鮮やかな憂鬱


これは、約束などという優しく、生ぬるいものではない。


いいかい、名前。金にならない殺しはするんじゃないよ
勝手に死ぬ事も許さない
君は僕の──



マーモンの言葉は名前にとって絶対だ。初めてマーモンと出会った日の事を、名前は今でも鮮明に覚えている。決して忘れはしない大切な記憶。
米神に当てている銃口がひんやりとしている。そういえばこの拳銃はマーモンに初めて貰った武器だった。まるで他人事のように彼女はぼんやりとそう思う。身体の至る所に幾つも隠し持っている武器の中でも一番思い入れのあるモノ。これがこれから火傷するくらいに熱を孕むと思うと、何とも言えない感情が名前を支配する。けれど、マーモンの言いつけを違え、最後に自分の頭に風穴を開ける凶器としてこれ以上相応しいものはないだろう。
あの男が何を考えてこのような事をしたのか、名前には皆目見当がつかなかったが、どうせ碌な理由などない。余計な事をされた結果、自分とマーモンの未来が消えようとしている。この後未来に戻れたとしても、この時代において死んだも同然の状態の名前が生存出来る可能性は極めて低い。チェルベッロに始末されるかもしれないし、運よく生き延びたとしてもそれから名前がマーモンと会える保証はない。
些細な事象や選択で未来は呆気なく変わる。気分が悪くなるほどの感情が名前の中を駆け巡る。焦燥、悲しみ、怒り、諦め──無様に泣き喚こうが、気丈に笑おうが、もう未来は変わらない。


「…あなたとの先がない未来なんて、私には何の価値もない」


引き金をひく事に躊躇いなどない。──それが自分を殺める事に繋がる行為であっても、だ。


「まったく、何してるのさ」


一瞬、名前は幻聴でも聞こえたのかと思った。死ぬ直前の刹那の幻──けれど、指先を覆う何かが邪魔をして引き金をひけない事に気が付いた。
ぱちり、と瞬きをひとつ。名前は確かに見た──ふんわりと彼女の目の前に浮く、唯一無二のその人を。


「ま、もちゃん…」


酷く掠れた声だった。動揺に震える瞳に喝を入れるように、伸ばされた小さな手が彼女の頬を強かに打つ。
不自然に半透明なその身体は、彼女の腹部から伸びる管のようなものでその小さな体躯を繋ぎとめているようだった。

「僕の幻覚が君の身体の一部を創っているんだ。そこに僕の意思を介入させる事など造作もない事だよ」

見透かすようなマーモンのその言葉に名前はごくりと生唾を飲み込んだ。ピリピリと全身を静電気のようなものが駆け巡る。嗚呼怒っているのだと、本人に確認するまでもなかった。

「名前」

「は、い」

「左肩」

その言葉の意味を理解するよりも早く、身体が動いた。米神に突き付けた銃口は瞬時に的を変更し、言われるがままに引き金をひく。身体を巡る衝撃とそれを凌駕する痛みに眩暈がした。

「…ッぅ」

唇を噛み締め呻き声を最小限まで殺す。ぶつりと唇が切れたがそれに構う余裕などない。血塗れの弾丸が落ちる音が体育館に小気味良く響いた。傷口が焼けるように熱い。脂汗が頬を滑り落ち、心音に合わせて零れ落ちる血液が指先へ到達し、床を汚していった。

「君のその躊躇のないところは評価するよ。みっともない姿を晒さないところもね」

何か言う事はあるかい?

半透明のマーモンは淡々とそう告げる。ゆるりと伸びた半透明の触手が名前のネクタイを引き緩やかに絞め上げる。じわじわと首元が圧迫され、心臓がこれ以上ないくらいに脈を打つ。声を荒げている訳でも、殺気を向けられている訳でもないのに、まるで急所にナイフでも突きつけられているかのように感じて名前は生きた心地がしなかった。
今の名前にはマーモン以外の声も存在も認識する余裕などなかった。脳内を、視界を支配するのは目の前に居る絶対的存在ただ一人。何か言う事は、その問いかけが何度もリフレインする。何か、とは随分抽象的な物言いだが、マーモンが名前に望む言葉も、これから名前が言うべき言葉も一つしかない。

「申し訳…ありま、せん」

「それは、何に対してだい?」

「…あなたの言いつけを、破ろうとした」

「そうだね。──名前、次はないよ」

その言葉と共に拘束が解かれる。ゆっくりと深呼吸をして酸素を全身に行き渡らせる。そうでもしないと正気を保っていられなかった。
「止血していいよ」と一言告げ、マーモンはふわりと浮きながら名前に背を向けた。
片手でジャケットのボタンを外し、出来るだけ素早く脱ぐ。慎重にしたところで患部は肩、どう動いたって痛みがあるのに変わりはない。ジャケットは色が黒いお陰で遠目から見れば何の変化もなかったが、その下のシャツは目も当てられない有様だった。「うわ、」と遠目からそれを見ていた沢田が思わず口元を押さえた程だ。
ちらりと名前がマーモンに視線を向けると、何やらXANXUSと話をしている様だった。XANXUSは珍しく声を荒げる事無く会話をしているようで、声の響く造りの体育館の中だというのに内容が全く聞こえてこない。
マーモンが自分を呼ばないのなら、関与する必要もないという事だと結論付け、名前は真っ赤に染まったシャツを乱暴に引き裂いた。血だらけではあるが、これなら止血にも使えるしシャツを脱ぐ必要もない。出血は酷いが通弾しているし元の時代に帰った後ルッスーリアに頼んで傷口を塞いで貰えば化膿する心配もないだろう。
口と片手で器用に破いたシャツの一部を患部にグルグルと巻き、最後に思い切り力を入れて縛った。思わず小さな呻き声が漏れる。緩くなってしまっては意味がないのだから、と解っていても痛いものは痛いのだ。

「名前、行くよ」

「はい」

どこに、だとかそういった類の言葉は愚問だった。一体いつ元の世界へ戻るのか皆目見当がつかないが、それをここで待つ必要もない。どの道名前にとってはマーモンの意思が全てだ。
クロームに掛けていたコートを羽織り、傍に置いていた改造されたバズーカも忘れずに回収する。
うう、と呻き声が耳を掠める。事後処理の為に一人だけ生かしておいたチェルベッロからのものだった。思い出したように、名前は地に伏せる彼女に歩み寄る。その場にしゃがみ、彼女の耳元にそっと囁いた。

「“次会ったら一発ぶん殴る”──あの白い人にお伝えくださいね」

ぴくりと動く指先、返事はなかったがそれが答えだと受け取り、立ち上がった名前は踵を返した。

「あ、レヴィさーん」

「ぬっ?!」

「常に自分を律するその姿勢は純粋に尊敬しますが、もう少し他人に寛容的になってくださるととても嬉しいです」

まさか話しかけられると思っていなかったのか、ぽかんと口を開けて固まるレヴィの顔を見て苦笑を浮かべ、返事を待つ事なく名前とマーモンは姿を消した。

20.08.27
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