如何したものかと名前は困りきった様子でグラスを手で回しながら思考を巡らせる。氷とグラスがぶつかり合ってからからと音を立てるが、まるで聞こえていないかのように名前はそれに無関心だ。

「あの…」

「あ゙ぁ?」

「行かないって選択肢は…」

「あるわけねえだろぉ」

予想していた返答に分かってはいたが肩を落とす。強制連行されるのも時間の問題だろう。名前に逃げるという選択肢は存在しない。そもそも、マフィア相手に一般人の、それも女一人が敵うわけがない。はぁ、と溜息を吐いて名前は林檎ジュースを飲もうとグラスを傾ける。そこで、視線に気がついた。

「…?」

忌々しげにこちらを見つめる彼。忌々しげ、というより焦れったそうに見えるのは気のせいだろうか。
──何故?
そこでもしかしたらとある事に辿り着いた名前は、グラスをテーブルに置いて恐る恐る言った。

「ジュースに何か…入れました?」

途端、驚いたように彼は目を見開く。完全に虚を衝かれたその行為に、誤魔化す時間すらなかった。対する名前も、内心酷く驚いていた。

「てめぇ…」

「…鎌をかけた、んですけど、」

本当に何か入れてたんですね、と苦笑する名前に、スクアーロは自らの失態に舌打ちをした。まさか、こんな女にしてやられるとは。目つきの鋭くなったスクアーロを見て、名前は顔を引き攣らせた。もう、逃げるしかない。無理な事は重々承知だが、やってみなければ分からない。テーブルを挟んだだけの彼との距離感が今は物凄く怖い。気付かれないよう細心の注意を払って──

「ゔお゙ぉい」

「……!」

「何処行く気だぁ?」

中途半端に浮かせた腰を上げることも座りなおすことも出来ずに、名前はその体勢のまま固まる。愉しげに口元を歪めて、微動だにしない彼からはその余裕がひしひしと伝わってくる。

「えっと…に、逃げようかなあと、思いまして」

「誰相手にしてるか、分かってんのかぁ?」

「マフィアの怖いお兄さんです」

獰猛な光を宿した目が名前を射抜く。う、と言葉を詰まらせて、名前は黙り込む。相手は剣を持っている長身の男。下手をすれば斬られる可能性だってある。何処かの部屋に逃げ込んでも、彼が持っている剣で全て無意味なものになってしまうだろう。
あれこれと思考を巡らせても、いい考えなど一向に思いつかない。そんな彼女に痺れを切らしたのか、音を立ててスクアーロが立ち上がる。それにビクリと肩を震わせて、名前も反射的に立ち上がった。彼の手に、剣はない。深呼吸を一つ。意を決して、名前は玄関目指して走った。たった数メートルの距離がとても長く感じられる。足音は聞こえず、不思議に思うも、振り向く余裕も度胸もない。あと少し、手を伸ばしドアノブに触れる──その僅か手前で、逆に引っ張られる衝撃と共にピタリと動きが止まった。伸ばした手とは逆の手が、掴まれている。誰に、なんて分かりきったことだ。そのまま力に任せて思い切り引っ張られ、ドンッと音を立てて壁に背をぶつけた。片手は掴まれたまま、もう片方の彼の手が名前の顔のすぐ横に置かれる。掴まれている手が解放を求めて左右に揺れる。しかし、グッと力を込められてしまえば、ぴくりとも動かせなくなってしまった。目の前の銀色の髪が揺れる。そっと見上げれば彼は至極愉しげに笑っていた。

「抵抗は、もう終わりかぁ?」

「……っ」

「くだらねえ鬼ごっこはもう終わりにしようぜぇ」

「…殴って気絶でもさせますか」

「それでもいいぜぇ?それがお望みならな」

顔の横に置かれた手が顎へと伸ばされてぐい、と顔を更に上げさせる。名前の動揺して揺れる瞳を愉しげに見つめ、スクアーロはくつりと笑った。

「ベルの言った通り、いい顔するじゃねえかぁ」

「生憎、今自分がどんな顔をしているのか分からないので返答の仕様がありません」

ぐっと目に力を入れてスクアーロの瞳を見返す。「ゔお゙ぉい」とスクアーロはポケットをごそごそと漁りながら言う。

「その度胸と洞察力は褒めてやるぜぇ。だがなぁ、」

きゅぽん、とコルクの抜ける音がして、小瓶の中の液体がゆらゆらと揺れる。あれは飲んではいけない。直感的に名前はそう思った。先程よりも一層、拘束から逃れようと暴れるがまったく効果がない。飲んで堪るかと唇とぎゅっと噛み締めて俯く。それくらいの抵抗でどうにかなるものでもないが、しないよりマシだ。
フローリングの床に、何かが落ちた。名前の足元にごろごろと力なく転がったそれは空になった小瓶。
中身は──?そう思うのと、再び顎を掴まれて上を向かされたのは同時だった。ゆっくりと近づいてくるスクアーロの顔。彼が何をしようとしているのか、小瓶の中身を彼が如何したのか悟ってしまった名前は冷や汗を浮かべた。逃げられない。やがて、温かくて柔らかな感覚が唇に触れた。

「……っ…!」

啄ばむように重ねられたそれは酷く優しい。それに戸惑いを浮かべるも、口を開くものかとぎゅっと結ぶ。後頭部を押さえつけられている為顔を反らせず、上手く息が出来ない。「ふ…っぅ」と苦しそうな声が漏れる。無意識のうちに、名前はスクアーロの服を握り締める。それは解放を求めて、この行為の終わりを求めて。しかし、唇は放されるどころか激しくなる一方で、スクアーロの舌が名前の口を割るのも時間の問題だった。

「…ん…ッぅ…ゃ!」

ツ、と収まりきらない唾液と薬が名前の口端から流れ落ちる。口内で好き勝手に暴れまわる舌は逃れようとする名前の舌を易々と絡め取る。呼吸の出来ない苦しさから解放されるためには、口の中に流れ込んできたそれを飲むしかなかった。
こくり。名前の喉が動いて液体を飲み込んだ。それを確認して、漸くスクアーロは名前を解放した。足は言うことを聞かず、壁に体重を預けてスクアーロの手を支えに、なんとか名前は体勢を保つ。苦しそうに息を乱す名前とは正反対に、スクアーロは涼しげにそれを見下ろしている。即効性の薬だ。そろそろ利いてくる筈だ。

「………っ!」

ぐら、と名前の視界が歪む。目に見える景色がぼんやりとして色が曖昧になり、溶けるように消える。酸欠によるものではない。
これは薬の──、

「ここまでだぁ」

それを最後に、名前の意識は途絶えた。崩れ落ちる名前の体を支えて、スクアーロはくつりと笑った。

然様なら

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