離さない。
「──なにも」わからない、と答えるべきだったのかもしれない。自分の気持ちなんて、仕事には必要ない事だから。困ったように笑った彼女の真意を、沢田は見抜けただろうか。乱暴に閉めたドアの先で、小さく名前は息を吐く。

「スクアーロさん、ありがとうございます」

「…行くぞぉ」

苗字名前は時折自分が解らなくなる。いっそ考える事も出来ない本当の人形になれたら、と何度願った事か。

20.11.24
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