被写世界の深度


己の手の中で光る大粒のエメラルドを、迷うことなく月光に当てる。今度こそ、と震える期待と思いに覗き込めど、しかし今回もまた、宝石は彼に応えてはくれなかった。
失望する反面、どこかホッとしている自分が居るのも確かだ。脳裏に過るのはいつだって背中を追いかけて必死に追いつこうとしていた自分と、父親の姿。
パンドラを手にした時、果たして決意揺らぐ事無くこの手で終わらせる事が出来るのだろうか。
ひゅう、と冷たい風が頬を撫でる。風に紛れて安全装置が外された小さな音を耳が拾った。ここは日本だというのに、まったく随分と物騒になったものである。見上げると、篠宮財閥のご令嬢が拳銃を両手で構えてキッドを見下ろしていた。近くの窓が開いている事から、よじ登って屋根まで上がってきたのだろう。

「女性がそんなモノを持つのは危ないですよ、スミレ様」

「気安く私の名前を呼ばないで、怪盗キッド」

苗字名前に化けた怪盗キッドは銃口を向けられても笑みを崩さない。下が騒がしい。中森を筆頭とした警察が騒いでいるのだろう。直に、ここも見つかってしまうに違いない。
キッドとしてはもうこの宝石に用はなかった。いつも通り持ち主にそっと返して退散する予定だったが、目の前のヤンチャなご令嬢は易々とは帰してくれないだろう。

「貴方が苗字に化けるのは検討がついていたわ」

「おやおや。中々良い観察眼をお持ちのようで」

一発。容赦のない狙撃だった。風向きが悪かったら確実に掠めるだけでは済まなかっただろう。腕前と躊躇いのなさからして、ただのご令嬢でない事は明白だった。マフィアと繋がりがあるという噂も信憑性が増す。
白いマントが大きく翻る。苗字名前から怪盗キッドへと姿を戻した彼は、臆する事無く白い歯を見せて悪戯に笑った。

「おめー、とんだじゃじゃ馬だな」

「悪いけど、貴方はここで殺すわ。警察も手緩いのよ、初めから殺す気で行けばこうはならなかった筈よ」

「あんまり暴れると、落ちちまうぜ?宝石は返すから、大人しく──」

発砲音が言葉を遮った。トランプ銃から放たれたトランプが弾を相殺する。これ以上は話しても埒が明かない。発砲音を聞きつけてここに中森警部らが乗り込んでくるのも時間の問題だった。ただ、目の前の令嬢はその前にキッドを殺す気満々であるのが厄介だった。

「スミレ様、それ以上は駄目ですよ」

正に、鶴の一声。キッドはそのタイミングの良さに思わず拍手を送りたくなった。正真正銘の苗字名前がよいしょと窓を開けて屋根に上がってきた。
良いタイミング、と咄嗟に思ったが、逆にこれ追い詰められてんじゃね?と思い直してキッドは2人に気づかれないようじりじりと後退する。接近戦に持ち込まれたらとても厄介だ。
名前に窘められても、スミレ嬢は銃口を下ろさなかった。「今更何よ、この役立たず」と冷たい声が降ってきた。

「いやあ、少しばかり退屈だったので、つい」

「何よ!ワザとそのコソ泥に捕まってみたって言うの?!」

「実際、面白い展開になっていますし、私は中々愉しいですよ」

でも、少しじゃじゃ馬が過ぎますよ

にこりと浮かんでいた笑みが、一瞬にして消えた。月明かりが名前の顔を照らした瞬間、思わずスミレは肩を震わせた。背中に冷たい汗が流れる。ゾッとするような眼差しだった。殺気に似た、少しの怒気。人に見つめられてこれ程の恐怖を抱いたのは初めてだった。
名前は静かに手を上げる。何をするのか分からずスミレが肩を揺らしたのと、彼女が指を鳴らしたのは同時だった。

「改めて、初めまして。苗字名前と申します」

「え、女?」

ぽかん、とキッドはらしくもなくポーカーフェイスを崩した。目の前に居た優男が一瞬にして女性になっていたのだから無理もない。ゆらりと髪を結う赤いリボンが風で揺れる。
キッドと同じように呆気にとられているスミレに、名前は笑顔で銃口を向けた。
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