こちら最果てにて


「その日、両親の結婚記念日だったんですよねえ」まるで楽しい思い出でも振り返るように、名前は穏やかな顔で言う。

夏季休暇を利用して両親と3人でイタリアへと旅行に来ていた苗字一家は、そこでマフィアの抗争に巻き込まれた。ボンゴレと対立する過激派マフィアとの抗争だった。その時の事を、名前は殆ど記憶していない。あまりにも一瞬で、非現実的で──覚えているのは、焦げ臭いニオイと昇る煙、両親の逃げろという叫び声。
3人は崩れた瓦礫の下敷きになった。名前を庇うようにして覆いかぶさっていた両親は即死、名前自身も倒壊した家屋の一部が腹部を貫通、助け出された時は一刻を争う状態だった。
ボンゴレの息のかかった医療機関ですぐさま臓器移植を伴った大掛かりな手術が行われた。10時間を優に超える手術は無事に成功した──が、1年を過ぎても名前の意識は戻らなかった。加えて移植後の内臓の数値が安定せず、24時間の薬物投与が必須、辛うじて生きてはいるが死んでいるのと大差ない状態だった。
両親も死亡、親類も居ない名前のこれからの処遇については何度も話し合われた。全責任は一般人を巻き込んでしまった我々にあるとボンゴレ9代目は考えられる手は惜しまず使い、名前のケアに当たった。それでも彼女が目を覚ます事はない。
これ以上の回復の見込みはないのではないか。脳死判定が医療従事者の脳裏を過るがそれは9代目が許さなかった。彼は諦められなかった。もしかしたら、という希望が捨てられなかった。すまない、と病室に何度も足を運ぶその姿に、関係者の多くは胸を痛めた。

名前とマーモンが出会ったのはそんな時だった。──尤もこの時の彼女は自分の置かれた状況を解っておらず、夢の中だと始終思っていたのだが。
その出会いで彼女は究極の選択を迫られた。このまま死ぬのか、将又生きたいのか。
結果として、名前は後者を選んだ。マーモンとどんなやり取りがあったのか、その一切を名前は誰にも明かしていない。勿論目の前の獄寺にも、教えるつもりはない。

何の前触れもなく突然意識を取り戻した名前は、それからみるみる快方に向かっていった。奇跡だと、Dr.シャマルを含めた名前に関わった医療従事者が口を揃えて言った。しかし移植した臓器は結局長くは持たず、マーモンが幻術で臓器を創り、彼女を延命させた。
突如現れた独立暗殺部隊の幹部からの打診には多くの関係者が反対をした。ヴァリアーが「揺りかご」「リング争奪戦」2つのクーデターを起こした件は彼らの中に根強く残っている。それでも、苗字名前を生かせるのならと9代目は周りの反対を押し切りマーモンの提案を受け入れた。マーモンと名前の間に何があったのか、9代目が問い質す事はなかった。

「強くなりたい」──あの人の隣に立つ事の出来る力が欲しい。喋れるまでに回復した名前が9代目を前にして言った言葉だった。その瞳には一切の迷いがなかった。どこか悲しそうに瞳を揺らし、柔和な表情を崩さずに9代目は口を開いた。

「我々が君の両親と君自身の未来を奪ってしまった。それでも──」

「過ぎた事です。今の非力なままの私では死んだも同然。私はあの人の為に生きると決めたんです」

だから、力をください

「全面的に君をサポートしよう」9代目は名前とそう約束を交わした。そして、それを違える事はなかった。
力を付けた苗字名前がボンゴレに復讐する機会を狙っているのではないかとそう考える者も少なくはなかった。またヴァリアーがクーデターの起こすのでは──噂が噂を呼ぶ。しかし9代目が認めた手前強く出られる者がいないのもまた事実だった。
誰にどう思われようと、当の本人は興味の欠片もなかった。そんな些末な事に意識を向ける時間すら惜しいというのが本音だ。過酷なリハビリから始まり、元々がただの非力な一般人である名前がマーモンの隣に立てるようになるまでの道のりは険しいなんてものではない。ヴァリアーの入隊ですら狭き門なのだ、並大抵の努力で小娘一人が生き残れる程、この世界は優しくはない。
そしてマーモンの為だけに生きると決めた「非力だった」少女は、数年後見事にその悲願を果たした。
これが苗字名前のヴァリアー入隊までの経緯の全てである。
ペットボトルに付着した水滴を悪戯に突いて、名前は笑う。

「恨んでなんていませんよ」

「………」

「私の願いを叶える為に尽力してくださった9代目にはとても感謝しているんです」

「…親が死んだ原因でもか」

「はい。恨んだところで両親が蘇る訳でもないですしね。過ぎた事ですと9代目にも言いました」

「………そうか」

ふあ、と欠伸が一つ漏れる。つまらない話をしてしまいましたね、と頬杖をついた名前が言う。行儀は悪いが全て酒の所為にして正当化してしまおう。幸い、獄寺が咎める様子はない。

