鐘を鳴らしたのは誰だ


「ジャッポーネの冬って過ごしやすいですよねえ」

「イタリアと比較するならね」

はあ、と口から漏れる吐息は白い。スーツにコート1枚羽織って、名前とマーモンは薄らと積もる雪道に足跡を刻んでいく。黒い傘には着々と対照的な白が降り注ぎ色を塗り替える。「殺しより護衛の任務が主って、本当に平和な国ですね」「…捉え方によっては、そうでもないだろうけどね」ふあ、と欠伸を噛み殺す名前はとても退屈そうだ。
杯戸シティホテル。本日の仕事現場だ。

「あら、今日はそっちの性別なのね」

「……生憎とこちらが本当の性別なもので」

ロビーのラウンジでミルクティーを飲みながら、スミレは名前の上から下までじっと見下ろして、数秒の後そう言った。
「前、よろしいですか?」「…いいわよ」足を組み直してふい、と視線を逸らしながらスミレは素っ気なく答える。思春期の女の子って難しいなあと苦笑を漏らして、けれど名前が席に着くなり店員を呼びとめて珈琲を注文したスミレは傍から見ても“人使いに慣れた”人間の一人だ。
相手が年上だろうと何であろうと、“使う”という行為に一切の躊躇がない。──疑問も、遠慮すら。人の上に立つというのは、誰にでも出来るものではない。ある意味生まれ持った才能だ。この年で既にその頭角を現している彼女は、きっと数年後化けるに違いない。

「……この前の件、礼を言うわ」

運ばれてきた珈琲に口を付けたところで、スミレがそう切り出した。相変わらず視線はこちらを向かない。
この前、というのは彼女の父親から依頼された怪盗キッド絡みの護衛任務──もっと言うと、屋根から落下したスミレを無傷で助けた──その件だろう。

「ん…ああ、当然の事をしたまでですよ」

「それは“仕事”だから、って事?」

「そうですね」

ちらりと時計を見やる。あと30分程で受付が始まる。スミレは黒を基調としたレースのワンピースを身に纏い、随分と大人しい雰囲気だ。
今日2人がこのホテルに居るのは、この後執り行われる「映画監督、酒巻昭氏を偲ぶ会」へ出席する為だ。本当は父親と出席する筈が、急遽彼に外せない用事──恐らく表沙汰には出来ない方の──が出来てしまい、しかし大事な一人娘だけ参加させるのは頂けないとそういった経緯で名前は今日この場に居る。篠宮氏は前回の名前の働きを甚く評価したようで、今回は名指しでの依頼だ。──全く、ヴァリアーは財閥や要人の為の便利屋ではないのだが。
見事篠宮氏の娘に対する過保護さに振り回される結果となってしまった。
マーモンが一切の文句を言わないのは、篠宮氏が提示する報酬額が護衛任務のそれを大幅に超えているからだろう。じとりと肩に乗っている相方に無言の視線を送るが、当人は素知らぬフリを突き通すのみである。幻術とは便利なもので、周りの目には名前一人しか映っていない。当然目の前のスミレも例外ではなく、彼女は名前の不審な行動に首を傾げるばかりだ。

「…さ、そろそろ時間ですね、参りましょう」

お手をどうぞ、とスマートにエスコートするその姿は、同性でも見入ってしまうものがある。
名前は任務だからと割り切っている分、逆を言えば“任務中は”あらゆるワガママを聞いてくれる事を知っているスミレは、その効力を惜しみなく使うつもりだ。これから先も絶対に、この縁を切るつもりはない。たった一度の任務で知り合ったばかりの人間にこれ程までに執着するとは、スミレ自身想定外だった。
自分にないものを沢山持っている人間は、こんなにも輝いて、魅力的に映るものなのだろうか。ツンとした態度の裏側でこんな風に思っている事を、当然名前は知らない。だからきつく握り返された手に、彼女は疑問符を浮かべるばかりだ。


***


会場内は時間を追うごとに人で溢れ返っていった。グラス片手に卒なく各界の著名人と談笑をするスミレは実年齢以上に大人びて見える。決して甘やかすだけではない、父親の行き届いた教育が見て取れた。
ポケットに忍ばせた青いハンカチに触れる。受付で貰ったそれは、これからの催し物に使うらしく、確認した限り7色はある。恐らくランダムで配っているのだろう。受け取るなりそのまま興味なさげに名前へと手渡したスミレは早くも参加する意思がない事を暗に告げた。

