見つめ合う視線は透過する


「要求はただ一つ!今、服役中の矢島邦男の釈放だ!!!」

「矢島邦男…先月爆弾を作って宝石店を襲った強盗グループの主犯のようだね。仲間が3人未だ逃走中」

「その3人の内の1人が乗客の中に紛れている訳ですね」

「そういう事だね」

携帯端末を両手に持つマーモンの小さな指先が画面を滑る。幻術とは便利なもので、マーモンは名前にしか見えないのをいい事に時折欠伸を漏らしながらゆったりと寛いでいる。名前たちから言わせればこんな小物、殺ろうと思えば一瞬だ。けれどマーモンはそれを名前にはさせない。
時は金なりだよ、と日本のこの諺を──恐らく金繋がりで──気に入っている彼は、これをよく使う。マーモンから言わせれば今のこの状況は無駄な時間以外の何物でもない。普段のマーモンならこの時間を使って別の金稼ぎが出来たかもしれないと考えるのが妥当だ。それなのに、こうして情報は与えど、殺して良いと許可は出さない。それが名前には解せなかった。
欠伸をしたマーモンの目線が捉えているのは、後部座席のマスクをした男。「ムム…」一体、マーモンは何を警戒しているというのか。
こちらに向かってくる犯人たちの気配を感じながら、名前は自分だけでは出る事のない答えを思案して一人、もやもやしていた。

「こ、この外国人女……!」

「Oh〜!sorry!」

眼鏡をかけた金髪の女性が流暢な英語で犯人にそう告げる。
彼女の長い脚に引っ掛けられ派手に転んだ男はよろよろと起き上がって拳銃を構え直そうとするが、そのまま彼女は申し訳なさそうに英語で話しかけ、男のパーソナルスペースに容易に入り込んだ。手を添える指先がトカレフの撃鉄を押し上げたのを見て、感心したように名前は目を細めた。小学生、マスクの男、そして──。警戒すべきなのは、この場に何人も居るということか。

「どうしました、スミレさん」

「…気持ち悪い」

口元を押さえ、前屈みになるスミレの顔は真っ青だった。精神的なものか、バスの揺れを初めて体験した事による一種のストレスか、見事に乗り物酔いをしたらしい。
「何してんだこのガキ!!」と今度は例の名探偵がぶん殴られている中、これで気付いただろう、取り敢えず早く解決してくれと他人任せに思いながら名前はスミレの背を撫でた。



***



「人質を一人取らせてもらう…一番後ろのガムの女!おまえだ」


「成程、彼女がお仲間でしたか」

「うう…さっきから何を言ってるのよ」

「頑張ってくださいね、スミレさん。もうすぐちゃんと降りられますから」

暗いトンネルの中、よしよしとスミレの背を撫でる名前は油断しきっている犯人たちを横目に後部座席での彼らの動きを目で追う。暗闇の中、あの爆弾と思われるスキー袋を引き寄せた名探偵には、きっと何か考えがある。まあ失敗したとなったらそれまで、選手交代をすれば良いだけの話だ。

「なんとかしないと殺されちゃうよ、この爆弾で!!」

「こ、このガキ黙らせてやる!!」

「おいバカ!撃つなよ!」

銃口を向けるも、爆弾に当たる可能性を考えると引き金が引けない。この距離で臆するような腕前でよく拳銃が持てたものだと、名前は呆れた。
スキー袋に書かれた反転した赤い文字。運転手へと向けられたメッセージだ。
「スミレさん、歯を食いしばってしっかり捕まっていてくださいね」肩を抱きかかえた名前がそう言ったのと、意味を理解した運転手が急ブレーキを踏んだのは同時だった。
車体の重心が前に移り、乗客が座席や手摺りに掴まってそれに抗う中、無防備に突っ立っていた犯人たちだけが勢いよく床に打ち付けられた。

「このっ…」

悪知恵を働かせたコナンに銃口を向けた男の前に、名前が割り込む。にっこりと笑みを湛えたまま、トカレフを足で蹴り上げて、手中に収めると何の躊躇いもなく名前は銃口を男に向けた。

