為すなら夜のうちがいい


都内某所、とあるバーの一角にて。来店客の素性を隠すかのように淡いオレンジ色の照明が仄暗く店内を照らす。各所からヒソヒソと囁かれる音は、雑談から物騒な物まで様々だ。この空間に法律は存在しない。店主は如何なる者の入店も店内における如何なる行為にも目を瞑る。絶対的な、秘密の守られた空間。此処は、そういう場所だった。
カラン、と静かにベルが鳴り、第三者の入店を知らせる。
「いらっしゃいませ、お待ちですよ」と、曇りひとつないグラスを丁寧に磨き上げながら、店主は柔和に微笑んで入店者を迎え入れた。

「こんばんは、遅刻ですかね?」

「チッ…まだ10分はある」

「じゃあ、お咎めはなしという事で。…お久しぶりですね、獄寺さん」

暗い店内の中でも、銀色に輝く彼の短髪はその存在を確かに示している。色素の薄い瞳が不機嫌そうに名前を睨みつけた。
ストライプのシャツに紺色のネクタイを締めて、ジャケットに光るそのエンブレムは“Vongola”。彼──獄寺隼人は、ボンゴレ嵐の守護者であり、現10代目の右腕として各所にその名を轟かせるマフィアの1人だ。
店主からおしぼりを受取り、ちらりと名前は獄寺のグラスを盗み見る。その意図を察した彼は舌打ちを一つ溢して「ライ」と突慳貪に言った。

「私はベリーニを」

「ハッ、ガキかよ」

「子どもは飲酒出来ないんですよー」

カラン、と溶けかけの氷が音を立てた。ぐい、と一気に飲み干す獄寺から香る芳醇な香りに名前は目を細めた。ほらよ、と渡された茶封筒はそこそこの厚さを持っている。
「有難うございます」と受け取りながら告げ、テーブルの横に置いた。「見ねえのかよ」と間髪容れずに問われたそれに、名前はにっこりと笑って答える。

「確認するまでもありません。信頼していますから」

「ったく。何でオレがこんな事…」

「獄寺さんが日本に居たのはラッキーでした。ウチは暗殺専門なので、こういうデリケートな事は苦手なんですよ。助かりました。沢田さんにも宜しくお伝えください」

「…それ相応の見返りはあんだろうな」

「沢田さんにはちゃんとお渡しし、て…?」

伸ばされた指先が名前の頬を滑る。人差し指に嵌められた厳つい指輪は、彼がボンゴレに属し、その守護者であるという証だ。「オレには」
骨ばった指先が名前の顎を捉え、そのまま上を向かせ視線を無理矢理交わらせる。ぼんやりと浮かび上がる輪郭はその眉間に刻まれている皺を差し引いても溜息が出る程うつくしい。

「オレには、ねえのかよ」

ぱちりと瞬き一つして、名前は声ひとつ発せず彼の言葉をゆっくりと飲み込むしかない。それをどう取ったのか、獄寺は珍しく口角を上げて更に距離を縮めてきた。
コトリと、目の前に置かれた濁った桜色のカクテルグラスは名前がオーダーしたものだ。獄寺の前にもロックグラスを置き、正に絶妙と言う他ないタイミングだった。
ホッと、肩の力を抜いた名前を盗み見て舌打ちを一つ。
一口含めば、口の中に広がる桃の香り。トロリとした甘さがまるでネクタージュースを思わせる。見掛けの通り、アルコール度数はそんなに高くはない。
獄寺は名前が酒にあまり強くないのを知っていた。だから子どもだとからかって自分は見せつけるようにしてウイスキーを口に運ぶのだ。その子どもに、今しがた手を出そうとした自分に見て見ぬフリをして。

「苗字」

「はい」

「その組織に首を突っ込む気か」

「必要とあらば。決めるのは私ではありませんから」

ボスの言葉一つで、マーモンそして名前の行動は決まる。然るべき時が来る可能性が万に一つでもあるのならば、準備を整えておくのは当然の事。茶封筒に押し込まれている個人情報たちが役に立つ時は、そう遠くはないだろう。

「苗字、紅茶は好きか」

「…?はい」

「一杯奢ってやる。──ロングアイランド・アイスティー」

「遊びが過ぎるね、獄寺隼人」

テーブルに先程まで居なかった──否、見えなかった──小さな影が一つ。店主に頭一つ振って注文を取り消し、マーモンは不機嫌そうに獄寺を見上げた。
飲みかけのベリーニはすっかり温くなっていた。「ガキはもう寝る時間だろ」その射殺すような殺気を諸共せず、獄寺は挑戦的な笑みを浮かべる。

「保護者のご登場かよ」

「この子が使い物にならなくなったら困るだけさ」

ふあ、と呑気に欠伸を噛み殺した名前の横で殺伐とした空気が流れている。ぱちん、と小さな手が音を鳴らすと傍に置いてあった茶封筒が一瞬で姿を消す。「名前、もう用はない。帰るよ」「あ、はい」立ち上がろうとした名前の腕を引いて、獄寺は彼女の耳元に唇を寄せる。

「シャマルの野郎から伝言だ。“定期健診は必ず受けに来い”と」

「うっ……先生は優秀ですけど如何せんセクハラの割合が大きすぎて困ります」

ふんわりと鼻先を掠めたのは彼の纏う香水の匂いなのだろうか。くらくらする。「苗字」耳元で呼ばれる熱を孕んだそれに、名前の身体が再び強張る。

「取って食われたくなかったら、酒の勉強くらいしておけよ」

「いっ…ッぅ」

がぶりと、思い切り耳に歯を立てられる。酔い冷ましにしては扱いが酷い。
赤くなった耳を押さえ言葉を失う名前を満足そうに見下ろして、獄寺はテーブルに二人分の料金を置き、さっさと出て行ってしまった。
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -