ひどく整った相貌に、飄々と何処か掴めない男に対して、驚かされた事が三つもある。
まず、回転の早い頭脳。
戦場には欠かせない先を読む能力。
人より三つ先を読んで戦場に生かす、まさに副官、軍師に相応しい頭の良さだ。
そして戦場に立って初めてわかる、外見に似合わない戦闘能力。
冷静沈着な洞察力と思考力を行使し、敵の弱点、弱み、急所を見つけて狙う。
無駄な動きが一切無い、その戦闘スタイルには感服させられる。
最後に、これが最も驚かされた事だ。
上記の驚かされた事柄がまるで嘘のように、プライベートでは全くの超ズボラだという事だ……。



三日前。
死さえ存在しない不変の時が流れるこの天界で、三日はたったの三日。
つまり、それだけ非常に短時間の感覚である。
それなのに、三日前に片した部屋の現状は非常に、悲惨だった。
足元に視線を落とせば、書物やら下界から持ち帰った変な物体で埋めつくされ、部屋の床は当然ながら見えない。
三日前にこの惨状を綺麗に片し、部屋としての機能を最大限に活かせるようにしたのにも関わらず。
また再び部屋に足を運べば、書物と変な物体の樹海を作り上げている。
何よりこの部屋に、全く似合わない綺麗な顔の男に、捲簾はフツフツと沸き上がる怒りを抑えながら問い掛けた。

「何を一体どうしたら、たったの三日でこんなに散らかせられるのか、是非ともお聞かせ願いたいモノだなぁ、天蓬」

己がいま言葉にしただけで、沸き上がる怒りが爆発しそうだった。
生憎、よくキレやすい天蓬と比べられがちだが、こちらもあまり気が長い方じゃない。気に食わない事があれば怒るし、キレる。
ただそれが明かに表情に出ないか、出るの違いなだけだ。

「いやぁ、また下界の戦記を紐とき始めたら止まらなくなっちゃいまして」

へらっと笑う、隣にいる男、天蓬の返答は予想通りだ。
この天蓬が、一度本にトリップしてしまうと最後。
本の世界に入り込めば、片付けるなんて思考には走らない。
己のしたいがままにまた新しい本を手に取り、読んではまた新しい本を読みふける。
それを繰り返せば当然、読み終えた本が勝手に元の本棚に戻ってくれる親切な機能がついていない限り、そこら中に散らかしっぱなしになる。
そして生まれるのが、この樹海。

「で、トリップしてる最中に飯は? 風呂は? てか、気絶じゃなくてちゃんとした睡眠は取ったのか?」

これら質問は、この男には愚問にしかならない。何故なら。

「だって、めんどくさいじゃないですか。食事する暇、入浴する暇、寝る暇があるなら、日々のストレスを解消させた方が、僕は有意義だと思うんですよ」

間髪入れずに出た返事は予想通り、全部NOだ。
当たって欲しくない予想に、しまいにはこめかみに青筋がいくつも出来ていく。

「……じゃあ、これだけ散らかる前に、片付けてから本を読み直す考えには至らねぇのかよ?」
「何処に何があるか把握しきっている僕に対して、その質問こそ愚問です」

部屋の汚い奴が言う、テンプレートな返答だ。
まさに、ダメ人間(天界人だが)な返答に、辟易した。
初めての出会いで大将着任の書類に、必要なハンコを乱雑に詰み上がった本の中を呑気に探し、『サインじゃあダメですよね?』なんて聞いていたのは何処のどいつだ。
思わず軽くその事について、非常に問い詰めたい心情が捲簾の身に降り懸かった。
そしてこの部屋に入ってから溜まりに溜まった、激怒と己に眠った世話焼き魂が暴れ出した。

「−−今から飯食って、さっさと風呂入って、今直ぐにちゃんとした場所で体を横にして寝やがれ!!」
「え〜…」
「え〜、じゃねぇよっ! てか、先にそのフケまみれの髪を洗ってこいっ!」
「そんなカリカリしないでくださいよ。貴方に言われたくても、ちゃんと入ってますよ、これ読み終えてから……」

言い終わる前に天蓬は既に、捲簾ではなく、手にした書物に目がいっている。
ほっておけばまたトリップする、確実に。
もうこれは予想じゃない、早くに起こる未来図だ。
直感と今まで得た経験からそう感じた捲簾は、瞬発的な早さで天蓬の持つ書物を取り上げた。

