眠れる羊とランプ


「一体どうなっているんですか、お宅の守護者は」

「クフフ。余所の問題児は管轄外ですよ」

同じファミリーの守護者だというのに、骸は素知らぬ顔で名前からのクレームも恨みがましい視線もさらりと躱してしまう。
内臓が消失した時のあの痛みと喉の焼けるような感覚を思い出し名前は思い切り眉間に皺を寄せる。雲雀恭弥にしてやられたと言うよりは、完全なるとばっちりだ。けれど、一歩間違えたら同じ境遇にある此処には居ないあの子が同じ目に遭わされたかもしれないと思うと、やはり自分で良かったのだろうと名前はひっそりと思う。温情とは無縁の存在の雲雀の事だ、目的達成の為なら手段を択ばないだろう。
ざあざあと風で揺れる木々の音が耳を通り抜けて行く。名前の髪を結うリボンもその悪戯な風が巻き上げる。現実世界で自分の身体がどうなっているのか名前は解らない。マーモンも居たからには放置という事はないだろうが、意識のない間にもっと酷い仕打ちをされていたらどうしようと名前は顔を青くするばかりだった。

「…いい加減、自分の面倒くらい自分で見たらどうですか」

黒いグローブ越しに触れた名前の頬から温度を感じ取る事は難しい。骸の言葉にそっと目を伏せた彼女の睫毛の翳りを見て仕方のない子だと骸は笑みを深めた。
クロームや名前のような体質を持つ人間は稀だ。幻術に身体が馴染むばかりでなく、媒体にも術士にもなれる稀有な人材。生まれも育ちも違うこの2人はどうしてか中身の面において似通っている点が多くある。──一度決めたら引かない頑固なところが、その一つだ。

「きっと私はすぐにでも自分を殺してしまうでしょうね」

「生きる理由がこれ程明確になっていても、ですか?」

「私にとって大事なのは“生かされている”という揺るぎ無い事実です。確かにマーモンに必要とされている事こそが私の存在理由にはなりますが、それだけでは駄目なんです」

不要になったらすぐに、確実に始末する事が出来て、絶対的な存在のマーモンが万が一命を落とすような事があれば自らも同じように運命を共に出来る方法。
運命共同体であると自負する名前にとってこの生き方は正に最善であり、何よりも強固な絆だ。

「これだけ直向きに想われるなんて、アルコバレーノは幸せ者ですね。胸焼けがしそうです」

「骸さんも、人の事は言えないと思いますけどねえ」

言うようになりましたね、と長い指先が名前の額を弾く。音からして大した威力はなさそうに見えるが其の実、弾かれた箇所はじんじんと地味な痛みに襲われており虚勢は張れない。こういうネチネチとしたところは名前が骸に対して常日頃思っている大人げない行動のうちの一つである。──口に出したら最後躾と称して数段威力を乗せたデコピンが襲ってくるので口が裂けても本人には言えないが。

「…さあ御寝坊さん。そろそろ起きる時間のようですよ」

「そのようですね。どうぞ、凪さんに宜しくお伝えください」

鮮明な景色が滲んでいく。クフフ、という骸の独特の笑い声を最後に名前はその世界から追い出された。


***


ぱちりと目を覚ますと、ぼんやりとした視界に心電図モニターが入る。口元に宛がわれた酸素マスクの窮屈さにどうやら適正な処置だけはしてもらえたようだと名前はホッと安堵する。それを勝手に外し真っ白な医療室の中気配を探ってみるものの、雲雀はおろかマーモンも此処には居ないようだった。
ドアが開いて、誰かが中に入ってきた。鳴る靴音を隠そうともせずずかずかと急ぎ足でその人物は名前のベッドに歩み寄った。ぱちりと名前は瞬きを一つしてその人物を見上げる。

「…ンだよその目は」

「いえ、意外な人が来たので純粋に驚きました。お久しぶりですね、獄寺さん」

「てめえはいつも一言多いんだよ。くたばり損いが」

蛍光灯に反射してきらきらと輝く銀髪を鬱陶しそうに掻き上げ、獄寺はそう吐き捨てた。相変わらずの物言いは負傷者を前にしてもその刺々しさを潜めようとする意思さえ感じられない。
意外な人物の見舞いではあるが、恐らく沢田綱吉の差し金だろう。雲雀が研究している件を何一つ把握していないとは思えないし、その身に宿す超直感が鈍るにはまだ若い。

