時間は躊躇ってくれない


ぴくりと指先が痙攣のように反応を示し、名前は薄らと目を開ける。ぼんやりとする視界と意識が時間を置くにつれ徐々にハッキリとしてくる。
真っ白い天井と腕に繋がれた点滴を見て何となく状況を把握した。どうやら九死に一生を得たようだが、如何せん情報が少なすぎる。何日経過しているのかも、此処がどこなのかも皆目見当がつかない。少なくとも病院でない事は、人の無い気配と視界に入る充分とは言えない医療機器設備で解った。
喉がカラカラだ。それだけで意識を失っていたのが2,3日でない事が伺える。さて、どうするかと思ったところで突然ドアが開く音がして人が入ってきた。咄嗟に目を閉じて意識のないフリをする。何日か意識を飛ばしていただけで、こうも反応が遅れるとは、暗殺者としては中々に情けない。
靴音を響かせて入ってきた人物は名前の枕元まで歩み寄り、そのまま彼女の頬に触れる。視界が遮られている中突然触れられても、名前はぴくりとも動かない。
その辺は流石と言うべきであろう。次いで指先が首筋に触れ、恐らく脈を測っているのだろう。指の太さからして男だろうか。「脈拍異常なし、か」独り言のように呟かれたその声には、聴き覚えがあった。
指が離れ、今度は服が擦れる音がしてトントン、と僅かに何かを叩く音がする。それから程なくして「もしもし、バーボンですが」と声がして思わず体が強張りそうになった。

「脈拍異常なし。枕やシーツの皺も数時間前と変わらずで、意識が戻った形跡もありません。ええ、はい。また後ほど連絡します」

必要最低限の報告をして、バーボンは電話を切った。そしてもう一度名前の首筋に指を這わせた後、静かに部屋を出て行った。

「それで、今ので状況は把握したね?」

聞き慣れた声が突然したが、名前は驚かなかった。彼がこうして出てきたと言う事は、人の気配が全くないと教えてくれているに等しい。取り付けられている監視カメラも誤魔化してくれているのだろう。目を開けた名前は、久しぶりに見る相方に目を綻ばせる。
ゆっくりと起き上がり、ふらつく頭を押さえる。ずっと横になっているのはこんなにも辛いものなのか。
投げられた飲料水を受取り、僅かに口に含む。常温の水が口内を巡り、そのまま喉を鳴らすと身体に染み込んでいくような感覚を覚えた。
半分程飲んだところでそれをサイドテーブルに置いて、点滴の針を腕から引き抜いた。

「悪いけど調子が戻るまでは待てないよ」

「…分かっています。ご心配を掛けました」

愛用していたアンクル、サイ・ホルスターは当然見当たらないが、身に着けていた衣類はクローゼットにそのまま仕舞ってあった。ナイフも没収されてしまっている。
一切の武器はこの部屋にはなかったが、名前は構わなかった。素早く着替え、サイドテーブルに置いてあった赤いリボンを手に取り、髪を結う。

「お待たせしました。行けます」

「脱出ルートは用意してあるよ。ポイントでレヴィが待機している」

「わ、不本意ですがレヴィさんに貸し一つですね」

行くよ、と背を向けたマーモンの小さな背中を見て、名前は目を細める。まだ、自分は必要とされているらしい。腹部に手を当ててそう思う。あの時、処分されるのだと思った。でも、マーモンはそうしなかった。荒療治ではあったが、マーモンのお蔭で体内に残留していた薬物は血と共に排出され、回復が早まった。
結果的に組織にはマーモンの能力と名前の秘密がバレてしまったが、背に腹はかえられない。

「出る前に、少し寄り道するよ」

意外なマーモンのその言葉に、名前は小さく首を傾げた。


***


「…あら。意識が戻ったのね」

床に転がった同じ白衣を着た研究員を目にしても、シェリーはこれと言って動じなかった。手にしていた試験管を慎重に元あった場所へと戻し静かに腕を組む。

「意識のない間お世話になったようなので、お礼を言ってから帰ろうと思いまして」

職業柄、物騒で申し訳ないのですが、と付け加え名前は拝借した拳銃の安全装置を解除する。そして、床に倒れた研究員の息の根を完全に止めて、名前はその銃口をシェリーへと向けた。

「それにしては随分な挨拶だと思うけど?」

「ああ、勘違いしないでください。狙いは貴女ではありませんから」

音もなく名前はシェリーとの間合いを詰める。彼女が息を呑んだのと同時に、発砲音が響きガラスの割れた音がした。そして、マーモンが指を鳴らすと何かが燃え上がる。
視線をそちらへと向けると、紙の束が煌々と燃え上がっていた。確かあれは、そう。苗字名前の体内から検出された薬品のデータだ。先程の割れた音は、差し詰め彼女の血液サンプル。逃げるならとっとと逃げればいいものを、本当に抜け目がない。
拳銃をしまった名前は、興味深そうに視線をシェリーの目の前のゲージへと向ける。中には何匹かのモルモットがいたが、ピクリとも動かない。

「怖いところですねえ、此処って」

「用が済んだならさっさと退出して頂ける?」

冷めたシェリーの声にくつりと喉の奥で笑う。その視界の隅で、死んだ筈のモルモットがピクリと動いたような気がした。再び視線を向けると、モルモットの死体の間から、それよりも小さい──幼体が苦しそうに鳴き声を上げた。それを聞いて、シェリーの目つきが変わる。
彼女の興味は完全に名前から削がれたようだった。名前に背を向けゲージをよく見ようとする彼女の背後に近づいて、耳元に唇を寄せる。

「Grazie mille」

「…っ?!」

驚きに振り向いたシェリーの頬に悪戯にリップ音を響かせて、名前は笑う。

「さようなら、可愛いひと」

シェリーが次に瞬きをした時、そこにはもう誰もいなかった。
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