夜を迎えにいく


初めての任務のおはなし

今日、死ぬのかもしれない。プライベートジェットの中でベルフェゴールに縋り付きながら、名前はそう思った。飛行機に酔っているのかと思いきやそうではない。身体を動かす度に胃がキリキリと痛んで油断したら吐いてしまいそうだ。
ベルフェゴールはメソメソと情緒不安定全開で彼の腕にしがみ付く名前に何を言う訳でもない。この状況で暴言一つ浴びせないのはとても珍しい。それどころかはいはいと時折相槌を打って普段の彼とは想像もつかないくらい破格の待遇を味わわせてやっている。煩わしいとナイフの一本も飛んできそうなものだが、彼是数十分が優に経過してもナイフを取り出す気配もない。
むう、と目の前に座るレヴィが奇妙な物でも見るような目で2人を見た。「何見てんだよきめぇな」不躾な目線にいち早く気が付いたベルフェゴールが急所目掛けて容赦なくナイフを投げた。

「何故だ!!」

「ゔお゙ぉい!うるせえぞぉ!!」

スクアーロの膝蹴りがレヴィの顔面に綺麗に決まる。一気に騒がしくなった機内はちょうど良く名前の嘆き声を掻き消してくれていた。「で、何で泣いてんの?」長い髪を指先に絡ませながらベルフェゴールが彼女に問いかける。
どうせ初めての大掛かりな仕事で重圧に耐えきれず情緒不安定になっているだけだろうと名前以外の3人は思っていた。良くある話と言えばよくある話だ。請け負う任務は最低でもSランク、任務に失敗すればそれは即ち死を意味する暗黙のルール。いざそれを目の前にすると大抵の人間は尻込みして平静を装う事すら難しい。
今回の任務のメインは彼女、スクアーロ、レヴィ、ベルフェゴールは万が一の場合の尻拭い役だった。本来ならば新人幹部のサポート(と言う名の尻拭い)役などスクアーロは兎も角レヴィとベルフェゴールが素直に頷く筈もないのだが、今回の任務を直々に言い渡したのがあのXANXUS張本人からとなると話は違ってくる。流石のベルフェゴールもXANXUSが関わる案件には滅多な事がない限り比較的従順だ。独立暗殺部隊ヴァリアーは弱肉強食、強者即ちボスの座に君臨する者が全てを支配する。
ぐず、と鼻を啜りながら震える唇が彼の耳元で何かを囁く。それを聞くな否や、ベルフェゴールは「うししし!!」と片手で腹を押さえて耐えられないとでも言うように笑いだした。
どうやらこの新人幹部は彼が思っている以上に面白い事を遣って退ける存在らしい。これは暫く退屈しなくて済みそうだ。

「こいつ、ボスのウイスキーボトル割ったらしい」

「万死に値する」

カッと目を見開いたレヴィに対し、スクアーロは真逆の反応だった。「見所あるじゃねえか!もっとやれぇ!!」普段理不尽な暴力を振るわれて歩くサンドバッグと揶揄されている分、名前の命がけの失態を彼は評価したようだった。
どうやら彼女は今回の任務はウイスキーボトルを割ってXANXUSの怒りを買った分のペナルティだと考えているらしかった。「その件は僕が弁償してもう済んだ筈だよ」ゆらりと現れたマーモンが名前の肩に乗って小さな溜息を吐く。

「名前、いい加減シャキッとしなよ。足掻いたところで何も変わらない」

「申し訳ありません…」

不安に瞳を揺らすその横でベルフェゴールは上機嫌に鼻歌を歌いながら野放しにされている髪を三つ編みにしている。

「しし!ま、骨は拾ってやるからさー」

「ベル」

窘めるマーモンの声などどこ吹く風でベルフェゴールは編み終わった髪をパッと手放す。結ぶゴムもない為それは緩いウェーブを描いてすぐに解けてしまう。
「…そろそろ着くぞぉ」長い足を組み替えて窓の外を見たスクアーロが言う。ちょうどお喋りにも飽きてきたところだ。続きは目的地にて。
ミンクの餌食になるのはターゲットか名前か、そのどちらであってもベルフェゴールは構わなかった。どういう結果になろうとも、自らが退屈する事無く愉しめればそれでいい。



***



焦げ臭いニオイが辺りに充満する。着崩した隊服のコートのポケットに手を突っ込み、ベルフェゴールは欠伸をひとつ噛み殺す。その肩に乗るミンクもまた、主人と同じようにつまらなさそうに炎を纏う尾を揺らして小さく鳴いた。

