青は薄い闇のこと


「ルールはただ一つ。どちらかが死ぬまで戦い続けること」

「せめて倒れるまでにしてください」

ボンゴレアジト地下8階、トレーニングルームにて。
雲雀は目が合った瞬間逃げようとする彼女の首根っこを問答無用で引っ掴み、そのまま引き摺られるようにして連れてこられた名前は薄っすらと赤みを帯びている喉元を撫でながら日本になんて来るんじゃなかったと心の底から後悔した。雲雀に見つかってしまったのが運の尽きだ。今日本当に死ぬのかもしれない。
高い天井と広いフロア。無駄なものが一切なく、まるで巨大な匣の中にでも居るような気分になる。トレーニングルームと呼ばれるだけあって、あらゆる匣の使用にも耐え得る造りになっているのだろう。並盛町の下に秘密裏に造られた此処は沢田が直々に設計に携わっているが故、彼の守護者たちにとっては実に利便性が良いようだ。
出入り口は雲雀の背後にある一つだけ。目線に気付いた雲雀がやれるものならどうぞと言わんばかりに口角を上げる。まるで思考を読まれているようで、ひくりと名前は口元を引き攣らせた。大抵は幻術をかけてしまえば脱出に手間取る事はないのだが、相手が雲雀だと話も違ってくる。

「勿論匣を使用しても構わないからね」

殺し合いに明確なルールなど存在しない。卑怯等と無駄な正義感に駆られている人間から死んでいく。どんな手を使っても、最終的に地に足をつけている者が勝者だ。
好戦的に雲雀の切れ長の瞳が揺れる。名前を真っ直ぐに見つめるそれは獲物を見つけた捕食者の瞳だ。ヴァリアーに所属する名前にこんな目を向けるのは彼くらいのものだ。

「名前、手加減は無用だよ」

「心得ております」

小さな身体を浮かせて入り口に佇むマーモンの言葉に名前はホルスターから拳銃を抜きながら答える。正直、守護者最強と謳われる雲雀恭弥相手に手加減をする余裕など持ち合わせてはいない。殺す気でいけとそういう事だろう。
マーモンの隣では雲雀の側近の草壁も控えている。最早何を言ってもこの状態の雲雀が止まらないのは長年の付き合いから承知しているようで、口を開く様子はない。
リングを装着すれば溢れんばかりの紫炎がその存在を主張する。そのままの勢いで匣にそれを注入すれば、仕舞われていた彼愛用の武器が炎を纏って現れる。

「さあ始めようか」

「お手柔らかにお願いします」

途端、身体の内側を潰すような重苦しい圧が部屋全体を支配し、思わず草壁は顔を強張らせる。両者から発せられる殺気はとてもじゃないが稽古相手に向けるそれではなく、まるで本物の殺し合いのようだ。
雲雀恭弥はまさにうってつけの存在だとマーモンは胸中思う。彼の戦闘能力はボンゴレの中でも群を抜いている。生半可な手合わせでは大した技術は身につかない。常に付き纏う死の存在、油断すれば命を失う環境でこそ自らの持ち得る能力は成長し、最大限発揮される。
その点では名前が身を置くヴァリアーも文句の付け所がなかった。所属する彼らもまた、一切の恩情がない。
たまには相手を変えてみるのもいいだろう、とそんな理由でマーモンは珍しく雲雀からの申し出を受諾したのだった。

動いたのは2人同時だった。一瞬で間合いを詰め、炎を纏うトンファーが獲物に向かって容赦なく振り下ろされる。身体を上手く捻ってそれを避け、名前は迷わず引き金をひいた。装填されているのは特殊弾、死ぬ気の炎の火力に溶かされぬよう強度は極めて高い。耳に響く金属音が数回、急所を狙った弾はすべてトンファーに弾かれる。やはり一筋縄ではいかないかと飛んできた玉鎖を身を大きく翻して避けながら厄介なものだと嘆息する。
じゃらりと鎖の嫌な音がする。空中では回避出来ないだろうと二撃目が間髪容れずに名前に牙を剥く。袖に仕込んでいるダガーを放り軌道を変え、壁に足を付いて衝撃を和らげた。
彼らはこれらを秒刻みで熟しているのだ、見ている方が視覚処理が追い付かない。

