毒か蜜かも分からない


「まるでお伽噺の舞踏会会場ですよねえ」

「まさに金と労力の無駄だよ」

壁に背を預け、手元のグラスをゆらゆらと揺らしながら微妙に噛み合わない会話をする2人。名前の肩に乗り不機嫌そうにマーモンは会場内にわんさかと居る人間を睨みつけた。
「時間外手当はきっちりと請求させてもらうよ」──この話が来た時に真っ先にマーモンが口にした言葉だ。確かに、守銭奴ではない名前ですら手当を貰っても良いのではと思ってしまう程、全くの時間の無駄、不利益極まりない。
万が一狙撃でもされてこのシャンデリアが落とされた場合、一体何人が下敷きになって死ぬのだろうと暗殺者目線でぎらぎらと目を刺激する輝きを放つ然う然うお目に掛れない規模のそれを見上げる。これが世にいう職業病というやつか。
この会場に招待されている人間も「この業界」ではそこそこ名の知れたファミリーと幹部であり、先程から嫌でも目に留まる。ボンゴレ主催のこのパーティーにはそれこそ数えきれない程の裏社会の人間が現在進行形で出入りしている。挨拶回りで早くも疲労を滲ませた様子の沢田とぴったりとその横に着く獄寺を時折視界に入れ、大変そうだと在り来たりな感想を思い浮かべた。

「名前!」

退屈そうに壁に寄りかかり一口しか口にしていないお飾りのシャンパングラスの処理に困っているとどこからか彼女を呼ぶ声がした。人混みを縫うようにして名前たちの方に歩いてくるのは眼帯を付けた小柄な女性──

「こうしてお会いするのは久しぶりですね、凪さん」

そのドレス、とても似合っていますよ

先程までの気怠そうな雰囲気は瞬時に消え失せ、目元を優しく緩ませながらまるで恋人にでも囁くようにそう言った名前にクロームは血色の良い頬を更に赤らめる。それすらも彼女の愛らしい容姿を引き立てる一因にしかならず、先程から彼女に対して向けられる視線の含みが名前にはよく理解できた。普段の装いとは違って深い紫色のドレスは幼さの残る顔立ちを上品に引き立て、薄く塗られた口紅が艶やかに光る。その唇に名前を呼んで欲しいと一体何人の異性が渇望しているのだろうかと考えると、あっさりとそれを叶える事が出来る名前は湧き上がる優越感に心を躍らせた。

「名前も…きれい」

きゅう、と控えめに両手で名前の手を握るそのいじらしい仕草に心臓がもどかしく疼いた。同性から見てもこれだけの可憐さを備え持つクロームは異性からどう映っているのかと名前は常日頃から疑問に思っている。
いつもならこの辺りで水を差すような言葉を平気で宣う彼が現れるのだが、今日はその気配がない。小さく首を傾げた名前に気が付いたのか、クロームは少し寂しそうな雰囲気を出しながらおずおずと口を開いた。

「骸様、今日居ないの」

「…まあ、こうもマフィアだらけだとそうなりますよね」

仮にもボンゴレの現守護者だろうに、と居ない彼に向かって嫌みの一つや二つ言いたくもなるのだが、実際はヴァリアー側も当然のようにボスであるXANXUSが来ていない為ぐうの音も出ない。代わりに舌打ちをしながら押し付けられた仕事を熟しているであろうNO.2に心の中で合掌した。偉くなると当たり前のようにこうして雑用を押し付けられ、尻ぬぐいをさせられるのだから出来れば一生下っ端幹部でありたいと名前は願う。
恐らく参列していないのは骸だけではなく、あの群れを死ぬほど嫌う雲の守護者もだろう。自らの周りに3人以上人間がうろつくだけであからさまに機嫌が急降下して手が出る彼が、この人数の中で大人しくしていられる訳がない。

「勝手にいなくならないでくださいー」

ずしりと名前の頭が一瞬にして重みを増し、両肩にだらりと腕が凭れ掛かる。マーモンはその気配に気が付いていたようで、無情にも名前を置いてけぼりにして一足先に飛び退いて難を逃れていた。
「…ごめん」と瞳を伏せて小さく漏らしたクロームに「聞こえませーん」と感情のない言葉が更に追い打ちをかける。

