鮮やかな憂鬱


ヴァリアーは多くのマフィアから実力を評価されている暗殺部隊ではあるが、そこに属する殆どの人間は協調性というものが欠落している。人間業では到底クリア出来ないようなSランク任務を主に請け負う為、内容にもよるが単独行動は粗ないと言っていい。
それなのに、人間として大事な部分がごっそりと抜け落ちてしまっている彼らは助け合い精神も馴れ合いもクソもなく只管己の望みのままに動いている。
ボスに褒められたいが為、より強い人間と闘いたいが為、好みの死体が欲しい為、成功報酬が欲しい為、一時の退屈凌ぎになる相手が欲しい為──私欲だけは底を尽きない。
結果としてそれが上手く噛み合って任務達成に繋がっているだけで、あわよくば身内の誰かが死んでくれたら昇進も早いのにとすら思っているような他人に対して薄情な人間の集まりだ。

カチコチと時間を正確に刻む時計を見て、名前は大きな溜息を吐いた。普段は気にする事などないのに、今は静かな部屋に響く秒針の音すら煩わしく感じる。
予定時刻よりも2時間以上も早いが、今回の任務のパートナーが大幅な時間前行動を強制してくるが故、嫌々身支度を整えている最中だった。「レヴィが“こう”なのはいつもの事さ。気を揉むだけ無駄だよ」小さく欠伸をしてそう漏らしたマーモンは剥れる名前を一瞥した。
苗字名前は今でこそヴァリアーに身を置いてはいるが、それもまだほんの数年の話で、ヴァリアー内においてはまだまだ下っ端幹部に過ぎない。一般的な常識や知識は汚い世界など知らない一般人の頃に培われ彼女の中で静かに形成されていった為、時折こうして苦痛に思う事が多々ある。
右を向けと言われ左を向いたり足すら一歩も出す事もなく終いには自分が向いた方向こそが右、文句があるなら殺す──とまあそんな無茶苦茶な事を平気でのたまう集団の中で生きるのはある程度の常識を持つ人間にとっては酷以外の何物でもなかった。
今日もそんな理不尽に文句の一つも言えずに付き合わされるのだ、溜息の一つや二つ、不満の一つや二つ零れるのは仕方がない。
目の前が突如真っ白になったのは二度目の溜息を吐いたのと同時だった。名前は理不尽というものにつくづく好かれているようだと身を以て知る事になる。


***


ぱちりと瞬きを一つ。まず感じたのは目に飛び込んできた予想外の眩しさだった。マーモンと居た自室との明るさの差に目がついていかない。
眉間に皺を寄せる名前の耳に飛び込んできたのは「誰?!」というどこか聞き覚えのある幼さの残る声だった。この声は、確か──物の数秒で目を慣らした名前は目の前の光景にぽかんと口を開けた。
照明で煌々と照らされているその場所は自室でも何でもなく、どこかの学校の体育館、名前の視界の先のサークルの中に捕らわれているやけに若いボンゴレ10代目とその守護者たち。そしてそこから少し離れた場所で眠るように身体を丸めて倒れる一人の少女を視界に捉え、名前は少しだけ口元を緩めた。
殺気を感じて振り返ってみれば、同じようにサークルの中で大人しくしている、矢張り知っているよりも若い風貌の暗殺部隊のトップに立つ男と幹部たちの姿だった。

「わあ、みなさんお若いですねえ」

「はあ?誰オマエ」

思わず飛び出した彼女の言葉にいち早く反応を返したのは包帯で全身を覆う嵐の守護者だった。ややメンバーが欠けてはいるが、その言動からも間違いなく名前の知るヴァリアーの面々だった。
この状況、この感じ──やがて一つの事実に辿り着いた名前は納得したように手を合わせた。

「成程、これが噂に聞いていたリング争奪戦ってやつですか」

「その通りです」

コツリと靴音を立てて名前の前に桃色の髪を靡かせた2人の女が声を揃える。「あ!それランボの!!」「テメェらいつの間に!」若き10代目と嵐の守護者の声が体育館に反響する。
その女の一人が持つバズーカを見て、とんでもない面倒事に巻き込まれたものだと名前は思わず目頭を押さえた。
羽織るだけに留めていたコートを着直し、ボタンまできっちりと閉めていく。多少デザインが変わったとはいえ、そこに刻まれたエンブレムに変わりはない。耳に着けていたインカムを外してポケットにしまい、こちらをじっと見つめる瞳に応えた。

