暗くなったらここへおいで


路地裏は、日中でも光が殆ど入らない為、薄暗い。コンクリートに浮かび上がる水溜りは濁り、周りには誰が捨てたか分からないゴミが放置されたまま。
一歩通りを移れば、外はこんなにも明るいのだと認知出来るのに。外であるのに外ではない。言うなれば此処は別世界そのものだった。
良くも悪くも、此処に好き好んで入る人間は限られている。先に言っておくが、名前とて、好き好んで態々こんな所を歩いている訳ではない。物好きの探し人を追ったら此処に来ていた、ただそれだけ。
つん、と鼻を突く嗅ぎ慣れた独特の鉄臭さ。慣れているとはいえ気分の良いものではない。それがゴミの匂いと交じり合うと、何とも言えぬ物が込み上げてきそうになる。
常人にはきっと耐えられないだろう。腰ほどの高さのゴミバケツに身体が当たらないようにそっとすり抜け、名前は呆れたように腰に手を当てた。

「相変わらず、趣味の悪いお遊びですねえ」

コンクリートに転がるのは、一つの眼球。随分と綺麗に抉り抜いたものだ。指でやったのか、お得意のナイフでやったのかは定かではないが、聞こうとは思わない。
眼球の持ち主は疾っくに事切れている。今この場において声を上げる事が出来るのは名前と眼球を抉り抜いた張本人だけだ。
イタリアから日本へ渡ったと連絡があったので迎えにと思ったらこれだ。名前はマーモンに粘写してもらった紙を放る。コンクリートの上に落ちると、それは一瞬で赤く染まった。
昔からご当地の殺し屋を殺して回るのが趣味の一つだと聞いてはいたが、いい加減何とかならないものか。一面血塗れの殺人現場に出向かされるこちらの身にもなって頂きたい。
それにいくらヴァリアーに優秀な“掃除屋”が居るからと言っても、任務外でここまで引っ張り出されるとなると不憫に思えてならない。
当の本人は悪びれる様子もなく、頭にトレードマークの王冠を乗せて白い歯を見せ笑う。

「うししし!名前もやる?目ん玉くり抜きゲーム」

「謹んで辞退します」

名前が迎えにきた事で、すっかり興味を失くしたのかベルフェゴールは死体を乱雑に蹴り飛ばした。幾つになっても、こういう子どもっぽいところは変わらないようだ。

「マジ最近ハズレばっか。王子タイクツー」

鮫からかうのも飽きたしなーとナイフ片手にぼやく同僚を見て、名前は溜息しか出ない。
ヴァリアーにはこういう快楽殺人者がわらわらと居る。全員がそう、という訳ではないが、名前とてその組織の一員なのだ。人を殺すことに感情を抱くか否かの違いだけで、やっている事に変わりはない。
だから、呆れこそするものの否定はしない。

「ほら、寄り道していないで、早く──」

ひゅん、とナイフが空を切る。器用に飛んできたナイフの柄の部分を指で挟んで受け止め、名前はにんまりと笑う悪魔を睨みつけた。

「折角だから、久々に遊ぼうぜ。名前」

どうやら彼は暇潰しの相手に名前を選んだようだった。いつの間にか彼の手には幾本ものナイフが握られ、鋭利な刃物は彼の手の中でくるくると回る。
一本。ナイフを投げると、鈍い音を立ててそれが弾け飛んだ。
自分の投げたナイフと名前の投げたナイフが見事相殺され、彼女の腕がどうやら鈍ってはないようだと確信した彼はにんまりと口元を歪めた。
耳元をぞわりと何かが這う。この感覚を彼に抱かせる人間は、やはり身内に多い。だからこそ彼は、未だヴァリアーという組織に身を置いている。すべては、自分が愉しむ為に。

「流血する覚悟があるのなら、お受けしますが?」

「うしし!言うじゃん」

「──と、言いたいところですが」

羽織っていたコートごと、名前に投げられたナイフによって壁に縫い付けられる。フェイントに見事乗ってしまったベルフェゴールはつまらなさそうに唇を尖らせた。

「王子騙すとか名前のクセにナマイキじゃん」

「いい歳をして駄々を捏ねるからですよ」

ちぇーと、観念したようにベルフェゴールは小さく両手を上げる。それを見て壁に刺さったナイフを抜いてやり、彼を自由にする。
にんまりと笑った彼が反逆を起こしたのは、その直後だった。「あ、ベル!」と抗議の声を上げた名前に悪びれる様子もなく、そのまま彼女の両手を片手で壁に押さえつけた。

「しししっ。形勢逆転〜♪」

「え、ちょ、ベル!な、にを…っ」

空いている手が名前の顎を捉え上を向かせる。間もなく降ってきた唇が口の端に触れると、びくりと名前は身体を震わせた。こんな近距離でも、彼の瞳を拝む事はできない。
言葉を詰まらせた名前を満足げに見て、そのまま柔らかな唇に触れる。顎に当てている指先にそっと力を込めれば、抗えず名前の口が薄く開く。
ぬるりと温かな舌先の侵入を許してしまった名前は、それを大人しく受け入れるしかなかった。
名前の両手を拘束していた手が放されるが、抵抗という抵抗ができない。彼の手が腰の辺りを這い、脇腹をなぞり上げると堪らず名前は小さな声を上げた。
こんな殺人現場で、一体何をやっているのか。彼の昂ぶった感情を鎮める為に、自分は居るのではない。文句の一つでも言ってやりたいのは山々だが、如何せん身体が言う事を聞かなかった。

「ん、名前気持ちいいの?」

「ベ、ル…っ!やめ──」

「答えになってねーし」

ちゅう、と首筋を吸い上げられたところで、限界を迎えた名前は涙目になりながら声を上げた。

「マ、マモちゃん!!」

直後、それに応えるようにどこからともなく現れた触手のようなものが、うねうねとベルフェゴールに巻きつき、名前から引き離す。
「イイとこ邪魔すんなって」不機嫌そうにナイフで触手を払い、距離を取ったベルフェゴールが口をへの字にして文句を漏らした。

「名前は君の娼婦じゃないよ。手を出さないでくれる」

「しし!じゃあ金出したら続き、させてくれるわけ?」

じろり、とフードに隠れた瞳がベルフェゴールを見据える。お互い目元は見えないが、その視線に含まれる感情には聡い。
金銭には人一倍過敏に反応するマーモンではあるが、マーモンにだって大金を積まれても譲らない物の一つや二つはある。その一つがこの苗字名前である。
己を助けてくれた毒々しい紫色の触手に抱き着きながら、名前はらしくもなく小動物のようにぷるぷると震えている。触手に静かにその身を置いたマーモンはよしよしと小さな手で彼女の頭を何度か撫でて落ち着かせる。

「名前。かわいそうに、怖かったね」

「ベルのケダモノー!」

「うししっ!オレ悪くねぇし。だって王子だもん」

「彼のそういうところは今に始まった事ではないけどね。油断した君にも非はあるよ」

「うう。すみません、精進します」

マーモンの登場ですっかりその気を削がれたのか、ベルフェゴールは欠伸を一つして、ぐっと伸びる。ポキ、と関節が小気味良い音を立てた。
「寿司食いたい」とナイフを仕舞った彼が唐突にそう主張したかと思うと、次の瞬間には名前の襟首を掴んで返事を待たずして大通りへと足を進める。
ベルフェゴールの気まぐれには振り回されてばかりいる。大人しくされるがまま、名前は彼の変わらぬ様子にマーモンと顔を見合わせて小さく笑った。
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