「お前ら何やってんだぁ?」

真上から聞こえる覚えのある声。「スクアーロさん」と弱々しげな声が彼を呼んだ。「ん゙?」と彼が見下ろせば、こちらを見つめる瞳と目が合う。薄っすらと涙を浮かべるそれに、無意識に眉が吊り上がる。スクアーロは無言で名前に跨っているフランを蹴り飛ばした。
「ゲロッ」と彼から蛙の鳴き声のような声が発せられたのは気のせいではない。ぐいっと骨ばった男らしい手が名前の腕を掴み上げる。些か乱暴ではあったものの、立ち上がってよろめき掛けた名前の体をもう片方の腕が其と無く支えた。

「ゔお゙ぉい 立てるかぁ?」

「は、い」

ふわりと鼻を掠める芳醇なアルコールの香りに名前は首を傾げる。一体何処から──ふと名前はスクアーロの髪が一部しっとりと濡れているのに気がついた。ここから香りがするような気もしなくは、ない。一体如何したというのだろう。彼は酒を頭から被るような豪快な人間には見えない。自分でやったのではないのなら、第三者──“誰か”に故意にぶっ掛けられた事になる。
きらり。銀色の髪に絡まった何かが光った。

「ちょっと、失礼します」

「あ゙ぁ?」

名前は背伸びをしてそっとスクアーロの髪に触れる。その距離の近さにギョっとした彼は後退ろうとするが髪を掴まれている為動くことは出来ない。髪を引っ張らないように注意を払い、小さなそれを指で摘み取った。硬い感触のこれはガラスの破片だった。益々訳が分からないと首を傾げた名前の左肩に重みが走った。

「ミーをほったらかして何イチャイチャしてるんですかー。センパイに浮気してるって言いつけますよー」

「わ、ぁ…っ!」

名前の左肩に顎を乗せてフランはわざと耳元でそう囁いた。驚いた名前はびくりと肩を跳ねさせる。その時手にも力を入れてしまったらしく、ピリッと指先に僅かな痛みが走った。先程のガラスで切ってしまったらしい。それを目敏く見つけたフランは名前が何か言う前にその手を掴みぱくりと患部を口に含んだ。

「ふ、フランくん、何して……っ」

「見ての通り名前さんの指舐めてますー」

ガリ。歯が容赦なく小さな傷を抉った。ぞわ、と全身が粟立つ。助けを求めるように、名前はスクアーロの服をぎゅ、と握った。

「……フラン、その辺にしといてやれぇ」

理不尽な“暴力”を不憫に思ったのかスクアーロがそう声を掛けた。それから間もなく開放された指に名前は安堵の息を吐いた。その際に「チッ」という舌打ちが聞こえたのは気のせいだと思いたい。

「名前、ボスがお呼びだぁ」

安心したのも束の間、唐突にそう告げられた名前は目を丸くする。そんな彼女の耳元でフランは意地悪く囁く。

「隊長のアレ、怒りんぼのボスにやられたんですよー。名前さんも気をつけて下さいねー。隊長はああいうの悦んでるんで問題ないんですけど、実際はかなり痛いんでー」

「え…っ」

酒の入ったグラスを“ボスに”投げつけられたのだと知った名前は途端に青褪める。そんな彼女を見て、スクアーロの怒声が飛んだ。

「ゔお゙ぉい!余計なこと言うんじゃねぇ!あとオレにそんな趣味はねえぞぉ!」

「ま、そういう事なんでいってらっしゃーい」

とん、とフランが名前の肩を押す。会ったことのない彼らの上司の存在に、言い知れない不安と恐怖が込み上げてくる。しかし、ここまで来てしまった以上逃げるなんて無意味だ。ぐっと目に力を入れた名前を見て満足げにスクアーロが笑う。ぐしゃりと彼の手が名前の頭を不器用に撫でる。

「廊下を真っ直ぐ、突当たりを右に曲がって直ぐの部屋だぁ」

「分かりました。あの、スクアーロさん、これお返しします。有難う御座いました」

借りっぱなしだった黒いコートを手渡し、名前はそっとドアノブを握った。


交わる視線


緊張からか、小刻みに震える手を握り締めて、動揺を抑える為に深く息を吐く。コンコン。ノック音が静まり返った廊下に響いた。中からは何の応答もなく、物音一つしない。名前はもう一度ノックをし、返事が返ってこないことを確認にしてゆっくりとドアを開けた。
部屋に踏み込もうとした足がその体制のまま固まる。ドアノブを握り締めたまま、名前は数歩先に佇む動物に目が釘付けになった。獲物を射殺すような鋭い双眸。その真っ赤な瞳は名前を静かに見つめている。下手な真似をすれば牙を出すぞと無言の圧力を感じる。白い巨体は床に伏せたままピクリとも動かない。

「ライオン、ですよね…?」

ピクリとそれに反応するように耳が僅かに動く。思わず身構えるも襲い掛かってくる様子はない。恐る恐るではあるが名前は一歩、前に出た。後ろ手にドアを閉めると、もう一歩、足を進める。手を伸ばせば触れられる距離になった。今襲われても逃げることは出来ない。