「随分勝手な事をしてくれたようですね」

その声は、彼女たちの真横から聞こえた。浮かべる笑みはそのままに、纏う殺意だけが色濃く浮かび上がる。ぞくりと背を這う悪寒の後、血腥い臭いが鼻先を掠める。呻き声一つ漏らす事もなく、重力に従って倒れる身体。瞬きの間にチェルベッロの横へと移動した名前の手には一丁の拳銃が握られていた。横たわる彼女に息はない。
体勢を整える時間すら与えられる事はなく、胸部に衝撃が走る。何かが砕けるような音が脳髄にまで響き、まともな受け身すら取れないまま容赦なく壁に打ち付けられた。肋骨が肺に刺さったのか、息を吐き出すのと同時に血が舞った。そして押し寄せる、確かな痛み──。
ひゅう、と苦しげな呼吸を繰り返す半死半生のチェルベッロには一瞥も呉れず、名前は血だまりの中に置いてけぼりにされたバズーカを拾い上げ、じっと探るように見つめる。噂には聞いていたが、実際にタイムトラベルを体験したのは今回が初めてだ。
そもそもこれはボンゴレの雷の守護者の所属しているファミリーの独自の開発品。そのバズーカは素人目に見ても改造が施されているのは明らかだった。複数の数字の羅列が並んだダイヤルが取り付けられている。
名前はこの数字を見てピンときたようだった。道理でタイムトラベルの時間軸が大幅にズレている訳である。リング争奪戦があったのは名前の居た世界の時間軸から計算すると10年以上は前の話である。どんなに甘く見積もってもバズーカの効果範囲を優に超えており、そんな高度な技術が過去であるこの世界でこんなに易々と実現出来る筈がない。

「…この時既に、貴女たちとあの人は繋がってたって事ですか」

リング争奪戦、そしてその後に起こるチェルベッロ機関と“彼”の繋がりも全て名前にとっては過去の話であり、その時代に彼女は一切の関与をしていない。もっと言えば名前がマフィアへと足を踏み入れたのはそれらが全て過ぎ去った数年後の話だ。
今この時代において、苗字名前はただの一般人であった事は紛れもない事実であり、そんな彼女を今この場に呼び寄せる事が可能な能力を持った人物を名前は一人しか知らない。名前の脳裏に胡散臭い笑みを浮かべた白い男がチラつく。全く、とんでもない面倒事に巻き込まれたものだ。
ちらりと体育館の壁に設置された大きな時計を見る。もう既定の時間は過ぎている筈だが一向に元の世界に戻る気配もない。本体が手元にあってもその仕組みが分からなければ何の意味もない。

「…生きていますね?」

その問いは、壁に凭れかかる様に倒れているチェルベッロに向けられたものだった。外の風の音に紛れて小さな呼吸音が聞こえる。ぐったりと背を預ける彼女は息をするので精一杯、誰の目から見ても会話が出来るような状態ではないのは明白だった。
「上手く喋れなくても、手段は色々ありますから何もお気になさらず。洗い浚い吐いてもらいます」にこりと笑みを浮かべてポケットから黒いグローブを取り出して片手に装着し、太腿のホルスターから一本のサバイバルナイフをその手で掴んだ。

「難しいんですよね、生かすのって」

グローブをしていない指先がナイフの刃に添うように触れれば、ぷつりと呆気なく皮膚の表面に線が入り、薄っすら血が滲む。はあ、と小さな溜息が名前の口から零れ落ちた。

「私、痛いことされるの好きじゃないんです。紙で指を切るだけでうわあってなるし、それより深い切創や骨折なんて想像もしたくありません」

返事を期待していないのか、会話が成り立たない事には気にも留めず、まるで世間話をするように愛想よく笑いながら、チェルベッロとの距離を確実に詰めていく。

「何処をどう切られたり折られたり抉られたら痛いのか、致命傷にならない(・・・・・・・・)のか、結構勉強したんです。やっぱりされて嫌な事は“どう”されたら嫌なのか、知る必要があると思うんですよね」

一歩進むたびに体育館に響く靴音が心臓の鼓動を早める。名前がこれから何をしようとしているのか、解らない者はこの場に誰一人として居なかった。

「貴女もご存じのように、ウチは暗殺が専門なので──私みたいな人間は意外と重宝されるんです」

コツ、という音を最後に名前の足はぴたりと止まった。サバイバルナイフの持ち方を変え、大きく息を乱す彼女の彷徨う目線に合わせるようにしゃがみ込む。

「さあ、まずは貴女のお名前から伺いましょうか」

幸いにも時間はまだあるようですし、と付け加えられた言葉に沢田綱吉は背筋を震わせた。ヴァリアーの面々だけが、表情を崩さずにじっと事の成り行きを静観していた。

20.08.21
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