「…何してんの?」

1人掛けのソファの上で、ううーんと唸りながら毛先をじっと見つめる名前を観察して早5分。元々耐え性のない彼は、これが限界だった。「髪が伸びたなあと思いまして」返ってきた言葉は、あまりにも平凡なものだった。「ふーん」と心底どうでも良さそうに適当な相槌を返して、けれど未だに自分の髪を角度を変えて見つめ続ける名前から視線は外さない。
ベルフェゴールは基本的に自分の任務のない日・時間は全て名前の為に使っている。名前の勉強がてら一緒に簡単なイタリア語の絵本を読んでみたり──以前それを偶然目撃したレヴィは顔が真っ青になっていた。「フラン!貴様のタチの悪い幻覚か?!」「うっせーよムッツリ」とヴァリアー内で小さな騒ぎとなったのは記憶に新しい──ちょっとした買い物に付き合う日もあれば、今日のように部屋で何もしない日もある。まるで雛鳥が親鳥をついて回るようにベルフェゴールは彼女との時間を大切にしていた。
どれもこれも、以前の彼ならば有り得ない事ばかりだ。本人が一番その差に苦笑を浮かべているのだから自覚は大有りらしい。
「──ベル」こちらを見つめる名前の顔は、少し困ったような、言いづらそうな、そんな顔をしていた。髪を耳元にかけるその仕草をする時は、大抵“お願い事”がある時だと彼は知っている。けれど素知らぬフリをして、「なーに?」と歯を見せて笑うのだ。

「髪を、切ってほしいです」

ちょっとでいいので…と毛先を弄る事は止めず、美容院に連れてってではなく敢えてベルフェゴールに切って欲しいとお願いをする名前は、彼の心の奥底を見事に擽る事に成功した。


Persona cara


刃と刃が交わる独特な金属音が静かな部屋に響く。一切の迷いのないそれに、背後に居るのはもしかしたら本物の美容師さんなのでは、と馬鹿な考えが思わず過った。
時折髪を整える為に入れられる櫛と指先が心地よい。
ちょっとだけ、とは言ったが、正直なところ暑くなってきたし名前としてはバッサリと肩に着かないくらい切ってもらっても構わなかった。しかしベルフェゴールは飽く迄毛先を整えるだけと言った。短い髪は嫌いなのだろうか。ショートヘアは顔が大きいと似合わないからなあと頬の肉を軽く抓むと、「何変な顔してんの」と上から笑い声が降ってくる。

不意にコンコンとドアがノックされ、返事を待つことなく豪快にドアが開かれる。
入って来たその人は、名前とベルフェゴールを視界に捉えると「まあ!」と小指を突き立てて面白そうなものを見付けたとでも言うように口角を上げた。

「ベルちゃんたら、いつの間に名前ちゃんの専属美容師になったのかしらん?」

「うっせーよオカマ」

「ルッスーリアさん?」

名前の位置からは訪問者が見えない。「動くなって」思わず振り返ろうとした小さな頭を片手で掴んでベルフェゴールは元の位置に戻す。軽口を叩いても彼の手先が止まる事はない。
サングラスの奥の瞳が微笑ましげにその光景を見守っている事に、2人が気付く様子はない。邪魔しちゃったわねえと胸中呟いて、小ぶりな缶を一つ、テーブルへと置いた。

「良い茶葉が手に入ったからお裾分け。それが終わったら2人で飲んでみて頂戴」

「わあ!ありがとうございます」

「ししっオレミルクティーな」

「残念だけどこれはハーブティーよベルちゃん」

「はあ?気の利かねーオカマだな」

大きく舌打ちを漏らした彼は、普段と何ら変わりない。けれどその動作全てが“普段”とは全く異なっているのだから第三者から見たらさぞ衝撃的な事だろう。
比較的慣れつつあるルッスーリアは専ら見守る側に回っている。冷やかすよりもそちらの方が余程面白いものが見れるからだ。振り返った彼の顔は早く出ていけと促している。長い前髪に隠れて顔半分しか目視出来ないというのに、付き合いがそれなりに長いルッスーリアは彼の些細な表情の変化を読み取るくらい訳無い。
今日はこのまま大人しく退出するのが吉だろう。「じゃあねーん」と片手を振って背を向けたルッスーリアの踏込時を弁えているところは、ベルフェゴールは嫌いではなかった。

「ん、おわり」

数センチ切っただけだと言うのに、頭が軽くなったような気がする。頭から毛の先まで指先を滑らせて、名前は頬を緩めた。ふあ、と欠伸を漏らす彼に礼の言葉も忘れない。ベルフェゴールは大きく伸びをする。ぽき、と骨が心地よい響きを奏でた。
鏡の前で毛先を弄りながら鼻歌でも歌い出しそうなくらい上機嫌の名前の肩に顎を乗せて、唐突に彼は問いかける。

「なあ、オレって名前のなに?」

きょとん、と鏡に映る名前が目を丸くする。コロコロと変わる表情の変化は見ていて飽きる事はない。さあ、彼女は何と答えてくれるのだろうか。
ルッスーリアが揶揄していたように専属の召使いか何かだと思っているのかもしれない。甘やかしている自覚はあるし、別に本人がそう思っていても彼は構わなかった。
──変な誤解をされるだろうから周りには絶対に言わないけれど。

「大切な人…ですけど」

それがどうかしたんですか?と極当たり前だとでも言うようにそう言い切った名前に、今度はベルフェゴールが目を丸くする番だった。尤も長い前髪に覆われて判別は出来ないが、ぽかんとだらしなく開けられた口元は見られている為もしかしたらバレているのかもしれない。
「あー…ほんと好き」思わずポツリと漏らしたそれを、名前が聞き逃す筈がなかった。

「え…、あ…っ」

「……なに?」

びくりと肩を大きく跳ねさせて単音を漏らす名前は驚く程挙動不審だった。「…は?」勢いよく振り返った名前の顔は、耳元から首筋まで真っ赤に染まっていた。
どういう流れでこうなったのか、ベルフェゴールは全く分かっていなかった。
「ベルから…は、じめて」唇を震わせる彼女は、ベルフェゴールを見上げて必死に言葉を紡ぐ。

「初めて、好きって言ってもらえたから」

「………」

「嬉しく、てその……わっ!」

元々そんなに距離がなかった隙間を、更に縮める。思い切り抱きしめられた名前は訳が分からず目を白黒とさせるが、軈て応えるように彼の背にそっと手を添えた。
ぽんぽん、と数回優しく叩くと彼が名前の肩口で大きく息を漏らした。

「馬鹿じゃん」

「……」

「言わねーだけだし」

「…知ってますと言う返答は、生意気でしょうか」

だって、こんなに大事にしてくれているからという言葉は彼の唇に飲み込まれてしまった。

18.05.29
ある方へ、感謝の気持ちを込めて。

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