痛覚もおしまいにしよう


暗闇から飛んでくる一閃は、人を殺める為に作られたものだ。今それは明確な意思を持って名前を狙う。紛争地帯でも何でもないこんな世界の端の島国で、一銭の金にもならない一方的な銃撃戦を強いられていると誰が思うだろう。「名前」耳元でマーモンの声がする。「…分かっています」人気のない場所へ誘導されているのは解っていた。けれど、恐ろしいくらい的確な射撃をしてくる彼の人に抗う術がないのは事実だった。
幻術を発動させる隙すら、与えてはくれない。恐らく、立ち止まれば足をやられる。完全に退路を断たれてしまう事だけは避けたい。相手の策に乗るしか、今の名前たちには選択肢がなかった。

冷たい風の吹く夜だった。全く人気のない漁港に誘導された名前は、全灯された車のヘッドライトの眩しさに目を細めた。指の隙間から人物を窺う前に、「Don't move!」という声と共に拳銃を構える音が耳を掠めた。一歩でも動こうものなら、威嚇射撃が名前のすぐ傍のコンクリートを抉るだろう。
「成程、“彼ら”か」大して動揺の色を見せないマーモンはアメリカ連邦捜査局の登場に面倒だと息を吐く。

「貴方たちのシマを荒らした記憶はないのですが」

「武器を捨てて手は頭の上に!」

どうやら話をするのはそれかららしい。チラリと肩に乗るマーモンを伺えば、「…言う通りにしてあげなよ」と許可が下りた。こくりと一つ頷いて、名前はゆっくりとコートのボタンを外し、拳銃を一丁、コンクリートの上に転がした。「そのコートもよ!」全く、余程警戒されているらしい。しかし、これくらいしなくては彼らは自分たち相手に喧嘩など売れやしない。
ヴァリアーのエンブレムの入ったコートも地に落とし、一歩下がった名前は、そのまま両手を頭の後ろに付けた。「今日は寒いですねえ」風に吹かれて髪を結うリボンがゆらゆらと弄ばれる。慣れた視界の奥に映る、金色の髪を見て思い出す女性は一人だけ。

「こんばんは、初めましてですね。ジョディ・スターリング捜査官?」

「…どうやら此方の事は既に調査済みのようね」

「それは勿論。杞憂であれば良かったのですが、残念ながらそうもいきませんでしたね」

「…あの組織について、知っている事を全て吐いて」

何を言うのかと思えば、ふふふっと名前の口から思わず笑い声が溢れる。「天下のビュロウも、落ちたものですねえ」──よもや、正義を謳う組織がマフィアの手を借りようなど。
一発の弾丸が、名前の頬を掠める。ピリっとした刺激はそれ以上でもそれ以下でもない。こんな可愛い脅しで吐かせられるものなど何もありはしない。愉しそうに歪められた瞳が、ジョディを捉える。さあ彼女は挑発に乗ってくれるだろうか。

「“あの組織”というより、貴女が知りたいのはベルモットさんの件でしょう?」

「やっぱり…っ」

「“やっぱり”?──勘違いをしてほしくないのですが、“私たち”とあの組織は全くの別物です。恐らく貴女たちが考えている事など絶対に有り得ない」

「でも私達の味方ではないわ。あなた達だって、犯罪組織の一つでしょう。結果は同じことよ」

「結果、ですか」

ざわ、と胸の奥がひんやりと凍えるような錯覚に陥る。ジョディの後ろで指先を震わせる仲間は銃口が定まっていない。“この感覚”は、一体なんだ。
圧倒的に今有利なのはこちらだ。苗字名前は両手を無防備に上げたまま、武器も捨てている。それなのに、この言い知れない威圧感はなんだ。今までに感じた事のないこれを殺気と呼ぶのなら、油断したが最後、喉元をすぐにでも掻っ切られる。つ、と頬を伝った汗を風が撫で上げ身体の芯から冷やしていく。

「悪意を持って行う人殺しと、正義を振りかざして行う人殺し──結果は同じですね」

一体、何を言いたいのだこの女は。呑まれかけた空気を切り裂く銃声が一発、鳴り響いた。「…ッ」名前の息を殺した音が漏れ、体勢を崩しながら右肩を手で覆う。
敢えてサイレンサーを付けなかったのには、きちんと意味があった。は、とジョディは大きく息を吐き出す。冷静な思考が戻ってくるようだった。
「助かったわ、シュウ…」肉眼では捉えられない闇に紛れたその中で、確かに彼は存在していた。

──ホー、出血量を見る限り、防弾チョッキは着ていないのか。随分な自信家だな

インカムから漏れるその声に、誰もが安心感を抱いた事だろう。殺すのが目的ではない。だからこそ敢えて、頬以上の痛みを与えて時間をたっぷりと掛けるのだ。
風に乗って嗅ぎ慣れたそれが運ばれてくる。一定のリズムで滴り落ちるそれは、着実にアスファルトを赤に染めていった。は、と漏れる息は熱を帯びている。
狙撃方向を見ても、視界には何も映り込みはしない。けれど確かに、見えないその先で瞳が一瞬交わった気がしたのだ。

