手には花ばかり

「…あ?」

通学カバンを気怠そうに肩に引っ提げて、靴音を鳴らしながら歩いていた爆豪は見慣れたリボンを視界に入れて思わず足を止めた。数メートル先に居るそれは風が吹く度にゆらゆらと揺れる。頭の後ろで髪ゴム代わりに結われた赤いリボンに思い当る人物は1人しかいない。しかし、遠目から見てもその様子が可笑しい事は明らかだった。爆豪の眉間に深い皺が刻まれる。歩く速度は遅く、一歩一歩が覚束無い。そして彼女はこれから学校へと赴く筈なのに、通学路から逸れた右へ曲がろうとしていた。
「は?」爆豪の口から単音が漏れる。その形相と相俟って彼とすれ違った人がギョッとした様子で爆豪を振り返って見ていたからその顔は余程の物だったのだろう。
不自然にゆっくりと歩く彼女の手は、数歩先を歩く男性のそれを掴んでいた。その人物は彼女の雇い主でもなく、爆豪が知る限りでは雄英に勤務している人間でもない。嫌がる様子もなく従順に全く身に覚えのない男に手を引かれて雄英から遠ざかろうとする彼女に、爆豪の中でぷつりと血管の切れる音がした。

「おい、苗字」

腹の底から出た低い響きに、声を掛けられた2人がぴたりと歩みを止める。「爆豪くん…?」そしてゆっくりと声のする方を振り返った名前を見て、爆豪は眉間の皺を更に深めた。爆豪の方を向く名前はそちらに視線は向けど、焦点が定まっていない。
交わる事のない視線に両の手を威嚇するように爆ぜさせて、彼の気迫に怯む男へ射殺さんばかりの鋭い視線を向けた。「ゆ、雄英生…?!」しかも、体育祭の時の、と続けられた言葉に爆豪は口角を上げる。──相手に自分の素性が割れているなら話が早い。
爆竹のような音が大きく鳴る。その狼狽えっぷりから爆豪がどんな個性を持って、実力がどの程度なのかを理解しているのは明白だった。
「失せろやカス」男に向かって伸ばされた手が先程よりも大きな音を立てて爆ぜた。「すみませんでしたぁああ」息を呑んで男は情けなくそう声を上げて爆豪たちに背を向け、全速力で走り去った。
追いつく事は容易ではあるが、この状態の名前を1人置いておく訳にはいかない。離された手をそのままに、状況が掴めていない名前の頭を無遠慮な手が掴んだ。

「わっ…え、何…?!」

「どういう事か説明しろや」

頭を掴んだ人物が爆豪だと分かると、名前はホッと息を吐く。本当に見えていないのかとその様子を見て爆豪は大きく舌打ちを漏らした。
彼女がこうなってしまった理由は、先程の男性の個性にあった。衝撃を与えた者の視力を一定時間奪う個性。その時間は撃力によって異なり、雄英に向かう途中の曲がり角で男性と派手にぶつかってしまった彼女はこうして一時的に視力を失ってしまった。決して悪意あってのものではなく、飽く迄事故であり、見えないまま立ち往生する訳にもいかないのでその男性には最寄りの交番まで連れて行ってもらう途中だったと言うのが、名前の言い分だった。
「馬鹿か」しかし爆豪はそんな彼女の言葉をばっさりと切り捨てる。

「あの野郎が親切に交番に連れて行く保証なんてねえだろ」

う、と名前は言葉を詰まらせる。プロヒーローともあろう者がヒーローの卵に諭されるなど情けない。爆豪の言葉は尤もであったが、視力を奪われた彼女は携帯を操作する事も出来ず、それ以外に有効な手段が思いつかなかったのである。
乱暴に手首を引っ掴まれ、突然の事に名前は体勢を崩し壁に頭から突っ込む。ざらざらとしたコンクリート壁が額を擦り、鼻を強かにぶつけた。余りの痛さに声も出ない。鼻を押さえて涙目になった彼女を何やってんだと舌打ち一つで見返した爆豪には思いやりというものが足りていない。
「とっとと歩けよ遅刻すんだろが!」と言いつつも、名前を見捨てる素振りはなくどうやらこのまま学校まで連れて行ってくれるらしい。目を吊り上げる彼にもほんの一握り程度の優しさはあるようだった。

「……名前さん?」

学校まであと少し、というところで彼女の名前を呼ぶ声に、爆豪は苛立ちを含んだ大きな舌打ちを本人が目の前に居る事も構わず漏らした。
「爆豪、何やってんだ」手を繋いだままの彼と名前を見比べ、抑揚のない声で轟が問う。朝から面倒臭い事ばかりだと奥歯を噛み締める爆豪の様子は見えていない名前にとっては何の影響力もない。
「轟くん」声のする方を向いただけの彼女と轟の視線が交じり合う事はない。その様子にぴくりと轟は不審そうに眉を動かす。「名前さん、見えてねえのか?」心配そうに声のトーンを更に低くした轟に、随分状況把握が早い事だと他人事のように名前は思った。

「個性事故で一時的に視力を失ってまして…偶然通りかかった爆豪くんに学校まで連れて行ってもらっている途中です」

「個性事故…」

「分かったらとっとと退けや半分野郎」

爆豪の言葉に少しだけ考える素振りを見せた轟は、空いている名前の手を取って「俺も一緒に行く」と彼女を気遣いながらゆっくりと歩き出した。轟と爆豪の間に挟まれそれぞれに手を繋いでもらっているというこの状況は傍から見ればさぞ物珍しい光景だろう。──当事者である名前はにこりとも笑えないが。
「ああ?!」攻撃的に声を上げた爆豪に構わず、問答無用で歩く轟を止められる者はこの場に誰一人としていない。

「ここは自転車も車も比較的多い。危ねえだろ」

「てめェに言われなくても分かっとるわ!!」

今回に限っては名前に2人を止める権限はない。申し訳ございませんと項垂れる名前の頭に温かな手が触れる。反射的に顔を上げれば、ほんのりと赤くなっている鼻先に指が触れた。

「ぶつけたんだろ、ここ。大丈夫か?」

「大丈夫です」

反対方向からぐいっと引っ張られ、名前は爆豪の肩に緩やかに頭をぶつける。見えない分、受け身を取る事も出来ず、名前はさっきから痛い思いばかりしている。
名前がどうしたのと言葉を掛けても、爆豪は舌打ちを溢すばかりだ。一体何が気に入らないのかと問おうとして、名前は口を閉じた。本来ならば彼はもっと早く学校に着けた筈だ。その邪魔をしてしまったのは紛れも無く名前で、それに対して爆豪が苛立ちを感じるのは尤もな話だ。
「すみません…」と再び項垂れた名前の額に、何も分かってねえなと声には出さずその代わりに爆豪は容赦ないデコピンを一発食らわせた。



***



「ババア居ねえのかよ」

保健室のドアを乱暴に開けて開口一番爆豪がそう暴言を漏らした。
確かに人の気配がないと静まり返ったそこに足を踏み入れた名前は頼みの綱のリカバリーガールの不在に打ちのめされる。
折り畳まれたパイプ椅子を広げ、轟がゆっくりとそこに名前を座らせた。薬品の棚を開け、爆豪がごそごそとリカバリーガールの不在を良い事に好き勝手に中を物色している。やがてお目当てのものを見付けたのか、消毒液と薄いコットン、絆創膏を手に持った彼は名前の前に座った。
「前髪上げろ」鼻先に感じる消毒液の独特の匂いに、名前の身体が強張る。言うとおりに名前が前髪を上げると、擦り剥いてピンク色になった傷口が露わになった。ピリピリと染みて痛いと独り言を溢す名前に構わず、爆豪はたっぷりと染み込ませたコットンを容赦なく押し当てる。見えない中で与えられる痛みは、こんなにも恐ろしく感じるものなのか。
思わず繋ぎっぱなしだった轟の手をぎゅっと握れば、空いている彼の手が慰めるように名前の背を撫でた。

「ガキかよ。情けねえな」

「お、お手柔らかに…」

「するかよボケ」

ぺち、と絆創膏がぞんざいに貼られる。そして患部にそっと這う指先の感覚にびくりと名前は肩を震わせた。は、と鼻で笑う爆豪の声が存外近い。2人が近くに居る事は分かるが具体的な距離感は全く掴めておらず、名前は悪戯に鼻を抓まれて小さく悲鳴を上げた。
くつくつと喉を鳴らして笑う声が鼓膜を揺らす。完全に遊ばれていると逃げ道が絶たれている名前はされるがまま、大人しくしているしかない。
「爆豪」窘めるような轟の声色に機嫌の良さそうな声がぴたりと止まった。

「んだよ半分野郎」

「名前さん、困ってるだろ」

「ああ?」

「やり過ぎだ」

「てめェにとやかく言われる筋合いはねえ」

名前を挟んで突如始まった意味の解らない言い争いに、名前は目を白黒させる。「え、ちょっ」両者共に名前の声に聞く耳を持たない。全くこういうところは本当に子どもだと名前は頭を抱えた。
軈て聞こえた小爆発の音と、足元を這う冷気に、名前は慌てて立ち上がった。2人が何をしようとしているか見えずとも分かる。

「だ、駄目です!ストップ!」

片手をそれぞれ2人に向け仲裁に入った筈の名前は、指先に感じた柔らかい感覚に思わず動きを止めた。見えていない分何となくここだろうと当たりを付けて伸ばした先が2人の顔の前だったなんて想定外も良いところだった。
指先が2人の唇に当たっているとは露知らず、この柔らかい部分は首?とふにふにと何度か確かめるように緩く力を入れる彼女の手首を爆豪と轟は同時に掴んだ。言い合いはするがこういう時だけ息が合うこの2人が次にした事は正に真逆の事だった。
ガリ、と甘噛みなんて可愛いものじゃなく、歯型が残るくらいに勢いよく中指に爆豪が噛み付く。じんじんと痛みを主張するそこに気を取られている暇はなかった。
ぬるりと生暖かい舌先が名前の中指と人差し指を這う。驚いた名前が反射的に手を引こうとしても、手首をがっちりと掴んだ轟は放す気配がない。挙句リップ音を立てて指先に触れた彼の唇に、名前は頭の中が真っ白になった。しかし、そのタイミングで爆豪が思い切り歯を立て情けない悲鳴が口から洩れる。
何故こんな事に、と軽く放心状態になった名前は噛み付く爆豪にも舌を這わせる轟にも怒声の一つも浴びせられない。顔を赤くしたり青くしたりと忙しい様子の彼女は、軈てキャパオーバーを迎えたのかずるずると座り込んだ。
無抵抗なのを良い事に、その後リカバリーガールが保健室に戻ってくるまでの間髪を触られたり頬を撫でられたり腕を引っ張られたりと、将来有望なヒーロー候補たちに名前は好き勝手に弄ばれた。

18.10.07
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