手癖が悪くてかなわない


ざあざあと木々が揺れる中、晴れやかな気分にもなれずそこにしゃがみ込む名前は頭を抱えながら時折呻き声を漏らして己の醜態を悔いるばかりだ。
「名前、大丈夫?」と、声は掛けてみるものの、心配そうに彼女の背を撫でるクロームの手はどこかぎこちない。こんな名前の様子を見るのが初めてだからかもしれない。
いつも飄々として、かと言ってあまり感情的になる部類でもなく、ただ淡々と生きる人間。クロームから見た苗字名前という人物像は、纏めるならばこんなだった。
名前とクロームの共通点は、“自分が生きる上でその存在理由を持つ人間が居る”と言う事だ。何故生きているのか、そう問われた時の明確な答えを、2人は確かに持っている。自分はこの人に必要とされているが故、生きているのだと。その揺るぎ無い想いは確かに2人に共通するものがある。
他人に興味がないクロームが名前に対してこうして一種の執着を抱くのはこの事が大きく関係している。

「そう心配せずとも、此処に“痛み”は存在しませんから大丈夫ですよクローム」

白いベンチに腰掛けて長い脚を組む骸は、2人に呆れたような視線を向け、そう静かに言う。日本人というものは、存外中身が脆い。普段の名前と今現在の彼女の精神状況を見て、骸はほとほとそう思った。それは大抵、肉体か精神のどちらかにダメージを受けている時に起こる。だからこそなのか、彼女が“そう”なっている時、骸とクロームは波長が合いやすい。落ち込む名前を見るのは久しいかもしれないが、名前を交えて此処でこうして逢うのは珍しい事でもなかった。
こういう時の駒のメンテナンスが重要だと言うのにそれを怠り、剰え余所の術士に放るとは、飼い主も怠惰なものだと骸は彼の地に居る小さな幻術使いを蔑んだ。

「うう、日本こわい。FBIもこわい」

「…名前、かわいそう」

泣き喚かずとも、メソメソと泣き言を漏らし続けているのだから同義だ。よしよしとまるで子どもにするように先程からずっと彼女の背を撫で続けるクロームの健気さは称賛に値する。

「FBIなどと言う蟻のような群居組織など潰してしまえば話が早いでしょう」

「…私の一存では、駄目です」

「クフフ。まあ貴女の所のボスは何とも言わないでしょうけどねえ」

確かに、と喉まで出かかったその言葉を名前は寸での所で飲み込んだ。「虚を衝くなら、」ベンチから立ち上がった骸は名前の前に片膝を着いて、しなやかな指先が彼女の顔を上げさせる。
頬はこんなにも温かなのに、色は白く血の気がない。人形の頬ですら色付いているというのに、と目の前の生き物を優しく見下ろしながら骸はそんな事を思った。

「起きたその瞬間でしょう。僕が“彼なら”、腕は拘束しても足はそのままにするでしょうから」

「どうしてですか?」

「いいですか、名前。君は女性であり、素性も割れていて、今は意識不明。相手は貴女の持つ情報を聞き出したい。
僕なら武器を所持していないか、発信機や盗聴器の類がないかを全て確認した後死なれては困りますから応急処置をしてベッドにでも転がしておきますね」

「………」

「意識が戻ったら後は簡単です。拘束して身動きが取れない、且つ負傷した女性を手籠めにするなど、無抵抗の赤子を殺すのと同じようなものですから」

ゲスい、この人本当にゲスい。口を半開きにして、名前は心の底からそう思った。「名前…」今度はクロームが不安そうに瞳を揺らして名前の服を掴んでいる。
「大丈夫です凪さん…」やっと真面目に返事をして名前は一つ深呼吸をした。「クフフ、ピンチですねえ」と目の前で愉しそうに笑うこの男が少しだけ恨めしくなった。

「おや、そろそろのようですね」

ゆるりと名前の頬をひと撫でして、骸はオッドアイの双眸を細める。「──では御武運を」と耳元で囁かれたのを最後に、視界が滲んだ。


***


「ホー、まさかマウントを取られるとはな」

「…っ」

言葉とは裏腹に、名前に見下ろされる男は随分と余裕そうだった。対する名前は、骸の言っていた通り、腕だけを拘束されてベッドに転がされていた事実に内心酷く動揺していた。そして、己の容体も、思っていた以上に芳しくはなかった。ずきりと右肩に鈍痛が走り、名前は歯を食いしばる。身体が熱を持ち、頭の奥がぼーっとする。本来なら冷たい筈の手錠にも名前の熱が移り身体が怠い所為か重く感じる。「さて、この後はどうする気だ?」目の下に刻まれた濃い隈が名前の恐怖心を煽った。
伸ばされた手を振り払える程の余力すら、名前には残っていなかった。左肩を掴んだその手が名前の視界を揺らし、呆気なくベッドへと引き戻される。
「形勢逆転だな」と愉しげに口元に笑みを湛えて、赤井秀一は名前を組み敷いた。

