「オレ、明日イタリアに帰るんだよね」

それは、あまりにも唐突だった。何を言われたのか分からなくて、名前は一瞬呆けた顔をする。
帰る?──イタリアに?

「それはまた…唐突ですね」

驚くわけでもなく、そう言い放った名前を横目に、ベルフェゴールは不満そうに口を尖らせた。「なに、それだけ?」と呟かれた言葉に、名前は首を傾げる。
自分は、何か気に障るようなことを言っただろうか。明らかに機嫌が悪くなったベルフェゴールを見て、どうしたものかと思考を巡らせる。

「お前さ、寂しいとか思わねーの?」

「寂しいですよ」

はっきりと言い放った名前に、今度はベルフェゴールがぽかん口を開けて固まる。でも、と名前は続ける。

「お仕事でしょう?なら、仕方のないことです。私一人の我が儘でベルを困らせるわけにはいきません」

我が儘を言って、引き止めて欲しい、困らせて欲しいと、はっきりと言った方がいいのだろうか。寂しいのなら、行かないでと言えばいい。そっちの方がお仕事頑張って下さいねと言われるより何倍も嬉しい。彼女は、自分に厳しすぎると彼は思う。

「一緒について来るっつー選択肢はねーの?」

「無理ですよ。私も仕事ありますし」

「オレより仕事取るわけ?」

「ふふっ。可愛いこと言いますね」

不機嫌な彼を見ても何のその、茶化すように笑って名前はデスクワークを続行する。期限が明日までのそれは、まだ半分ほど残っている。沈黙が暫く続く。パソコンのキーボードを打つ音が静かに室内に響き、その隣でベルフェゴールは大人しく座っている。それは拗ねているようにも、仕事を見守っているようにも見えた。からん、とグラスに入った氷が音を立てる。それを合図に、名前はぐっと伸びをして静かにパソコンを閉じた。

「終わった?」

「はい、なんとか。ホットミルクのお代わりはどうですか?」

「もう要らね」

「では、下げてしまいますね」

グラスとマグカップを持って、名前はそっと席を立つ。それらを洗いながら、名前は小さく笑みを浮かべる。このマグカップは、彼女が最近彼専用にと買ったものだ。黒猫が一匹描かれているだけのシンプルなものだが、そんなところが気に入って衝動買いをしてしまった。これを渡した当初は「こんな安っぽいもの王子が使うわけねーじゃん」と最悪割られてしまうのかと心配したが、なんとか今現在もこのマグカップは原型を留めたままちゃんと使用されている。彼はこれに関して特に何も言わないが、割らないということはそれなりに気に入っているのではないかと名前は思う。そんな黒猫も今日を以て棚に仕舞われることになる。使用者がイタリアに行ってしまうのだから当然のことだ。仕舞わずに渡してしまえばいいとも思うが、そうしないのは、彼が帰ってきた時のため、と淡い期待を抱いてしまっているからかもしれない。彼が此処に来る保障などないというのに。元々彼の気まぐれから始まったことだ。もしかしたらこれが最後かもしれない、と思ったところで、肩に重みを感じた。

「……ベル?」

「なんでそんな顔してんの?」

「…えっと、」

「つまんねーこと考えんのやめろよ」

ピタッと名前の動きが止まる。ジャーッと流れる水の音が、泡と沈黙を流していく。泡に包まれた手は、後ろから抱きしめられているため指先しか動かすことが出来ない。肩に顎を乗せたまま、彼も黙る。じっと彼は名前の言葉を待っている。視界の端に映る美しい金色。耳元に感じる彼の息遣い。それは全て、今日まで。しゅん、とあからさまに肩を落とす名前を見て呆れたようにベルフェゴールは言う。

「名前ってさ、時々すっげーネガティブになるよな。っつーより、センチ?」

「……ベル」

「なに」

「………帰って、来ますか?」

「帰って来るも何もねーよ。ここ、オレん家じゃねーし」

「そうです、よね」

語尾が次第に小さくなり、最後は聞こえたのかも分からない。ぐしゃ、とベルフェゴールは乱暴に名前の頭を撫でる。

「名前」

「……は、い」

「オレが居ない間、浮気すんなよ」

「…あの、それって」

「ししっ」

歯を見せて笑う彼につられて、名前も笑う。泡を流して水を止めるとベルフェゴールの手を取ってゆっくりと振り向いた。

「ベル、」

「ん」

行ってらっしゃい

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