萎れたプラチナ


「うーん。交通費の方が高くついてしまいましたね」

実に呆気ない、と女は動かなくなった死体を見下ろして息を吐く。これなら日本へ飛ばれる前にイタリアで殺しておいた方が色々と経済的だったのではないか。
さて、と思ったところでふいに女は不自然に身体を横へとずらす。この世界にどっぷり浸かりきってしまっている女には、近距離での弾避けなどまるで息をするのと同じように造作もない事だ。

「……チッ」

凍てついた双眸を向けられても尚、女の表情は変わることはない。どうやらジンは女を殺すという決断に至ったようだった。大人しく見ているだけだったジンの発砲により、ウォッカとバーボンも銃口を彼女へと向ける。

「キャンティ、コルン。的を変更だ」

ほぼ唇を動かさずにインカムでそう告げたジンに、キャンティの愉しげな声がすぐに返事を返す。狙っていた獲物を自分より先に殺されてしまったのだ、彼女とて今の状況は面白くなかったに違いない。

「見たところ同業者、とまでは言いませんが、お互い叩けば埃が出る身じゃないですか?特にお兄さん、目が一般人のそれとは思えないですもん」

「ハッ、だからどうした」

「お互いもう済ませるべき事は済ませた、そうですよね?」

「……」

「なら穏便に、さようならをしませんか?任務外の殺人をするのは私の本意ではありませんし」

ゆらりと女の身体が動いて、地を蹴りあげる音がする。コンクリートに弾がねじ込まれた鈍い音が的を外したのだと告げる。バケモノかよ、と後ろに控えているウォッカが声を漏らした。
こうも簡単に狙撃手の弾を避ける人間なんて、居るのだろうか。

「埒が明きませんねえ」

そう言いつつも、女は拳銃を構える様子はない。その余裕を見せる態度がジンを益々苛つかせた。

「マーモン」

女が不意に呟いたその言葉に、周囲は警戒心を濃くする。しかし、女の言葉に応えるように突如現れたそれに、ジンは僅かに目を開いた。

「ガキだと…?」

突然現れた子どもは、どちらかというと赤子と形容した方が正しい。闇に紛れるようにフードを深く被っており、顔は分からない。ぷっくりと膨らんだ頬には逆三角のマーク。ふわりと浮くその赤子は、女以上に、異質な存在だった。

「どうやら上手くいったようだね」

「はい、結構あっさりと。ただ、見ての通りちょっと後始末が厄介そうです」

「そのようだね。名前、金にならない事はするんじゃないよ」

「心得ております」

徐にマーモンと呼ばれた赤子が紙を取り出し大きく鼻をかむ。そして、「ムム」と唸るようそれを見つめて、マーモンは小さな手である方向を指さした。

「2人。あそこのビルだね」

その言葉が何を指しているのか、分からないほど愚かではない。同時に3人が発砲する。それをゆらりと躱して、名前は積まれたコンテナを見上げた。少し高さが足りないかもしれないが、物は試しだ。助走を付け、積まれたコンテナの僅かなスペースに足を引っかけながら彼女は器用に天辺まで登って行った。

「マモちゃん、ライフル」

「狙撃なら気にしないでいいよ」

信じられないような光景だった。いつの間にやら、彼女の手にはライフルが握られており、スコープをのぞき込みながらにんまりと笑う口元が、月に照らされる。大人しく見ている筈もなく、無防備なその身体を穴だらけにしようと発砲するが、この距離で誰一人として当てる事ができない。

「一体、何なんだ…」

唖然とした表情を浮かべるバーボンに、答えるものは誰もいない。
「撤退しろ!!」とジンがインカム越しにそう叫ぶより早く、空を裂く聞き慣れた音が2発分。
殺られたのか、それをインカムで確認する前に、大きな舌打ちが聞こえた。間違いなくキャンティのものだ。

──畜生!スコープをやられた!!

──条件が悪いな

予備を持っていないわけではない。ただ、この悪条件の中的確にスコープをぶち抜く腕前の狙撃手を相手にするのは些か分が悪い。
気に食わないのは、スコープを狙ったというだけで、それ以上の発砲を相手がしてこない事だ。殺そうと思えば殺せると、暗に言われている牽制を込めた発砲が2人の狙撃手を大いに煽った。

「撤退するよ」

「はい」

それなりの高さがあったコンテナから最小限の音を立てて着地する彼女には、隙が全くない。そしてごろりと転がっている男の首を、まるでサッカーボールを扱うように豪快に蹴飛ばした。飛び散る血痕と独特の匂いが鼻を突く。

「ゴールイン」

そうイタズラに笑って、赤ん坊がどこからともなく出したトランクに生首が突っ込まれた。ぱちん、と赤ん坊が指を鳴らすと、トランクはまるで初めから何も存在していなかったかのように闇に溶け込んで消えた。

「保冷剤をつけるべきでしたか?」

「そう思うならもっと綺麗にやりなよ。必要だったのは首じゃなくてコレがしてるコンタクトだったんだからさ」

「あはは、眼球を抉り出した時にコンタクトを傷つけたらパアじゃないですか」

何度目かの発砲が彼女たちを襲う。ピン、と彼女の纏うコートの袖のボタンが弾け飛び、「危ないじゃないですか」と困ったような瞳がジンを見据えた。

「てめえは、何だ」

長い指先が口元に当てられる。しい、と子どものように唇を弧の字に描いて、彼女は囁いた。

「A secret makes a woman woman」

「!」

「金色の美しい人に、よろしくお伝えください」

それだけ言い残し、女と赤子は瞬きの間に静かに消えた。
月夜に照らされて弾き飛ばされたボタンが一つ、小さく己の存在を主張する。
それを拾い上げ、ジンは誰もいなくなった虚空を見つめ、自嘲気味に笑った。

「あの女絡みか。道理で胸くそ悪いわけだぜ」

「ジンの兄貴…」

「もうここに用はねえ。引き上げだ。ウォッカ、」

あの女…ベルモットに連絡を取れ。

脳裏に見慣れたベルモットの顔と、先ほどの女の顔が浮かぶ。ポケットに忍ばせたボタンを叩きつけたとき、あの女はどんな顔をするだろうか。
殺し損ねた女の顔を、ジンは暫くは覚えておいてやろうと思った。
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