月だけが真実を知っている


「OK…ボス」

携帯端末をしまって、ベルモットは深く息を吐く。あの文面からして、恐らくジン辺りの根回しだろう。本当に食えない男だ。
ちらりとベルモットは助手席で眠る小さな名探偵を見やる。どうするか、と思案しながら何気なく肩に触れると、指先に違和感を覚え、血相を変えて折り畳みナイフで服を裂いた。違和感の正体は心電図のモニターの電極だった。そしてベルトに取り付けられているテレメーターと録音機を目にして、何て子だと舌を巻いた。電極を切るかプラグを抜くかを一瞬迷い、後者を選択したベルモットが手を伸ばしたのと、寝ている筈の名探偵から静止の声が掛かったのは同時だった。

「そいつを引っこ抜くとオレの心臓が止まった事になり、オメーが今打ったボスのメールアドレスが分かっちまうぜ」

江戸川コナンは、無防備に事に及んだ訳ではなかった。最後の最後まであらゆるケースを想定し入念に手を入れた計画は、未成年の子どもの域を超えている。これ程までに組織を揺るがそうとする存在が今まであっただろうか。ベルモットの胸の奥に宿ったのは、恐怖でも不安でもなく、単純な嬉しさだった。
よく、ここまで…と、思わず口から出そうになった言葉を何とか飲み込んで「私の負けよ」と携帯端末を取り出しながらそう言った。まさか自分がここまで追い込まれるとは露ほども思っていなかった。「シェリーは諦めてあげる」ベルモットにとってこれからする事は最後の手段だった。
ベルモットの予想外の返答にコナンが疑問符を返す前に、彼女は迷う事無く携帯端末のスイッチを押した。車内に充満する催眠ガスが2人を包み込む。
「これは賭」朦朧とする意識の中、ベルモットの声だけが鮮明に頭の中に流れ込んでくる。

「貴方が先に起きたら警察を呼んで私を拘束し、警察と共にボスの所へ乗り込む」

──私が先に起きたらどうなるか、分かるわよね?

江戸川コナンの記憶は此処で途切れた。「まだ、負ける訳にはいかないのよ」ベルモットはぼんやりとする思考を無理矢理動かして、意識のない少年に微笑みかける。
隠し持っていた最後の一丁の銃口を自身の太腿へ向け、ベルモットは迷いなく引き金を引いた。

「折角の美人さんが、傷だらけですね」

痛みと共に繋いだ意識に揺さぶりをかけて車内から這いずり出ると、そこには待ち構えていたかのように苗字名前の姿があった。
「良いタイミングで現れるじゃない」差し出された手に、ベルモットは迷う事無く己の手を重ねた。グッと止血をする中、名前は車内で目を瞑るコナンに目を向ける。
「…生きてるわよ」「そのようですね」脈を確認した名前はそれきり彼に視線を向ける事はなかった。
止血の終わったベルモットに、名前は一枚の絆創膏を差し出す。「…それ、貴女のシュミ?」ピンク色の柄付きのそれは大人が使用するには気が引けた。
「可愛いじゃないですか」にこりと悪気ない笑みを浮かべて、名前は躊躇う事無くそれをベルモットの頬に貼った。抵抗をしないのは、諦めたからか、疲労感が勝っているからか。

「どこまでお送りしますか?」

「……電話ボックスのあるところまで」

「畏まりました。──お手をどうぞ」

頼りになるのは月明かりだけだ。碌に整備もされてないこの場所を選んだのは単に人目を避けたかったからだが、まさかこれが仇となるとは。彼と言い毛利蘭の件と言いベルモットにとって誤算が多すぎた。今目の前に居る──苗字名前ですらそうだ。
「随分と優しいのね」此処から下るのは手負いのままのこの状況では難しかっただろう。名前が此処に来たのはベルモットにとって幸運と言う他なかった。けれど、当然素直に喜べる訳ではない。含まれた意図を問う確かな言葉に、名前は曖昧に笑う。「私はただ、従っただけです」それが答えだった。ふう、とベルモットは大きく息を吐く。

「…貴女のご主人サマは一体何を考えているのかしらね」

「お金とそれに相当する利益を見出す方法、ですかね」

「私が恩を返す事が前提なのね」

「返す返さないは別として、売っておくだけ損はないという事でしょう。人間というものは意外と情深い生き物ですから」

魔女も例外ではないでしょう、とちらりと後方を見やった名前が言いたい事を、察せない程鈍感ではない。「嫌な子ねえ」よもやこんな小娘と赤子に脅かされる日が来るとは。
草を踏みしめる度、鼻を突く独特の青臭さに慣れた頃、やっと目的の場所が見えてきた。「…此処でいいわ」「お気をつけて」あっさりと身を引いた名前にベルモットは意外そうな顔をする。

「あの目つきの怖いお兄さんに会うつもりはありませんので」

それが誰を差しているのか、思わずベルモットは口角を上げる。

「あら、意外と再会を待ち望んでいるかもしれないわよ?」

「シャイそうですからね。ハグの代わりに鉛玉を沢山もらえそうです」

ふあ、と欠伸一つ漏らして名前はベルモットに背を向けた。随分と長い夜だった。そう感じたのはきっと彼女だけではない筈だ。


「随分と趣味の良い絆創膏だな」「そうね。可愛いでしょう」「ハッ、反吐が出るぜ」
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