「…いつからFBIは両手を挙げて降伏の意を示している無抵抗の人間を容赦なく撃ち抜くようになったんですか」

「勘違いしないでくれ。ああでもしないと君は捕まえられそうになかったんでな」

「ただの女1人に、随分と手の込んだマネをするんですね」

「──ただの女ではないだろう」

ぐ、と右肩を圧迫されて名前は息を詰める。それを満足げに見下ろして、赤井は名前のシャツに手を掛けた。少し力を入れるだけで、ボタンは呆気なく一つ二つとシーツの上に転がった。
ふんわりと煙草の匂いが名前の鼻を擽る。癖っ毛が視界に映り込んだのと、ざらついた舌先が首筋を這ったのは同時だった。「やっ、!」と思わず身体を震わせて名前は声を上げる。「随分と可愛らしい声を出すんだな」と赤井が鼻で笑う。端正な顔を愉しげに歪ませて、怯える名前の耳元で毒を孕んだ優しい言葉が脳髄を緩やかに刺激する。

「俺の欲しいものをくれると言うのなら、これ以上の乱暴はしないと約束しよう」

「…ッ」

「──名前、返事は?」

「…い、や…っ!」

「……そうか、なら仕方ないな」

シャツの上から名前の身体のラインを確かめるように触れる手が堪らなく恐ろしい。脇腹を撫で上げた手がシャツの裾を捲り上げて不合意に侵入してきた。名前の目に薄い膜が張る。こうして見ると、本当にただの女だ。嫌がる女を抱く趣味は赤井にはないが、目的の為なら如何なる手段も厭わない。だから心底怯えた顔でこちらを見上げる名前の顔を見て多少の罪悪感は抱けど、止めるつもりはなかった。
──選択肢を与えたにも関わらず頑なに口を閉ざす事を選んだのは、彼女なのだから。
「ふ…、ぅっ」と嬌声を無理矢理抑え込む名前の顔は例えその気がなくても男を本気にさせるような何かを持っていた。は、と短く息を吐き出して、名前を見下ろすその瞳に情欲の色を垣間見て耐え切れず名前の瞳から一筋、涙が零れ落ちた。
熱と痛みと恐怖がごちゃ混ぜになった名前の思考の中に浮かび上がる名前は、求める人物は、一人しかいない。

「…っ、……マーモン──!」

途端、背を這った殺気に赤井は瞬時にベッドから飛び降りて距離を取った。名前の影から這い出た紫色の触手が威嚇するようにうねる。それは名前を拘束していた手錠をいとも簡単に捻じ曲げ彼女を自由にした。ゆらりと名前の影から出てきたもう一つの“それ”はやがて人型を模して静かにその存在を主張した。その姿は赤子ではなく、少年と形容する方が正しいだろう。顔はフードの所為で見えないが頬に浮かぶ逆三角のマークを待つ人間は一人しか思い浮かばない。

「マ、モちゃ…」

「…名前。泣かないで」

止めどなく溢れる涙を拭ういつもよりも大きな指。その温かな体温は紛れもなくマーモンのものだ。「ごめん、なさい」と蚊の鳴くような声で謝罪を口にした名前は、そのまま瞳を閉じた。崩れ落ちる名前を片手で支えて、マーモンはゆっくりとベッドから起き上がった。見据える先に映る赤井を見て口の端を歪める。

「残念だけど、僕にそれは意味がないよ」

当たらないからねと続いた言葉通り、容赦なく引き金を引いたその鉛玉は在らぬ方向へと逸れ壁にめり込んだ。「…聞いた通り、厄介な存在だな」目の前のこの姿が本来のものなのかさえ、定かではない。赤井の言葉を聞いたマーモンは実に不服そうに息を吐く。

「全く何処のどいつだか知らないけどベラベラと…情報料をふんだくってやりたいよ」

「態々リスクを負ってまで此処に来るとは、余程気に入っているようだな」

ちらりとマーモンの腕の中の存在に視線が向く。「勘違いしないでくれるかい」ふん、と視線を一蹴してマーモンは至極当然とでも言うようにスッパリと切り捨てた。

「この子は僕の為に生きているんだ。折角の使い勝手の良い手駒をタダで君たちに提供する程僕は慈善的ではないんだよ」

「ホー、俺からしたら、オモチャを取られそうになって駄々を捏ねる子どもにしか見えないがな」

伸びる触手を軽い身のこなしで避け、赤井は涼しげな顔でそう告げる。しかしマーモンはそれ以上の攻撃はして来ず、名前を抱え直して赤井から距離を取る。

「残念だけど、金にならない事はしない主義なんだ」

「逆を言えば金を払えば情報提供をしてくれるのか」

「…まあね。けど、僕の提示額を君たちが支払えるとは毛程も思ってないけどね」

それから、個人的に僕は君が嫌いだよと告げ、口元をムッと歪めたままマーモンはそれ以上をする事なく闇に溶け込んで消えた。本当に子どもじゃないかと、挑発に乗らない割に言葉の返し返しに含まれていた確かな殺意を思い出して赤井は思わず声に出して笑い声を上げた。
ピリリ、と着信音が静かな部屋に響く。
もう何度目になるか分からないその端末の着信を思い出したように手に取って、赤井は再び相見えるその日を思いながら電話の相手に取り逃がした事を報告するのだった。

この前の続きをしようと次に会った時に告げたら、彼女は一体どんな顔をするだろうか
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