「凪さんをあまり虐めないでくださいね」

頭から肩に移動した重みに向かって名前が持っていたシャンパングラスを押し付ける。しかしそれを彼女の手ごと掴むと、そのままぐいと一気にグラスを煽ってしまった。「うえーぬるい」ぽつりと零された感想は驚くほど感情が籠められていない。
空になったグラスを名前の手から浚って近くのウェイターに渡し、無造作に乗せられていたグラスをひとつ取ると今度は名前の口元にそれを押し付け、容赦なく傾けた。口の中に侵入してきたひんやりとした液体を反射的に飲み込んでしまった名前は己の失態に気付き目を見開く。喉の奥が熱く、胃の中がずっしりと重くなる。

「お返しですー」

「フラン!」

咎めるように声を上げて、クロームは取り出したハンカチで名前の口元から零れ落ちる液体を優しく拭き取る。「汚れてしまいますよ」と止める名前に対して「いいの」と彼女にしては強引に押し切り、けれど真っ白いハンカチに付着する口紅の色を見てしまい、申し訳ない気持ちがふつふつと湧いてくる。
幸い名前のドレスはラメの入った深紺、素早く拭き取ったお陰もあって目立つシミにはならなかった。困ったように眉を下げていた彼女だが、それでもクロームの好意を無碍にする事も出来ずにお礼を述べると「うん」と彼女は満足そうに頷いた。

「なーんでミーが悪者になってるんですかー」

「クリーニング代は払って貰うからね」

「うげー」

請求書は六道骸宛てでとトドメの一言を告げると、がめつい性悪ベイビーめと幼さの残る中性的な顔立ちからは想像もつかないような悪態が飛び出した。
シャンデリアの光に反射してきらきらと輝く宝石のようなエメラルドグリーンの髪が不満げに揺れる。きちんと背筋を伸ばしてスーツを着ている姿は中々様になっているのだが、頭に被っているカエルがそれを見事なまでに打ち消している。
本当にブレない子だなあと名前は胸中思った。抑揚のない声も、無感情な瞳も、如何なる時も崩れないその表情も何一つ変わってはいない。
頭の奥がぼんやりとする。そっと瞳を閉じると、冷たい指先が名前の頬を無遠慮に滑った。

「相変わらず激弱ですねー」

「知っていて飲ませるんですから、良い性格をしていますよね」

酒に興味がまるでない名前はフランが何を飲ませたのか、銘柄もアルコール度数も全く分からない。空きっ腹に飲みなれないアルコールを突然入れてしまったのがいけなかったのだろうと諦めたように溜息を吐いた。
何かを感じ取ったのか、目を開けた名前がゆらりと不自然に一歩横にずれる。それと同時に飛んできたナイフがフランの被るカエルに突き刺さった。「ゲロッ」それっぽい呻き声が隣から聞こえるが名前はそ知らぬふりだ。
体内に滞留するアルコールが酷く億劫だが、流石暗殺専門の部隊幹部というべきか、えげつない角度からの投ナイフに動揺する様子はない。はあ、とマーモンが大きな溜息を洩らす。

「うしし、良い的はっけーん」

「ベル、ここで遊ぶのはやめなよ」

窘めるマーモンの声が聞こえているのかいないのか、指先に挟むナイフをくるくると弄び、歯を見せてベルフェゴールは笑った。
「堕王子センパーイ痛いじゃないですかー」引き抜いたナイフを問答無用で投げ捨て、フランは抗議の声を上げる。「誰が堕王子だ、あとそれ捨てんな!」第二投も頭で受け止め、2人のやりとりも相俟ってまるで大道芸でも見せられているような錯覚に陥る。
痛いという割に血の一滴も出ていないフランに最初こそ驚かされたものの、彼も術士、何故という疑問を持つことすら無駄だ。六道骸を師に持ち、マーモンも認める優秀な幻術使いの一人。名前も含め、霧の属性を持つ者は掴みどころのない人間が圧倒的に多い。

「凪さん、お怪我はありませんか?」

「大丈夫」

この騒ぎをスクアーロが聞きつけるのも時間の問題だろう。巻き込まれるのは御免だという思いは名前もマーモンも同じだった。
「さ、あっちに行きましょう」とクロームの手を引いて名前はにこやかに微笑んだ。

20.09.08
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