「ん」

視界いっぱいに広がる赤。
ぶっきらぼうにずい、と差し出されたそれは、目を奪われるほどの輝きを持った真紅の薔薇の花束だった。よく手入れをされているそれは、一輪一輪が堂々とした佇まいで、見ていて飽きを感じさせない。
視線が早く受け取れと急かすので、名前は取り敢えずその花束を両手に抱え、首を傾げた。

「ベル?」

「…なに?」

「私の誕生日は、まだ先の筈ですが……」

困ったようにそう告げた名前の額を、指先が容赦なく弾いた。


Buon San Valentino!


脳天を貫くような痛みが一瞬駆け抜け、名前は声にならない悲鳴を上げて蹲る。それを見下ろすベルフェゴールは、はあ、と大げさな溜息を吐いてみせた。

「今日がお前の誕生日じゃねーことくらい、王子知ってるし」

「で、ではなんで薔薇を私に…」

答える代わりに、ベルフェゴールは視線を壁に掛かっているカレンダーへと向けた。それを目で追った名前は彼が言いたい事が何かに気付き、「あ、」と今日の日付と薔薇を交互に見つめた。
同時にこれが俗にいうカルチャーショックというものなのかと一人納得した。
本来ならば今日は、年齢問わず女性という女性が思い思いのプレゼントを抱え、頬を染める特別な日だ。男性は男性で、そわそわと落ち着かない日でもあるだろう。しかしそれは“日本での”文化の話である。

「イタリアは…逆でしたっけ」

今日がバレンタインだと認識してから、改めて薔薇を見ると、何だか気恥ずかしくて堪らない。
きゅ、と唇を真一文字に結んで、落ち着かない様子で視線を薔薇とベルフェゴールへと彷徨わせた名前は、彼の意図を汲み取り頬を染めた。
くつりと意地悪に喉を鳴らして、ベルフェゴールは手を伸ばして名前の髪へと触れ、梳く。癖のない艶やかなそれは、静かにベルフェゴールの手から逃げ出した。

「なに、チョコレートの方が良かったとか言うわけ?」

「い、いいえ!ただ、その、嬉しくて…どうしようと思って」

きゅ、と花束を抱える腕に思わず力を入れてしまって、薔薇が苦しいと悲鳴を上げる。それに気づいた名前が慌てて力を緩め、早く花瓶に移し替えてやらねばと部屋を見渡すが、そこでここがベルフェゴールの部屋である事、お気に入りの花瓶はなくなってしまった事を思い出し、悲しげに目を伏せた。
その表情で何となく察しがついたベルフェゴールは、名前の手からひょいと薔薇を攫って花が傷まないようにそっとソファに寝かせる。くしゃりと不器用に頭を撫で、「後で新しい花瓶、やる」とぽつりと言った。

「…はい」

「だから、そんな顔すんな」

「…はいっ」

ぐちゃとかき回すように撫でれば抗議の声が上がる。ボサボサになった髪でころころと笑う名前が、ベルフェゴールは堪らなく好きだった。
「…お返し、考えておきますね」と言った名前を、ベルフェゴールは鼻で笑って一蹴する。

「そんなモン要らねーし」

「でも、それでは私の気が収まりません」

「別に、見返りなんて求めてねーよ」

受け取らねーからな、と姿勢を崩さないベルフェゴールを前にしても、名前は「でも」と食い下がる。意外と頑固な彼女にベルフェゴールはやれやれと肩をすくめて聞き分けのない子どもに言い聞かせるように言った。

「見返りを求めない“こうい”をオレに教えたのは、他でもない名前、お前だろ」

「そう、ですが…」

「大人しく、オレに尽くされてろって」

もう一度ぐしゃりと名前の頭を撫で、彼は長い前髪で隠された瞳を薄らと細める。表裏のない感情を自分にぶつけてきたあの日の事を、彼は忘れない。
鬱陶しいと思っていた感情がこんなにも愛おしいものだなんて、ベルフェゴールは知らなかった。名前が望むのなら、何だってしてやるだろう。飼い殺しとは違う、体の中をじわじわと侵食する感情が、彼をここまで変える。外に出たいというなら、彼は躊躇わず頷く。欲しいものがあれば、何でも与えてやろう。狭い檻に閉じ込めようとは、思わない。彼女の想いが、間違いなく自分へと向けられているのを知っているから。ベル、と呼ぶその声は、甘い毒。その毒に酔い痴れながら、自分も呼んでやるのだ。離れられないように、たっぷりと毒を孕んで。

14.03.19

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -