温かな水で満たそう

「折角の休みだし、買い物にでも行こうか」

雇い主の突然の提案に、ソファーでクッションを抱え塩味の利いたスティックタイプのプレッツェル菓子を咥えながらニュース番組を見ていた名前は目を瞬かせた。
極めて突発的な提案ではあったが、断る理由は思い当たらず、名前は二つ返事で頷く。それを見届け、善は急げと言わんばかりに支度を始めた八木を視界に収め、名前はそっとテレビのリモコンを手に取った。
ラフに行こうかどうしようかとうろうろする八木に、思わず笑みが零れる。手に取ったネクタイをこれは違うなとポイッと放りながら「名前も、偶には私服っていうのもいいんじゃないかな」という八木の言葉に大人しく名前は従う事にした。自室に行きクローゼットを開ければ私服よりもコスチュームのスーツとシャツが圧倒的に多く思わず苦笑を浮かべる。ネイビーのストライプのコクーンシャツにモスグリーンのパンツを鏡の前で合わせ、私服を着るなんて随分久し振りだと名前はぼんやりと思った。

「うん、似合ってるね」

「…ありがとうございます」

名前が着替えている間に既に身支度を整え終わった八木は本日二度目の食事をしていた。1/3程のロールパンををもぐもぐと咀嚼しながら八木は柔和な笑みを浮かべた。
胃の全摘によって一度に多くを食べる事が出来ない分、八木の一日の食事回数は多い。食事制限はないものの、良く噛まなければ詰まってしまい、唾液の逆流や下痢嘔吐等の症状が出て辛い思いをする。それでも八木が弱音を吐いたところを名前は一度として見た事がない。
引き出しを開けて黄色いリボンを取り出した八木が小さく名前を手招く。「お母さんみたいですね、ほんと」と思わず口から出た本音に、八木は「そんな事を言うのは名前だけさ」と肩を竦めて見せた。



***



「私が来た!」

プロヒーローは年中無休だ。
HAHAHA!と高らかに笑ったオールマイトは白昼堂々コンビニを襲った強盗犯に向かって仁王立ちで行く手を阻む。例え私服でも、トレードマークの逆立った前髪とその体躯を見て平和の象徴を背負うヒーローの名が分からない人間など一人も居やしないだろう。
オールマイトだ!と、被害を蒙らない為に遠巻きで見つめる野次馬がどっと沸く。買ったばかりの観葉植物の入った紙袋を手に引っ提げてその野次馬の中に埋もれた名前はオールマイトの登場に怯む敵を視界に入れて早い決着になりそうだと一人思う。自分までが態々出て行く相手でもない。疾うに警察へも連絡済だ。
紙袋から覗く白い斑模様が美しいアイビーの葉を軽く突きながら名前は静かに事の成り行きを見守った。

「TEXAS…」

まじか、と思わず名前の口かららしくない言葉が漏れる。ここでそんな大技を決める必要がどこに、と彼女が止める間もなく、オールマイトは彼女の心情など知る由もなく拳を振りかぶる。「──SMASH!!」野次馬から抜け出し、足元に紙袋を置いて名前は両の掌を合わせて“個性”を発動させた。
砂埃を巻き上げながら敵と、拳圧でそれに巻き込まれたコンビニに駐車していた数台の車が吹っ飛ぶ。──いつ見ても、規格外のパワーだ。
ヒーロー保険に加入はしているが、この場合の車の破損が補償対象となるかは定かではない。国産車に交じり輝く輸入車のエンブレムを視界に入れ、名前は顔を青褪めさせた。襲い掛かる風圧が視界を遮ろうとするが、風を自由に操る名前がそれを許さない。緩やかな風が車の車体と気絶している敵を包み込みそっと地面に下ろした。
遠くからサイレンの音が聞こえてくる。良いタイミングでの到着だ。
奪われたコンビニの売上を店員に手渡し、オールマイトは警察よりも早い到着のマスコミの取材に笑顔で応対していた。シャッター音とフラッシュがオールマイトを捉えて離さないが、何故か名前もそれに巻き込まれる。容赦なく焚かれたフラッシュに目の前がチカチカした。
軈て埒が明かないと判断した彼がインタビューもそこそこに紙袋を手に持った名前の腹に手を回して抱え、思い切り地を蹴った。まるで誘拐だと慣れた浮遊感にそっと息を吐いて、名前はポケットからハンカチを取り出して咳き込むオールマイトに手渡した。
「…すまない」ごほ、と漏れる咳嗽と共にハンカチを染めるくすんだ赤。何度見たか分からないその光景は慣れたものではあるが、何度見ようとも胸のざわつきは治まらない。

「大丈夫ですか」

人気のない路地裏に着地をして喘鳴を漏らす八木の背を名前はそっと摩る。
日に日に彼のヒーローとしての活動時間は少しずつ終わりを迎えようとしている。八木はそれに抗う気はない。ただ最後のその時まで平和を守る象徴として、一人のヒーローとしてその責務を全うしたいと思う気持ちがひしひしと伝わってくる。後継者を見付けその育成へと不器用ながら奮闘する八木をただ黙って名前は支えていたいと思う。

「……ふう。さて、これからどうしようか」

ご飯でも行くかい、と続けた八木の言葉に名前は首を横に振る。一度に多くを食べる事が出来ない八木は、外食について渋る様子は全くなく、逆にこうして提案する事も多い。それは同行している名前が一緒に食事を楽しんでくれるからに他ならないが、その一方で作ってくれた人に対して申し訳ない気持ちも彼の中で共存している事を名前は知っていた。
「ご飯は家がいいです」名前がそう言うのは上記の理由もあるが、一番の理由にはならない。

「八木さんのご飯が、私は一番好きです」

名前のその言葉に、八木は嬉しそうに笑った。
次の日、コンビニ強盗事件のあらましと共にSNSにアップされた平和の象徴の相棒の珍しい私服姿を収めた1枚の写真について、A組の生徒たちからの質問攻めが待ち受けていようとはこの時の名前は思いもしなかった。

18.10.02
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -