迷子の彗星


寝返りを打とうとして、直後全身を駆け抜けた激痛に思わず呻き声をあげて名前は目を覚ました。──こんなに最悪の目覚めは久しぶりだ。
全身が筋肉痛のように悲鳴を上げ、特に腹部がその比ではない。起き上がろうとすると後頭部に痛みが走り、触れてみるとたん瘤が出来ている。ふう、と起き上がる事を諦めて息を吐き出した名前は意識を失う前の出来事を思い出そうとした。

「……生きてる」

任務の最中だったとそれを思い出すのに然程時間は掛からなかった。問題は今自分が生きているという事。
ヴァリアーにおいて、任務の失敗は即ち死を意味する。任務に当たっていた事は覚えているが、細部までの記憶が抜け落ちている。生きているという事は一応任務は成し遂げ、この怪我はその後の自らの失態によるものなのか。
うーん、とじっと天井を見つめ答えの出ない問いをし続けるが、それはガチャリとドアノブを捻る音がして呆気なく終わりを迎えた。

「ゔお゙ぉい!起きてるかぁ」

「……スクアーロさん」

てっきり見捨てられたのかと、という軽口は言うか迷って結局止めてしまった。
首の裏に太く逞しい腕が回され、一瞬で上体を起こさせる。怪我人にはもう少し優しくして貰いたいものだが、ここまで運んでくれたのは彼なのだから文句など言える立場にない。そのまま口元にミネラルウォーターの入ったペットボトルを押し付けられた。飲め、という圧に大人しく従い、こくりと喉が上下する。一口に止めるつもりが、そのまま立て続けにそれを受け入れてしまい、存外喉が渇いていたのかと名前は客観的な分析をした。
患部に包帯が巻かれている事に気が付くのにそう時間は掛からなかった。誰がやってくれたのかなんて愚問だ。放置されれば間違いなく死んでいた可能性もあるので、この際羞恥心云々は丸ごと水と一緒に胃の中に入れてしまおう。

「ご迷惑をお掛けしました」

「死なれちゃ困るからなあ」

今回の任務の相手がスクアーロとだったのは、彼女にとっては幸運だったようだ。これが彼以外のメンバーだったらまた話が変わっていただろう。スクアーロは立場的にNo.2というだけあって、ヴァリアーの人員不足の深刻化の件は耳が痛い筈だ。任務失敗などの致命的な要因でもない限り、幹部の人間に向ける慈悲の価値はあると知っている。
頭の奥がぼんやりとして、瞼が重い。恐らくは血が足りないのだろうと、名前は弱弱しく椅子に無造作に掛けてある隊服を指さした。

「増血剤、取ってください」

「…これかぁ?」

銀色のタブレットケースをポケットから引っ張り出したのを視界に入れて、名前が小さく頷く。失敗した、と声に出さず胸中思う。注射器タイプのを持っていれば良かったと。とてもじゃないが今は飲めないので、ひと眠りしてから考えるとしようと、名前はすぐに結論を出した。

「あとで、飲みます。サイドテーブルに置いておいてください」

「……」

力なくベッドの上で目を瞑る名前は、スクアーロがこれからしようとしている事の予想すら出来ない。
ギシ、とベッドのスプリングの悲鳴を聞いて初めて、その事態に気が付いた。さらりと頬に掛る輝くような長い銀髪。「何、を──」その擽ったさに目を開けた名前は、近い距離に居るスクアーロに動揺を隠せない。
ぐ、と顎を掴んで口を無理矢理開けさせ、そのまま唇が重なる。「ん、んっ」ぬるい水と共に舌で押し込まれた錠剤をされるがままの名前は大人しく飲み込むしかなかった。問答無用でそれを立て続けに2回され、解放された頃には息も絶え絶えだった。スクアーロだけがひとり涼しい顔をしている。
彼の事だから薬を飲ませる事以外の他意はないのは重々名前も解ってはいるが、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

「なんだぁ、まだ足りねえか」

「だ、大丈夫ですからもう勘弁してください」

頬をひと撫でしてスクアーロが揶揄うように笑う。なんだかドッと疲れが増した気がするのは気のせいだと思いたい。
「大人しく寝てろぉ」と大きな手が乱雑に名前の頭を撫でる。どうやら意外と面倒見は良いらしい。あとは睡眠を取れば動けるくらいには回復するだろう。
目を閉じた名前を確認してスクアーロがベッドから立ち上がるが、小さな力が出ていこうとする彼を引き留めた。くい、と隊服の裾を弱い力が引っ張る。なんだあ、と彼が視線を向けると、閉じていた筈の黒曜石の瞳が真っ直ぐ彼を見つめていた。

「…一緒に、寝てくれませんか」

「あぁ?!」

こいつ正気かと思わず聞き返した怒声は、「さむい」という呟きに瞬時に勢いをなくす。隊服を掴む手を握れば指先まで氷のようにひんやりと冷たい。──血を流し過ぎた所為か。少しだけ考える素振りを見せた後縋るような瞳に根負けしたのか、スクアーロは乱暴に隊服を脱ぎ捨てた。
ブランケットを捲れば外気に敏感に反応をした名前が身体を震わせる。「我慢しろぉ」と呻く名前の身体を引き寄せ、2人仲良くブランケットに包まった。肩に名前の頭を乗せ、寒いと震える彼女が出来るだけ暖を取れるよう密着する。
どう動けば身体が痛むのか大分把握したらしい名前は自分でもぞもぞと位置を調整して納得のいく体勢になったのか満足そうに口元を緩めた。人肌の心地よさはブランケットの比ではない。安心感がまるで違う。対照的にスクアーロは酷く複雑そうに溜息を吐く。

「無防備すぎじゃねえかぁ」

「スクアーロさんは、変な事、しない…から」

確かに彼に手負いの女を手籠めにするという血生臭い趣味はない。けれどこれは──信頼されているのか舐められているのか。
辛いのか将又眠いのか、途切れ途切れにそう言う名前にこれ以上の会話は酷だろうと判断して、スクアーロが無言で頭をそっと撫でる。彼の髪と対照的な艶やかな黒が指の間をすり抜ける。「Sogni d'oro」その言葉を最後に、名前の意識はそこで途絶えた。

20.10.14
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