「ふうん。各界の著名人が集まっているようだね」

「おや、お知り合いでも?」

「まさか。事前にリストを把握していただけだよ。…ああでも、“僕らの”知り合いなら居るようだね、一人」

含みのある言い方をしたマーモンは珍しく口角を上げて一点を見やった。その先を目で追って、名前は早くも今回の任務を引き受けた事を後悔する。
黒服に映えるブロンドの髪を靡かせて、視線の先の女──ベルモットは艶やかな唇に弧を描いてこちらの視線に応えていた。
「うげ、」と小さく本音が口から漏れてしまったのは仕方の無い事だった。ベルモットの視線に気づかないスミレが非難めいたそれを向けるが、こればかりは勘弁して頂きたい。
宜しくない。非常に宜しくない。ベルモットが居るという事は、高確率で人が死ぬ。
誰が死のうが──任務なのでスミレ嬢を除いて──関係がないが、彼女の所属している組織が組織なだけに出来る限り関わりたくはない。

「早くも帰りたいです」

「何よ、私と居るのが不満っていうの?」

「そんなまさか。一生懸命護衛しますよ」

くい、と不満そうにノンアルコールの入ったグラスを煽ったスミレは名前の物言いが気に入らなかったようで唇を尖らせる。
「お行儀が悪いですよ」と小さく窘めて、空のグラスを手から攫った。そのタイミングでスミレは声を掛けられた為、悪態が彼女の口から飛び出なかったのは幸いだった。
空のグラスを手渡したウェイトレスが、視界の隅で不自然にしゃがんだのが見えた。粗無意識に視線をそちらへ向けると、どうやら迷子の子どもを見付けたらしい。
この広い会場内は子どもにとっては人も多くその気がなくても逸れてしまい易い。話しかけられた少女はおろおろと言葉に詰まっている。
何となく見覚えがある──その子を見て、直感的に名前はそう思った。「ムム…」どうやらマーモンも同じらしい。俯いていてこちらからはハッキリと顔は見えないが、髪形と雰囲気が──どこかで会った事があるような、そんな気にさせた。
一緒にパパとママを探そうか、とウェイトレスが声を掛けるより早く、一人の少年が二人の間に割って入って、まるでその少女を守る様に手短に会話を済ませて手を引いて行ってしまった。あっという間に人ごみに消えてしまったのを確認して、思い出せないモヤモヤ感だけがこの場に残った。

「どこかのファミリーの生き残りか、ううーん変な感じですね」

「何を一人で呟いているのよ。もう始まるわよ」

スミレが声を掛けた瞬間、アナウンスが掛かり会場の照明が落とされる。故人のスライド映像が流され、会場の目線はそちらに向かうが、どうにも気になる。
仕事柄、突然暗闇になろうと目が慣れるまでそうも掛からない。限られた視界の中で動き回る彼らは不自然でしかなかった。

「マーモン」

「知っているよ。…日本の犬が嗅ぎ回っているね」

「やはり“彼女”と何か関係が?」

「…さあね。僕らには関係のない事だよ」

金にしか興味のないこの赤ん坊は、金が絡まないとあらゆる事象に関与しようとはしない。それこそ目の前で人が死んでも──マーモンにとっては、そんな事よりも金勘定の方が何十倍、何百倍も大切で有益な事なのだ。
そんな事を考えていたら空気を裂く音が耳を掠めた。同業者ならすぐに解る。サイレンサーを付けてはいるが、この音は紛れもなく、発砲音だ。
咄嗟に名前は隣に立つスミレの腕を引き庇う。「ちょ、っと!」息を詰まらせたスミレの耳元で「静かに」と有無を言わせず名前はそう告げる。
その声色で名前がした行動の意味を瞬時に悟ったスミレは言う通り大人しくなる。そして次の瞬間会場内に響き渡った大きな落下音には驚いて肩を震わせた。
明りが会場に戻ると同時に、湧き上がる悲鳴──人が落ちたシャンデリアの下敷きになり、死んでいた。
人々の間に大きな動揺が走り、警視庁の人間が身分を公にする中、名前は再び、先程の少女を視界に捉えた。

「──あれは、」

ほんの一瞬、明りに照らされてその顔が浮かび上がる。不釣り合いな大きめの眼鏡を掛けているが、あの顔は確かに見覚えがあった。
その少女は、紛れもなくあの時施設で会った組織の構成員の一人だったのだから。
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