白くいられない


平日の昼下がりのカフェは人も疎らでゆったりとした時間が流れている。店内客の殆どは暇を持て余した中高年か談笑に花を咲かせる子連れ、仕事に追われて只管PCと向き合うOLかサラリーマンで所々席が埋まっている。ランチのピークを過ぎたこの時間帯は店員にとってもちょうど一区切りついた頃であり、店内で流れるオルゴールのBGMに耳を傾ける余裕がある。テラス席の一角でロイヤルミルクティーを飲みながら、名前もそんな人たちに交じってホッと息を吐いていた。
不意に名前の隣のテーブルにトレーが置かれ、日よけの帽子を深く被った女性が一人、そこに座る。テラスと言っても広々としており、今の時間帯は日差しが強い所為か大して人も居ない中、敢えて人が居る隣の席に座った女性に意図がない筈がなかった。
「あれ、素顔ですか」思わず本音が名前の口から漏れてしまった。「挨拶の言葉にしては随分ね」優雅に珈琲を一口含みながら薄いサングラスの奥の瞳が細められる。

「Hi!怪我の具合はどう?仔猫ちゃん」

「…まあまあと言ったところです。こんにちは」

恐るべき観察眼だと名前は肩を竦めた。否、情報収集力と言うべきか。この人相手では隠し事は出来なさそうだ。それにしても、白昼から随分と大胆に出歩くものだと名前はベルモットを盗み見た。表向きは大物女優である彼女の顔と名前は、日本においても知らぬ人は居ないのではないかと言う程各所にその名を轟かせている。そんな人物が素顔でカフェなんかに現れて良いのか。長い金糸の髪は日よけの帽子に隠されてはいるが、マスクもせず素顔に薄い色素のサングラス一つという、女優にしては無防備な恰好だ。何なら千の顔を持つ魔女という異名を持つ女らしく、ちゃちゃっと変装をしてしまえば一抹の不安も残らないだろうに。「…大丈夫よ」どうやら魔女様には、全てお見通しらしい。

「みんな自分に夢中で、周りの人間の顔なんか見ちゃいないわ」

珈琲カップ片手に頬杖をつくその何の気ない姿すら、同性から見ても思わず溜息が出るほど美しい。
言われてみれば確かに、お喋りに夢中になっている女性客や一人客ですら読書か手元のスマートフォンに釘づけなのだからそこに有名人が紛れ込んでいても余程の事がない限り気付かないのかもしれない。

「ねえ、名前」

「何でしょう」

「貴女には、宝物ってあるの?」

「唐突ですね。……ベルモットさんには、」

「あるわ。この世でたった二つの、大切な宝物がね」

薄く笑う彼女の先に見えるものが何かを、名前は知らない。「私は、」温くなってきたミルクティーを一口飲んで、名前は考える。
宝物が指し示す意味がイマイチ名前には解らなかった。守りたい程大切なもの、自分にとっての全て、解釈は色々出来る。色々出来るが故に、その言葉にマーモンという存在を当て嵌めて良いのか、迷ってしまった。名前にとってマーモンという存在は全てだ。けれどそれを宝物という一言で纏められない。宝物に守るという意味が少しでも込められているのならば、その言葉は相応しくはない。自分がマーモンを守りたい人と言い切るのは、余りにも烏滸がましい。「…わかりません」「そう」ベルモットは深く追求してこようとはしなかった。

「大切になさっているんですね」

「……そうね、大切よ。──何よりも」

テーブルの上に真っ白い封筒が落とされる。「Vermouth」と書いてあるのを見て、名前は中を確認する前に何事かと差出人に目を向けてしまう。当の差出人であるベルモットは涼しげな顔で煙草に火を点けているところだった。
「招待状よ。血も凍るような、パーティーのね」ふう、と薄く開いた唇から漏れる紫煙がゆらゆらと昇って消えた。

「何故私を?」

ベルモットは意味深に笑うだけで、名前の問いには答えなかった。「確かに渡したわよ」くしゃりと灰皿の上で煙草の先端を歪ませて、ベルモットは静かに立ち上がった。
そのまま歩き出した彼女の背を見ていた名前は、彼女の左耳のイヤホンマイクに気が付いて溜息を吐いた。「本当に、怖い人ですよねえ」一体、誰を盗聴しているのやら。
封筒の角が紫色の炎に包まれ、紙を静かに焼き尽くしていく。ミルクティーを飲み干して、名前は頬杖をついてその過程をぼんやりと見届けた。ちりちりと獲物を捕らえたそれは、消炭になるまでその存在を主張し続けた。
「くだらないね」中身を見る事なくそれを無残な姿へと変えた張本人がそう吐き捨てる。不機嫌そうにぷっくりと膨れた頬を指先で軽く突きながら、名前は笑った。

「あれ、パーティーはお嫌いでしたっけ?」

「嫌いだよ。あんなもの、労力の無駄遣いだ」

「それは残念ですねえ」

「まさか行きたかったとか言うんじゃないだろうね」

「組織の魔女が主催する血塗られたパーティー。これっぽっちも興味がないかと言われれば嘘になりますね」

「…言うようになったね」

仕返しだと言わんばかりに、小さな手が名前の頬をむにっと掴みあげる。そんな戯れを繰り返しながら、2人の暗殺者は一般人に紛れて束の間の時間を過ごした。
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