「チョロ過ぎてつまんねー」

遠くで雷の落ちる音がする。あの様子ではレヴィも程なくして合流するだろう。木に背を預けスクアーロもまた手応えのなさにある種の苛つきを覚える。彼に至っては剣どころか匣の開匣すらしていない。
「ゔお゙ぉい!!雑魚どもは片付けたぞぉ!」「こっちももう終わったよ」インカム越しに聞こえるマーモンとの会話にへえ、とベルフェゴールはにんまりと笑う。取り敢えず新人幹部は生存しているらしい。「ま、初めからシンパイなんてしてねーけどな」彼女の力量は10年以上前に既にこの目で確認済み、今更測るまでもない。あの時見た程の力をつけるにはまだ後数年掛かるだろうが、それでも充分だ。
名前はうじうじメソメソと一人で落ち込みはするものの、辞めたい殺したくない等の泣き言は一切言わない。一見すると虫も殺した事がなさそうな元一般人は、思いの外度胸と覚悟を持っている事をベルフェゴールは知っていた。なりたいやりたいで入隊出来る程、彼女が背負うエンブレムは甘くはないのだ。

「美しい……」

それは名前とマーモンが乗り込んだ屋敷の中に一歩踏み入ったレヴィが目前に広がるそれを見て漏らした言葉だった。
闇に溶け込むような藍色の炎を纏ったクラゲがゆらゆらと浮いている。規則的に広がる傘も、誘うように手招く触手も見るものすべてを魅了する。まるで此処が海の中のような錯覚に陥り、その神秘的に揺らめくうつくしい存在に思わず手を伸ばしてしまいそうになる。
スクアーロたちに背を向け、名前は中央で開匣した匣片手にひとり佇む。彼女の周りを囲むように倒れている夥しい数の人間。ぴくりとも動かない彼らはもう既に事切れていた。露出した肌は一様に何かが絡みついたかのように螺旋を描き赤く爛れている。

「それ以上は近寄らない方がいいよ」

死にたくないのならね

壁に寄りかかり、いつもの赤子から本来の姿を現したマーモンがそう忠告する。頭に乗るファンタズマが落ち着かない様子でキョロキョロと忙しなく身体を動かしていた。深く被ったフードから見えるのは逆三角の模様と口元だけで、その表情を窺い知る事は出来ない。
「へえ、珍しいじゃん」茶化すようなベルフェゴールの物言いに、マーモンはふんと鼻を鳴らしただけだった。

「名前、もういいよ」

「はい」

役目を終えたクラゲが匣の中へと消える。外したヴァリアーリングと匣を隊服にしまいながら名前は振り返った。見たところ外傷は何もなさそうだ。返り血も付着していない。随分綺麗に殺すものだとスクアーロは目を細めた。血の気の多いヴァリアーでこの手のタイプは珍しい。
どうぞ、と名前は手に持つ麻袋をスクアーロに差し出す。中には回収した無傷のリングと匣が入っている。「ハッ、上出来だぁ」リングも匣もそれら自体が一点ものの為ランクが低くとも価値がある。ぐしゃりと乱暴に名前の頭を撫でながらスクアーロが笑う。

「名前」

「はい?」

トントン、と耳を指先でさしながらスクアーロが言った言葉に名前は顔を凍り付かせた。「ボスからだぁ」インカムをしろと目線が言っている。
何か粗相をしてしまったのだろうか、顔を青褪めさせた名前は諦めたように震える手でインカムを装着する。「苗字です」囁き程度の声量だったが、相手にはきちんと伝わったようだった。

「名前」

「は、い」

「悪くねぇ」

ひゅう、と上手く呼吸が出来なくて喉が鳴る。これは──褒められた、のだろうか。
今の彼女は返事をするのに精一杯、後ろでレヴィが「ボス!!」と半狂乱で何か叫んでいるがそれに耳を傾ける余裕はない。「マーモン」XANXUSは一言そう告げたきり、彼女の反応を待たずしてあっさりと最低限の会話を終了させた。

「…なんだい、ボス」

「約束通り報酬は倍だ」

その言葉を聞いて礼を述べたマーモンの口元は珍しく嬉しそうに歪められていた。小さく笑い声まで出している様子から、元の報酬金額が分からずとも相当の金額だと思われる。赤子の姿になったマーモンが名前の肩に乗り、小さな手が彼女の頬に触れた。

「良くやったね」

「ありがとうございます」

ここで漸く名前が嬉しそうに目を細めて笑った。彼女にとってはXANXUSに認めてもらうよりもマーモンに褒められる方が何倍も価値がある。──口が裂けてもレヴィの前では言えないが。

「何か欲しいものがあるなら言ってごらん」

「うっわ、激レアじゃん」

幻聴?と思わずベルフェゴールが口を挟んだ。そのくらい、守銭奴なマーモンが自分以外の人間に金を出す事を提案するなんて俄かに信じ難い。そんなマーモンに彼女が何を強請るのか、彼は少しだけ興味があった。

「…髪を結ぶものが欲しいです」

「はあ?」一瞬聞き間違いかと思うが、自身の長い髪に触れながらそう答えた彼女は至って真面目だった。
「ゔお゙ぉい!!帰るぞぉ!!」報告を終えたスクアーロの声で雑談は中途半端に終わってしまったが、数日後、ヴァリアー本部では髪を結う赤いリボンに嬉しそうに触れる名前の姿が複数人に目撃されている。

20.10.05
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