「…良い狙撃手をお持ちのようで」

「彼は私達のHopeだから」

「痛いと思ったのは、久しぶりです。──ね、マモちゃん」

彼らが引き金を引くより早く、車のヘッドライトが音を立てて割れる。光さえ先に潰してしまえば、どこからか此処を狙っている優秀な狙撃手も迂闊に手は出せまい。一番厄介なその存在の手を封じる事が最善だった。
ガッとコンクリートを足で突けば、そこから地面が傾き地鳴りを響かせて彼らに襲い掛かる。「避けて!!」二手に解れて受け身を取って身体を地に転がせる。
拉げた車体を見て思わず喉を鳴らした。血の匂いが強くなる。は、と気が付いた時には、月光に照らされた血の気のない顔がじっとジョディを見下ろしていた。咄嗟に拳銃を向けるが、トリガーを引くことが出来ない。「嗚呼、小石が入り込んでしまったんですね」しゃがみ込んだ名前はゆっくりと血濡れた手でジョディから拳銃を引き抜く。「拳銃って意外に繊細な作りですよねえ」と不運を憐れむような顔が、心に大きく揺さぶりをかけた。
偶然?否、そんな馬鹿な──今更ながらジョディは、とんでもない相手に喧嘩を売ったのだと身を以て感じた。


「A secret makes a woman woman」


風に乗って消えたその台詞は、世界で一番憎い女の常套句だ。「私が今ここで手を下さないのは、私の全てを持つ人がそれを許さないからです」鉄臭い指先が頬を撫でる。
見下ろす瞳には、何の感情も込められていない。未だに流れ続ける血が、彼女から逃げ出しているというのに。痛みすらその瞳は悟らせない。

「味方でもないです。けれど、今は敵でもない。仮にもしその時が来たのなら、この借りは必ずお返ししましょう」

「苗字名前、貴女は一体…っ」

「ボンゴレファミリー特殊暗殺部隊ヴァリアーの幹部が一人。貴女達が掴んでいる情報に相違ありません」

──精々頑張ってくださいね、FBIのみなさん。

「ただ、狩場は弁えないと──取り返しがつかなくなる前に」

轟音を立てて車体が爆発を起こす。煙に気を取られている隙に、獲物はするりと闇に溶け込んでしまった。「……シュウ?」そこでジョディは気が付く。
先程から彼──赤井秀一から何の応答もないことに。



***



──もしも、し…お久しぶりですシャマル先生

──うぉお?その声は名前ちゃんね。健診サボるからおじさん悲しくて枕を毎日濡らしてんだよ、知ってる?

──その節、は…っ、申し訳ありません

──で、場所と容体は?

電話越しでよく解るものだと、暗い路地に背を預けて名前は苦笑を浮かべた。マフィア界屈指の闇医者──Dr.シャマルの名は伊達ではない。その身に宿すのは幾多の不治の病。“トライデント・シャマル”はヴァリアーのスカウトを断った程の殺し屋でもある。医者と殺し屋の二面性を併せ持つ、名前の主治医だ。

──右肩に、一発。通弾しています、が、出血がひどく、て…

──今、迎えを寄越す。あの鼻タレ小僧も居んだろ?死ぬなよ。

羽織るコートはこんなに重いものだっただろうか。血を失い過ぎた。視界が霞んで見えるが、まだ動ける。こんなところで膝を着くのはまだ早い。このエリアは危険だ。もう少し遠く、取り敢えず路地を抜けてその辺の空きビルにでも──。
路地を出たところでドン、と身体に衝撃が走る。どうやら不運にも通行人にぶつかってしまったようで、思い切り体勢を崩した。弾かれた身体を自力で支える力が今の名前にはない。しかし、そのまま引き寄せられ、地面に倒れ込む事はなかった。幸いにも掴まれたのは左手で、歯を食いしばる事で痛みを堪えた。
ふわりと香るのは、煙草と硝煙の混じった匂い。霞む視界の中でその人物を見上げて、名前は運の無さに笑った。これが全くの気のせいで見知らぬ通行人だったらどんなに安堵したか。

「顔色が悪そうだな」

「お蔭様で。…貴方、でしたか」

こちらを見下ろすモスグリーンの瞳が、無事獲物を捕らえられた事にほくそ笑んでいる。FBIの犬が随分と悪人ズラを、とぼんやりとする意識の中名前はそう思った。

「名前!!」

遠くでマーモンの呼ぶ声がする。しかし応えるより早く、口元に宛がわれたそれが、名前の意識を混濁させていった。

「…漸く会えたな」

ぐったりとした名前を抱きかかえて、赤井はぽつりとそう漏らす。端末から呼び出しを知らせる音が鳴っても、今の彼は出るつもりは毛頭なかった。
血の気の無い唇をなぞる指先は酷く温かい。彼女が手中にある以上、あの小さな幹部は手がさせない事を赤井は知っていた。消えた気配に口角を上げて、赤井は用意していた車に名前と共に乗り込んだ。
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