「お宅の守護者は一体どうなっているんですか」

「あの野郎の事は今更だろ」

六道骸に掛けた言葉と同じものを獄寺に掛けても、返ってきた言葉は似たり寄ったりで名前はげんなりとする。沢田に直にクレームを入れたとしても反応は目に見えている。荒くれ者で無法地帯の暗殺部隊と色々好き勝手に言われている組織ではあるが、ボンゴレの守護者だって同じように人格破綻者が多いだろうと名前は思っている。所詮は似た者同士の集まり、同じ穴の貉であるのに、彼らは一向にそれを認めようとはしない。
身体をゆっくりと起こした名前は、サイドテーブルに置かれている見舞い品に気が付いて首を傾げた。小さく折りたたまれた紙を捲ると、つらつらと書かれた謝罪の言葉。最後に書かれた草壁の文字に名前は目を細める。雲雀の性格からしてきっと今回の件は彼の独断によるもので草壁は露ほども事態を知らなかったであろうに、こうして尻拭いをさせられるとは随分と可哀そうな役回りであると名前は彼に同情の念を抱かざるを得なかった。
どかりと腰掛けた獄寺を横目にそこから林檎を一つ取り出した名前は当てつけのようにそれを放る。取り敢えずキャッチしたものの、何だと訝しげに見る獄寺の視線に構わず「剥いてください」と名前は言い放った。途端、室内に響き渡る抗議の声。

「なんでオレがそんな事…!」

「見舞いに来たのならある程度優しくしてください」

「贅沢言ってんじゃねえ」

「…嗚呼、獄寺さん刃物の扱いは不得手でしたっけ」

「できねえとは言ってねえよ」

青筋を浮かべて果物ナイフを引っ掴んだ獄寺を見て素直で扱いやすいと良い意味で名前は思う。そしてあっという間に皿に乗せられたそれを見て、名前は目を丸くした。「うさぎさん?」ぽろりと思わず声が漏れる。見事に兎の耳を模して切られた林檎をじっと見つめ名前は「今日一驚きました」と素直な感想を述べた。

「あ?林檎と言ったらこの切り方だろ」

知らねーのか、と馬鹿にするように名前を見た獄寺に少し考える素振りを見せた後何も言わない事にしたらしく、名前は皿の上の林檎をそっと拾い上げた。一体どこから仕入れた知識なのか皆目見当がつかないが、不良青年にも可愛らしい一面は必要だろう。次々に皿の上に乗せられる兎に、最早何も言うまいと名前は沈黙を守る事にした。
口に運ぶ寸前で彼女の手から兎が奪われる。行動の真意が読めず首を傾げた名前の口元に獄寺は奪った兎を持っていく。「食え」問答無用のその言い方に名前は大人しく口を開けてそれを受け入れた。しゃく、という咀嚼音と共に口に広がる甘酸っぱい林檎の味。思えば林檎なんて食べたの久しぶりだなと名前が思い返す間にも、口元に添えられる獄寺の指。

「一体どうしたんですか」

「優しくして欲しいんだろ」

無理矢理林檎を口に突っ込んでくるそれのどこが優しいのか甚だ疑問ではあるが、林檎が邪魔をして文句の一つも言えやしない。美味しい事に変わりはないし、手も汚さずに済むから良いかと結論付けて、名前は雛鳥よろしく与えられる林檎を食べ続けた。
最後の一口を食べ終えたところで、名前は手を引こうとした獄寺の手首を掴む。獄寺が口を開くより先にそのまま指先に舌を這わせた。ぬるりと指先を這う舌の感覚にぴくりと獄寺は肩を揺らす。指先に小さく口付けて名前は叱られる前にベッドから飛び降りた。案の定怒声が名前に降りかかる。

「何しやがんだてめえ!」

「ご馳走さまでした」

口の端を舐めとりながら目を細めた名前を見て、ずくりと胸の奥が疼く。「…上等じゃねえか」瞳に剣呑な色を灯して一歩踏み出した獄寺は蜃気楼のように足元から消えていく彼女に気づいて大きな舌打ちを漏らした。やり逃げとは随分といい度胸をしている。指の関節を鳴らし、獄寺はダイナマイトを幻覚に向かって放り投げた。
その後音を聞きつけて駆けつけた笹川にこってりと絞られたのは言うまでもない。
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