「今っ、い・ま・す・ぐ、だっ!!」
「だから、分かってますよ。入りますから、こんな至近距離で騒がないで下さい」

いい年した大人がみっともない。
最後に呆れるように言った言葉に、じゃあそんないい年した大人に言われているお前はどうなんだ。
お前だっていい年なくせに、と捲簾は喉元まで出そうになるぐらいに言ってやりたくなった。
しかし、この際それは置いておく。
こうしてこちらが何も行動を移さなければ、相手はまた同じ行動を繰り返す、絶対に、断言できる。
現に、現在も取り上げた書物とは別の書物を、拾ってはその場で腰を下ろしてトリップしかかっている現状だ。
試しに天蓬を呼んでみたが、もうほとんどが本の世界に戻ろうと、空返事になりかけている。
一度天蓬がトリップしてしまうと、読み終わるまで当分は現実に帰ってこれない。
何故その飛び抜けている集中力を、片す力に生かせないのかが非常に謎めいている。
そして、何より残念だ。

(そーかよ、そっちがその気ならこっちだって出てくるトコ出てやろうじゃねえの)

言って聞くような奴ではないなんて、己が誰よりよく分かっている。
そう、口で言ってもきかない奴には実力行使しかない。
実行力が宿った捲簾の体の動きは、驚くほど早かった。
まず、物に埋もれた最悪の足場を苦にもせず、天蓬の元に歩みこむ。
次に、吸いかけの煙草を取り上げ、部屋の中で唯一埋もれていないカエルの吸い殻に、煙草の火を押し消した。
取り上げられた煙草の苦情を聞く前に、捲簾は素早く見た目より細躯な天蓬を持ち上げ、己の肩に腹を乗せる。

「ちょっ……、いきなり何するんですか?!」

少し上方からする声は、珍しく慌てて聞こえた。
それを無視し、捲簾は天蓬が暴れ出す前に、足場の悪い地に足を進める。
そっちがその気なら、こっちだって人の話なんか聞いてやらない。
好き勝手やらせてもらおうじゃねぇの。
勿論、行き先は浴室だ。

「降ろしなさいっ、捲簾!」
「聞こえまセーン」
「こんな至近距離で、聞こえない難聴になったワケじゃないでしょう!?」
「じゃあアレだ。ワタシニホンゴ、ワカリマセーン」
「何をふざけた事を……!」

捲簾の戯れ事に腹を立て、肩に乗せられ担がれる天蓬は、ここぞとばかりに手足をばたつかせてきた。
一応本気で暴れ出したり、攻撃されないために、腿裏と細腰に手で固定しているが、ふくらはぎや両手はまだ自由に動ける。
ばたつかせるしか出来ない手足へのダメージは、鍛えている捲簾にすればまだ可愛いダメージだ。
しかし、そんな可愛いダメージでも回数を重ねて繰り返し、同じ箇所に当たれば、痛感は感じなくはない。

「痛てぇよ、さっきから」

余りにも耐え兼ねなかったので、つい苦情を口にした。

「なら、降ろして下さい。……今すぐに」

すると間髪入れずに返ってきた返事は、普段とは変わらぬ声色だが、実は相当憤慨している時の声だった。
天蓬自身の意思を無視+軽々しく担がれる屈辱感。オマケに風呂に入れられる事が、今の天蓬には堪え難いほどの苦渋で、屈辱だ。
今は体勢的に顔が見えないが、恐らく眼鏡に秘められた双眸は、静かな火が宿っているだろう。
殺意に似た激情の要因は、客観的に見たらかなりくだらない事だが、己だけにそれが向けられるだけで、ひどく心地好さすら感じてしまう。
これだからこいつは飽きないんだ。
内心くつくつと笑いを込み上げながら、本気で嫌がる天蓬に、ちょっとした悪戯心が芽生え始めた。

「却下」
「捲簾……!」
「なぁ天蓬、あーんまり暴れっと、しまいにはセクハラすんぞー」

そう口にした後に一旦足を止めて、細腰を固定していた手を下方へと滑らせる。
そして、白衣越しに伝わる双丘に手を沿えた。
無駄な肉がない双丘は、女のように柔らかくはないが、非常に良い触り心地に手が離れない。
触れた拍子に担いでいる細躯から、ビクリと震わす様子が密着している箇所から伝わって、捲簾は自然と笑みが零れた。