「先程の、お返しです」

声を上げる間もなく腕を撃ち抜かれた男は激痛に悶えながら肩で大きく息をする。「だらしないですねえ」と呆れたように呟いて、上半身を起こして後退しようとする男を思い切り蹴り飛ばした。このままではフロントガラスに衝突して首の骨が折れるかもしれない。

「処理が面倒になるから殺すのはダメだよ」

「承知しました」

名前は一向に構わなかったが許可が下りないので仕方がない。透かさずトカレフでフロントガラスをぶち抜き、衝撃を和らげた。外に投げ出された男の安否は定かではないが、死んではいないだろう。「お待たせしました」変わらぬ表情でスミレの手を取る名前は、恐ろしいくらい冷静だ。

「ご気分は?」

「…最悪よ」

「まあ、長い一区間でしたからねえ」

これに懲りて、もうワガママを言うのを自重してくれたらと思うが、きっと無理な話だろう。「名前、さん…」見下ろせば、困惑した表情でコナンがこちらを見上げていた。

「君を助けた訳ではないですよ、こちらの都合ですから」

「……っ」

ドアコックを操作して閉じられたドアを開けて外に出ると、待ち構えていた警察官と思しき数名がきょとんと目を丸くした。それに構う事なく「彼女ショックで具合を悪くしてまして」とスミレを女性警官に預けるが名前の腕を見た彼女は我に返って「貴女も怪我してるじゃない!」と声を上げた。私は大丈夫ですと返す間もなく、バスから雪崩出てきた乗客に今度は名前が目を丸くする番だった。
出てきた乗客の中には当然あの少年も居る。「コナン君?!」と警察関係者とも知り合いの小学生には驚かされてばかりだ。既に一般人の域を軽く超えている。

「爆弾があと20秒足らずで爆発するんだよ!!」

切羽詰った様子でそう早口で捲し立てたコナンは友達であろう少年少女を引っ張ってバスから遠ざけようとしているが、その中に名前の知る少女は居なかった。
背を向けようとした名前の耳に「あれ、灰原さんは?」と一人足りない事を窺わせる言葉が聞こえてきた。それを聞くなりバスへと走り出した小さな少年を見やり、名前はマーモンの判断を仰いだ。

「…良いんじゃないかい」

「あれ、珍しいですね。てっきり放っておけと言われるのかと」

「いずれ何かに利用出来るかもしれないからね」

「抜け目ないですねえ、こわいこわい」

からからと笑って、名前は軽い足取りでその少年を追った。不意に視線を感じて振り返ると、マーモンが警戒していたマスクの男と目が合う。
「Arrivederci」悪戯っ子のように笑みを浮かべてそう呟いた言葉は、彼に届いただろうか。生憎とそれを確認する時間は残されていなかった。

「灰原、っ」

息を切らせて走るコナンの背から一発の銃声が響く。リアガラスを撃ち抜いたそれに驚いて振り返れば、拳銃片手に手を振る名前の姿があった。

「逃げ道は作りましたよ」

「オメー…」

「貸し一つ、ということで」

程なくして撃ち抜いたリアガラスを破って外に出てきた2人の子どもを抱き留めて、名前はにこりと言い放った。

「どうぞ、私“たち”の事は内密に」

「あ…」

シィ、と人差し指を唇に当てる名前の肩に、その赤ん坊は確かに存在していた。フードを深く被ったその赤ん坊の表情は分からない。ぷっくりとした頬に逆三角のマーク。一体いつの間にと問い質したところで、飄々と逃げられてしまうのがオチだろう。
「なんで、貴女が」彼女と対峙するのはこれで三度目になる。赤いフードから覗く瞳は名前を真っ直ぐに見ていた。

「…今ここで“最後の逃げ道”を使うのは些か早い気がした、それだけです」

灰原の頬に付いた煤を払って、名前はただそう答えた。「コ、コナン君?」と車から降りてきた高木に視線を向けた時には、彼女たちは既に姿を消していた。
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