「ワオ。いいね、愉しめそうだ」

「その顔止めてください。怖いです」

トンファーの攻撃をサバイバルナイフ一本で往なすにも限界はある。
手入れされていた刃が無残にも刃毀れしているのを視界に入れて男女の力の差を思い知らされる。数回受けてこれだ。けれど最初の頃は受け止めるだけで腕が痺れて使い物にならなかったから、あの時よりも多少の成長はしたようだと実感する。自惚れでも何でもなく手加減などという言葉を知らない雲雀だからこそ、こんな些細な事で自らの能力の伸びを確かめる事が出来る。
パキン、と悲鳴を上げて到頭サバイバルナイフが鉤の餌食となり折れる。咄嗟に首を傾けた事によって直撃は免れたが、瞬間トンファーから飛び出した棘が名前の頬を抉った。痺れるような痛みと頬を滑る鮮血がシャツの襟を汚した。痛いのは嫌いだ。しかし、弱音を吐く事をマーモンは許してはくれないだろう。
ぴしりと地面が割れる。そこから伸びる鋭い枝先が雲雀の腹を狙った。雲雀の眉間に皺が寄る。舌打ちこそしないものの、幻術に対する嫌悪感がありありと見て取れる。雲雀に伸びる枝に紛れて投げられたダガーがお返しと言わんばかりに頬を掠めた。
はらりと彼の前で花弁が舞う。ぴたりと動きを止めた雲雀は、此処にある筈のないその枝が何の木なのかを知り目を細めた。名前に向けられている殺気が増す。

「お好きですよね、桜」

「──咬み殺す」

剣呑な色を瞳に宿し、トンファーを構える雲雀に愈々不味いと思ったのか草壁が「止めなくていいのですか」とマーモンにそう進言する。「愚問だね」誰が何と言おうと、それこそ死ぬ気で止めない限り、雲雀は誰の言葉も耳には入らない。
振り下ろされたトンファーを腕一本で受け止め、名前は歯を食い縛る。武器を仕込んでいなかったら今の一撃で折れていただろう。全くの無痛という訳ではないが、使い物にならなくされるよりは遥かにマシだ。
金属音がして側部から鋭い棘が飛び出すが、隊服に損傷は見られない。
ヴァリアーの隊服は防刃、防弾、防炎、防水とあらゆる戦闘を想定してかなり頑丈に作られている。デザインは不定期に変わり──その一切はルッスーリアの監修によるものである(本人曰く「流行は天気より移ろいやすい」)──派手な見た目とは裏腹に実に機能性に特化している仕様となっている。


「マーモン様、苗字様、こちらに──」


ピリピリと殺気立つトレーニングルームに数名のヴァリアーの隊服を着た部下が焦った様子で入ってきた。しかし問答無用で投げられたトンファーがその言葉を遮る。同時に金属同士がぶつかり合う高い音が響いた。
「ひっ!」隊員の真横の壁に突き刺さるトンファー、そして反対側には一本のダガー。
「僕の前で──」少しでもその場を動いていたらどちらかが顔に突き刺さっていただろう。

「群れるな」

「概ね同意します。庇ってあげられる程私にも余裕はありませんので早々に退出する事をお勧めします」

次は分かりません、と指の間にダガーを挟み名前は言った。名前がダガーでトンファーの軌道を変えなかったら確実に死んでいた。それなりに頑丈に造られている筈の壁面がたった一撃でこのザマだ。本気で殺すつもりで投げたのだと誰が言わずとも解り切った事だった。
名前としても万年人手不足の人員をこんな任務でも何でもない事で亡くしてしまうのは困る。その分の補填は己がする事になるだろうし、だからと言って雲雀相手にお荷物の面倒を見ながら挑むのは只の自殺行為に他ならない。
どうやらスクアーロからの無線伝達のようだが、名前もマーモンも揃って無線を切っていた為待機していた彼らが此処まで知らせに来たのだろう。「話は外で聞くよ」とマーモンが彼らの対応を引き受けてくれるようなので名前はそのまま雲雀の相手をする事にした。

「名前」

「はい」

退出の際、マーモンは彼女に背を向けたままただ一言だけ告げた。──「許可する」と。
それが何を意味するのか、主語がなくとも名前はよく解っていた。
静寂が訪れる中、名前が隊服のポケットから取り出したものを見て雲雀は口角を上げた。「ふうん」それは彼の降下した機嫌を直すには十分な威力を発揮した。

「やっとやる気になったんだ?」

「嫌だな、私はいつだって真剣にやっていますよ」

「雲雀さん」にこりと笑う名前の手には霧のヴァリアーリングとひとつの匣。随分と久しぶりに使うと手のひらサイズのそれを握り締める。早く開けろとでも言いたげに指先が疼く。
リングに鮮やかな藍色の炎が灯る。草壁はごくりと生唾を飲んだ。雲雀ですら、名前の匣兵器の開匣を見るのは今日が初めてだ。

「これを見るからには無事で済むと思わないでくださいね」

「いいね。全力の君を咬み殺してこそ意味がある」

ヴァリアーの面々でさえ、未だ彼女が匣を使用する姿を目にした事がない者も居る。マーモンの許可なしには開匣はしないという彼女の意思はそれ程までに頑なだった。
今まで幾度となく命のやり取りをしてきたが漸く全力の苗字名前と戦う事が出来る。雲雀にとってこれ程心が沸き立つものはない。

「これは──」

霧クラゲ(メドゥーサ・ディ・ネッビア)

草壁の呟きを拾い上げ、名前自身も久しぶりに見るその姿を瞳に映す。こんなに心奪われるような匣兵器がこの世に存在したのかと、草壁は暫し“それ”から目が離せなかった。
藍色の炎を纏い、薄青く透き通るからだを揺らして空気中を浮遊するクラゲ。
「ロール」長く伸びるクラゲの触手を警戒するように目を細め、雲雀は出し惜しむ事無く己の匣兵器を開匣した。きゅう、と小さなハリネズミが蠢くクラゲにびくりと身体を震わせる。

「気を付けてくださいね、触手に触れると10分と持たずに死んでしまいますから」

キロネックスは立方クラゲの中でも最大種であり、体長は凡そ2,5メートル、触手は15本、既存するクラゲの中で最も強い毒性を持つ事で知られている。その毒性はハブクラゲを上回り、触手に触れれば激痛の後に傷口の壊死、呼吸困難、視力低下などの症状が現れ、10分で死に至る。霧クラゲは24個ある眼点で死ぬ気の炎を認識し、ただ空気中を浮遊するのではなく自ら移動する事が出来る。
更に厄介な事にキロネックスは1匹ではなかった。時間が経過する毎に一匹、また一匹と増えている。彼女の身体には雲の波動も流れているのではないか、と推測した草壁は今回ばかりは分が悪いのではと心配そうに雲雀に視線を向けた。

「ロール、球針態」

炎を喰ったロールが徐々に膨張し、クラゲを取り込んでいく。吸い込まれるようにして消えていくクラゲを見ても、名前が焦る様子はない。
ぴたりと球針態の成長が止まる。軈て苦しそうな鳴き声が聞こえ、じゅう、と何かが焼け爛れる音がした。触手に高濃度の炎を纏わせれば触れたものを熔解する事も出来る。それは匣兵器にも言わずもがな有効だ。
それに気を取られた一瞬の隙を見逃さず、名前は雲雀の間合いに踏み込んだ。片方しかないトンファーなど、受け止めてしまえばそれ程脅威にはならない。雲雀の腕を掴み不安定な態勢でも構わず身体を捻って腹部を蹴り上げた。手応えがなかったと、吹っ飛んだ雲雀を目で追いながら名前は小さく溜息を吐く。しかもその先には壁に突き刺さったまま置いてけぼりを食らっていたトンファーがある。

「キース、ご苦労様」

カラン、と雲雀の意思に反して手からトンファーが滑り落ちた。──正確には握っていられなくなった。驚いたように目を瞠った彼は、そのまま片膝をついた。右腕が痺れるように痛い。
目に映る範囲では自らの周りにクラゲはいなかった筈だ。伸びる触手にも最大限警戒していたし、その大半はロールに取り込まれている。一体、いつ触手に触れたのか──ぴくりと雲雀は苦々しげに唇を歪め、名前を見た。これだから術士はいけ好かない。

見える(・・・)ものだけを創る訳じゃないんですよねえ」

ゆらりと何もなかった空間が歪み、憎たらしいその巨体が現れる。在るものを無いものとするのもまた、術士にとっては造作もない事だ。
視界が霞み、喉元が押さえつけられているかのように苦しい。「あまり時間がないようですね」その様子を見た名前がポケットに手を突っ込みながら雲雀のもとへと足を進める。取り出したのは手のひらサイズの使い捨て注射器だった。それを打つべく屈もうとした名前は完全に失念していた。──まだ雲雀が左手のトンファーを手放していなかった事、彼が極度の負けず嫌いだという事を。

「…どちらかが死ぬまで、と言ったはずだよ」

「……っ!」

からん、と注射器が落下する。ガードする間もなくトンファーの一撃を食らった名前はそのまま受け身も取れずに身体を激しく壁に打ち付けた。

「恭さん!」

「……哲、うるさい」

焦った様子の草壁が声を上げて雲雀へ近寄る。勝敗がついたからか、それ以上雲雀が何かを言う様子はない。
炎切れで両者の匣兵器も匣の中へと戻り、名前の掛けていた幻術も解けた。

「早くそれを打った方がいいよ」

死にたくないのならね

いつの間に戻ってきていたのか、意識のない名前を抱える本来の姿のマーモンが落ちている解毒剤に視線を向けて言う。流石の雲雀もクラゲの毒の耐性がある訳もなく、むっとした表情のままけれど文句を言う事もなくシャツを捲って拾い上げたそれを刺した。手首に浮き出ている赤くなった蚯蚓腫れが酷く痛々しい。
名前は脳震盪を起こしたようでマーモンの手が後頭部に触れば「うう、」と小さな呻き声が漏れる。

「まだまだ詰めが甘いね」

厳しい事を言う割に声は労わりの色を帯びている。「悪くはなかったよ、それじゃあね」フードを深く被っている為、その顔が何を考えているのか読み取る事は難しい。一言そう言い残し、名前を抱えたままマーモンは2人の前から姿を消した。

20.09.30
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