「今日も感度良好、てか?」
「……」

わざと下品な揶揄の言葉を選んで口すれば、無言から伝わるのはやはり怒り。もっと例えるなら嵐の前の静けさだ。
自尊心が高い天蓬にとって、捲簾の行動は怒りに拍車をかけ、さらに怒りで煮え繰り返らせる効力をもたらした事は明白。
が、そんなある意味分かりやすい天蓬の様子は、捲簾にすれば予想通り。
しかも、その様子は己に眠る加虐性を刺激して止まない。
本来なら暴れだす天蓬を抑えつけ、押し倒したい衝動が込み上げてくるが、何とか抑えこむ。
何故ならもう浴室の戸は目前。ここまで足を進めたのだから、当初の目的を達成させれたからでも悪くないと踏んだからだ。

浴室に辿り着けば、浴室のタイルに少々乱暴に降ろした後。
素早く水道の蛇口を捻り、目に入った洗面器に水を満たして、そのまま天蓬に降り返る。
勿論、服を着たままだ。
どうせ、服を洗濯するのは自分だ。
濡れた体を一切動かす気配がなく、しばらく見下ろして見れば、ようやく天蓬はズレた眼鏡をかけ直す動きを見せた。

「上司の部屋にづかづか入って、ぎゃあぎゃあ騒いで騒音妨害した上に、吸いかけの煙草を取り上げいきなり担いでセクハラをかまし、おまけに服着たまま水をかけてきた罪は……、非常に重いですよ、捲簾大将」

ようやく開かれた口は饒舌に語り出してみせる。
不気味にゆっくりと、そして分かる者には分かる、直情な天蓬の怒りを表す時の声色だ。

「じゃあそんな重い罪を犯した奴に、どう処罰なさるつもりなのかをお聞かせ願おうじゃねえの? 天蓬元帥」

怒りを更に煽らせる言い方をわざとして、捲簾はそのまま相手を見下ろした。
浴室で火花を散らした睨み合いという、中々体験できなさそうな奇妙なシチュエーションだな、と内心ぼやく。
すると、ちょっとした隙をついて天蓬は素早く動き出す。
無意識に身に降り懸かるだろう暴行に身構える捲簾だが、それは天蓬からでなく、頭上から豪快に降る水しぶきだった。

「そうですねぇ、僕と同じく水攻めの刑です」

頭からひどくずぶ濡れになった捲簾に向かって、ニコリと天蓬は笑って見せた。
言い終わった後にキュッと後ろ手に蛇口を閉め、水しぶきが止んだ。
どうやら自分は、頭上にあるシャワーから降る水をかけられたみたいだ。
まるで起きた出来事を他人事に思いながら、多く水分を含み、前髪が目にかかるのをうっとうしく思った。
それを後ろに掻きわけ視界良好にすると、さぞ滑稽な姿に見える己の状態に、クスクスと天蓬は笑いを零した。

「水に滴るイイ男、ってヤツですね」

更に笑みを深めて天蓬は言った。
まるでその姿がザマァミロと言いたげに写り、捲簾はとうとう堪忍袋の緒が切れる。
無意識に頭上にかけられたシャワーに手を伸ばした。

「そうはいきませんよっ、と」

捲簾の行動を読んでいたいた天蓬も、頭上にあるシャワーに手を伸ばし、シャワーを男二人で挟んで取り合う。
その光景は、やはりかなり大人げなく写っているだろう。

「手ぇ離せ。洗ってやるから」
「結構です。間に合ってますから」
「遠慮すんな。俺様が念入りに身体の隅々まで洗ってやる」
「御免被ります」

また天蓬は片手で蛇口に捻り、シャワー口から豪快に水が溢れ出す。
不幸な事に、シャワー口が捲簾に向けてられているまま。

「わっ、てめぇシャワー止めろって!」
「そっちこそ、シャワーを離して下さい」
「離したらまた更に水かけてくるだろうが!」
「当たり前じゃないですか、この馬鹿力さんっ」

顔面に水を受けた捲簾は、自慢の強力でシャワーを強奪しようと心みるが、やはり一筋縄ではいかない。
目の前の男も同じく軍人、捲簾ほどではないが一般人よりもはるかに力はあるからだ。
しかし、純粋な力勝負だけなら捲簾が有利。
それを自覚しているから、天蓬はあえて捲簾の顔面に向けてシャワーをかけるなどの姑息な手段を取ってきたのだ。

それから、しばらく大人気ない激闘を浴場でに繰り広げていると、ほぼ同時にくしゃみをした。
すっかり服が濡れ、冷えた身体は常春でも寒気を感じる。
それを境に熱い激情から、ひどく冷静な思考が脳を過ぎった。