「お前が」

「……?」

「苦しんでいないのなら、それでいい」

掛けられた言葉は名前がまったく予想しなかったものだ。目を丸くする彼女の頬を労わるように獄寺の手が触れる。その感情の意図が読めずに名前は戸惑いを隠せない。恐る恐る触れる手に自らのそれを重ね、名前は目を伏せる。
大きなあたたかい手だ。数えきれない程の命を奪ってきたあたたかい怖ろしい手。
「少しだけ、」ぽつりと呟いた名前がこつんと頭を獄寺の肩口に寄せる。弱弱しい力が行かないでとばかりにシャツを掴んだ。

「少しだけでいいので、こうさせてください」

「…勝手にしろ」

ぜんぶ、お酒の所為だ。瞳を閉じた名前が自分にそう言い聞かせる。頭の中がぐるぐるとして思考が上手く纏まらない。
マーモン以外の誰かに弱い部分を見せたのは久しぶりだった。弱音など吐いたところで何の解決にもならない、無意味な行為。けれど──不器用に名前の頭を撫でる手に堪らなく泣きたくなるのは何故だろう。
背に回される手が泣き止まぬ子どもを慰めるように緩やかなリズムを刻む。泣いている訳でもないのに、その普段の振舞いからは想像も出来ない獄寺の仕草に彼もまた酔っているのだろうと都合の良い解釈をする。

「……苗字」

「……」

「…おい」

どのくらいそうしていたか、やけに身体の力を抜いているなと思って確認したらこれだ。獄寺は大きな溜息を吐いた。
少しだけと縋るような目をしていた瞳は今は静かに閉じられ、薄く開いた唇からは規則正しい寝息が漏れる。「おいコラ起きろ」肩を揺らしてもうんともすんとも言わない。普通この状況で寝るか?獄寺は頭を抱えた。
やがて諦めたのか、グラスに残る少しの酒を乱暴に流し込み、獄寺は名前を抱えたまま立ち上がった。彼女が来る前に邪魔だと椅子の背に脱ぎ捨てたネクタイもジャケットももうハンガーにかける気も起きない。
ちらりとそれらを一瞥して、獄寺は寝室へと足を進めた。

一人部屋なのでベッドは当然一つ、そしてそんなに広くもない。が、小柄な彼女と2人でなら多少窮屈な程度だ。眠れない事はない。起きないのが悪いのだと半ば強引にそう決め、獄寺は起こさないようにそっと柔らかなシーツの上に下ろした。
いつもスーツに身を包み澄ました顔で構おうにも手のひらから零れ落ちる水のように逃げてしまう女が、獄寺の下で無防備な姿を曝け出している。
不思議とそういう気分にはならなかった。酔った女に手を出そうとは思っても、寝ている女をどうこうしよう等とする程そこまで腐っても飢えている訳でもない。
ストラップを外して靴を脱がし、暗闇の中でも控えめに輝くイヤリングとネックレスも慎重に外す。特にネックレスは気を抜くと華奢なつくりのチェーンを千切ってしまいそうで酒が回っている身としては難易度の高いものだった。
サイドテーブルにネックレスとイヤリングを置き、自身の腕時計も隣に置く。手探りで結われている髪も解くと、やっと自由になれたと言わんばかりに緩く癖の残った波打つ髪が広がった。気まぐれにその長い髪を指に絡ませてもするすると指の間を縫って逃げられてしまう。真っ白いシーツにその髪はとてもよく映える。いつも後ろで一つに結われている為、解けた姿を見たのは初めてだった。
随分と印象が違うものだとあどけなさの残る無防備な寝顔を見て獄寺は思う。

「む、う」彼の心境など知った事ではないとでも言う風にころりと名前が身体を横にする。それに無意識に目を細めて柔らかく笑ったその姿を眠る彼女は惜しくも見逃した。
ふあ、と込み上げた欠伸を噛み殺し、気怠そうにベルトを引き抜いて床に落とした。ごとりと音がしても、名前が起きる様子はない。
大きく入ったスリットから覗く白い足が眩しい。まるで誘われるように、ゆっくりと獄寺は手を伸ばした。ぱちりと何かを外す音がして、獄寺が装着されていたホルスターを引き抜く。一丁の拳銃と短刀がひとつ。これさえなければ、苗字名前はどこにでも居るような年頃のただの女だったのに。けれど、名前がただの女だったなら、2人は出会う事すらなかった。可笑しな話だ。
もう一度手を伸ばし、今度はストッキングに手を掛ける。疾しい気持ちは微塵もない筈だったのに、「んん、」と名前が試すように小さく声を洩らすものだから、気持ちが揺らぎそうになった。
これで大分寝やすくはなった筈だ。ドレスが皺だらけになる事くらいは目を瞑ってほしい。知らない間に下着を晒されるよりマシだろう。そうなると獄寺自身も忍耐の限界だし、その時は無理矢理にでも叩き起こしてお相手願うしかあるまい。

「…これくらいはいいだろ」

やっとその身を横たえた獄寺は横を向いて身体を丸めて眠る名前を抱き寄せる。鼻孔を擽る甘ったるい香りは嫌いではない。
なんだか今日はよく眠れそうだと何処か満たされる気持ちを正直に認めて、獄寺はそっと目を閉じた。

20.09.22
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