「か、噛み付いたり、しません、よね?」

無論返事はない。名前は刺激しないようにそっと手を伸ばした。思ったより良い毛並みに笑みが漏れる。名前はその場にしゃがみ込んでふわふわと触り心地の良いそれを撫でる。ライオンと思われる動物は真紅の目を閉じて大人しくしている。

「君のご主人は一体何処に行かれたんですか」

ライオンは小さく喉を鳴らした。出来れば会いたくないというのが名前の本音だ。部下に平気で暴力を振るい凶暴なライオンを飼い慣らす男。どんな人物なのか想像もつかないが知る限りではとても温厚な人間とは考え難い。ぴくりとライオンが耳を揺らす。その直後、背後から言い知れぬ威圧感を感じた。指先すら動かせない、この緊張感は何だ。

「ベスター」

男が静かにそう告げる。その瞬間、名前の目の前に伏せっていた百獣の王は何かに吸い込まれるようにしてその姿を消した。カシャン、真上でそんな音がする。

「あ、れ……?ライオンくん?」

「──ベスターはライオンじゃねえ。ライガーだ」

見上げれば燃えるような紅い瞳と目が合う。その眼光は圧倒的な支配力を秘め、何者にも左右されない力強さを宿していた。

「いつまで座り込んでいる気だ」

「わっ!すいません…っ」

名前が慌てて立ち上がると、彼はそれに目も呉れずに横を通り過ぎどかりと椅子に座った。近づいていいのかも分からず、一歩も動かない名前と彼の距離は必要以上に遠い。しかしその距離感にどこか安心する。

「初め、まして。名字名前と申します」

「…XANXUSだ」

くあ。特に興味もないのか、大きく欠伸をしてXANXUSは足を組みかえる。その自由奔放な様に呆気に取られるが、名前は一刻も早くここから出たいと切望する。正直、彼は苦手だ。息が詰まりそうになるこの空間が苦手であり怖い。油断すれば呑み込まれてしまうような錯覚を覚えるのは気のせいだろうか。

「おい」

静かな声に何故か肩が揺れる。くい、と彼が差し招く。不安定に保たれていた距離が、崩された。覚悟を決めた名前は一歩、一歩と足を進める。
それほど時間を要さずに名前は彼の目前にたどり着いた。じっとこちらを見つめる瞳に宿る感情が読み取れない。
ギロリ。突然瞳に炎が灯されたようだった。名前を射抜くその眼光は鋭く殺意さえ感じられる。じんわりと手に汗が滲んだ。上から押さえつけられるような威圧感に足を持っていかれそうになる。でも──逃げるわけにはいかない。名前は目を逸らそうとはしなかった。逸らしてはいけないような気がした。

「面白ぇじゃねえか」

「……ッ」

クッと口元を歪めたXANXUSは椅子に寄りかかっていた体を起こす。一瞬だった。伸ばされた大きな手が名前の首を掴み上げる。グッと入れられた力に反射的に両手を締め上げている手へと伸ばし外そうとするが無駄な抵抗だった。XANXUSの手は弱まる所か益々強くなり、じわじわと酸素が遮断されていく。
苦しい、と。そんな声すら発することは出来ない。酸素を求めて開閉する口から洩れるのは声にならない音。ぼんやりと頭の奥が霞み、思考が奪われていく。このまま殺されてしまうのだろうか。薄れゆく意識の中そう思うのと、手が気まぐれに放されたのは同時だった。

「ごほっ……はっぁ…ッ」

首元を押さえ、遮断されていた酸素を思い切り吸い込む。足に力は入らず、名前は崩れ落ちるように床に座り込んだ。見下ろすXANXUSの目は愉しげに歪んでいた。
呼吸が落ち着くまで数分の時間を要した。くい、とXANXUSが名前の顎を掴み上を向かせる。涙の滲んだその顔に、支配感と優越感がこみ上げてきた。

「ベルにやるには勿体ねぇな」

くつりと、XANXUSは哂う。しかしそれはすぐに無表情へと変わった。じっとXANXUSはドアを見つめる。間もなく、ドアは遠慮のない力で大きな音を立てて開かれた。
入ってきたのはよく見知った人物だった。黒いコートに身を包み、眩いティアラを頭に乗せ、最後に会った時と変わらずに彼は笑っていた。

「ベ、ル…?」

「ししっ。何そんなところに座り込んでんの?」

あ、ボスー。報告書ここに置いとくから、と不機嫌な様子のXANXUSを気にも留めずにベルフェゴールはそう続けた。名前の目の前まで来た彼はその首元が赤くなっているのに気がつく。そっとそこに触れるとビクリと名前は肩を揺らす。それを見て何があったのか勘付いた彼は気づかれない程度に眉間に皺を寄せた。

「…ボスー。あんま名前を苛めないでくんね?苛めたくなるのはわかるけど」

「はっ。随分惚れ込んでるみてぇじゃねえか、ベル」

「ま、否定はしねーけど。いくらボスでも名前はやらねーよ?」

いらねえよ、と彼は言う。ぐっと再びXANXUSの手が名前の顎を捕らえる。間近で見た彼の瞳はやはり燃えるように紅かった。

「欲しけりゃ 奪うまでだ」

噛み付くようなキスに、今度こそ名前は意識を手放した。

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