「僕ら、日中に何やってるんでしょうね……」
「聞くな。めちゃくちゃ阿呆らしくなるから」

思った事を先に口にされ、ツッコミを入れた。
浴場で暴れるだけ暴れ、今は水が止められたシャワーを持ったまま、捲簾は冷たいタイルの上に身体を倒し、天蓬は捲簾の固い腹の上に乗っているのが、今の現状だ。
だから必然的に半端の長さの髪から、ポタポタと水滴が逞しい身体に落ちるのが気になって仕方がない。
気になるのは落ちてくる水滴でなく、水滴が落ちるほど濡れ、冷えているだろう、この乗っかる男の体温だ。
腹に乗った腰や股下からは、互いに接触しているため、濡れた服から僅かに温かさを感じさせる。
シャワーから手を離し、そっと片手を上げて広い頬に指先を触れた。
嫌がって片手を払われるかと思ったが、何もアクションを起こさなかったので、そのまま指先から手の平で片頬を覆った。

「冷た」

思わず短く呟いた。
それほど触れた手の平から伝わる天蓬の体温は、ひどく冷えていたからだ。

「何処かの誰かさんが、沢山水をかけて下さいましたからね」
「こっちだって何処の誰かさんのせいで、全身濡れ雑巾だ」

上からクスクスと笑う声に、こちらも笑って返した。
先程の争いも、このひどく穏やかな空気も、こうしてこの男がいるだけで、どちらも無駄な時間には思えないから不思議だ。
先程の争いは少々大人気なかったが。勿論お互いに。
そう思うと妙に愛おしげに思え、捲簾はあいている片手で細躯を逃がさないように、背中に手を遭わせる。
そのまま力任せに力を込めて、身体を倒させれば、意外にあっさりと細躯は己へと倒れ込んできた。

「−−何のマネですか?」

濡れた胸板に頬をつけて、天蓬は言った。

「冷たくなってるから温めてやろうと思って」
「それはそれは、お気遣い心痛みいりますね」

嫌みを含めた言葉のはずが、何故か優しげにも聞こえてくるから不思議だ。
存分に水分が含む服によって身体は冷えているのに、密着する箇所だけがほんのりと温かさを感じる。
冷たさと温かさが混雑した妙な感覚を感じ、伝わる他人の鼓動がひどく心地好く思える。
他人の鼓動が、しかも他人の男の鼓動が心地好く思えるなんて、かなり末期だ。

「お前さ、実は結構ドキドキしてんだろ?」

上から伝わる鼓動から、通常よりも早く鳴り響いている気がした。
だから茶化すように言うと、何事も無く穏やかな物言いで、天蓬は口を開いてきた。

「そういう貴方だって、先程よりも確実に心拍数上がってますよ」

クスリと不敵に笑う天蓬は、身体を沈めたままスルリと、心の臓の上に手を置いてきた。

「素直じゃないヤツー」
「貴方こそ、たまには素直になってみたらいかがですか?」
「俺はいつだって自分に素直だぜ?」
「なるほど。貴方は性欲には忠実ですもんね」

浴室での会話の後、しばらく身体を倒したまま、お互いに静かな沈黙が続く。
それは静かな密室に、相手の僅かな呼吸音だけが耳に入るほどに。
すっかり頭に血を昇らせ今に至っているが、思えば当初の目的をすっかり忘れていた。
部屋を散らかし、三日も睡眠を取らず、飯も食わず、風呂にも入っていないこの男をまず風呂に入れる為にここに運んできたことに。
それを思い出した捲簾は腹筋に力を入れ、天蓬ごと上身を起こす。

「てか、何こんなにのんびりしてるの。もとはと言えばてめぇを洗う為にココに来たんだよ俺は」
「そんな、人を小汚い犬や猫みたいに言って」
「事実、小汚いねぇだろうが。三日も風呂に入ってねぇんだろ?」
「まだ三日です」
「馬鹿、もう三日もだ」

価値観の違いとはこうも違うのかと、恐ろしさすら感じた一言だった。
しかし、今はそれよりもこの不潔を何とかせねばと思うより先に、天蓬が短くため息を吐いて言葉を紡いだ。

「分かりました。僕も男です。潔く貴方に洗われてあげます」

だから、脱がせて下さい。
後から続いた憎たらしい言葉、そして甘美な裏の言葉に、一瞬固まった。

「−−いいぜ」

が、すぐに再起稼動出来、口角を上げて見せる。
甘えてくる男の返事を受け入れ、捲簾は濡れた服に手をかけた。





いったいなにやってんだか。
(全く、お互いにいい年こいて)







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