−−幻覚が見える……。


「おかえりなさい、捲簾」


これが幻覚じゃなかったら、一体なんだというのだ。
あの自室に閉じこもりきりな天蓬が、わざわざ仕事から帰ってきた俺を出迎えてきた。
しかもくわえタバコは相変わらずだが、右手に包丁、左手にはお玉。
そして、いつも着ているカッターシャツに藍色のエプロンを現在装備している、このありえない目の前の同居人の姿。
もはや仕事の疲れと、帰ってきて何故か引きこもりの世話を焼く日々が続いている為、疲労困憊が原因の幻覚かもしれない。
若しくは常に日頃、同居人に対しての鬱憤を『エプロンプレイもいいな』と、下心のある妄想によって発散しようと、脳が視界を好き勝手に脚色しているに違いない。

「……、部屋、間違えました」
「そうですか。じゃあ、さよ〜なら、お元気で〜」

−−あぁ、こいつは紛れもなく同居人の天蓬だ。
ニセモノでも幻覚でも妄想でもない。
こっちの混乱した様子なんて知る気もしずに、このわざとらしい伸びた口調と、妙に腹が立つ言い方が何よりの証拠だ。

「……で、冗談やドッキリはここまでにして、お前のその格好はなんのつもりだ?」
「見て分かりません?」
「……分かんねえから、質問しているんだけど?」
「なら、こんな格好で僕が小説を書くように見えます?」

−−お前ならやってもおかしくない。
捲簾はそう口にしようとした時に、シュッと右手に持っていた包丁を華麗な動きで投げつけてきた。
ドアに見事刺さった包丁は、捲簾の頬を霞め血を垂らす。

「全く失礼な男ですね、貴方って」

……ちくしょう、この人外め。
とうとう人の心まで読めるようになりやがった。
失礼はどっちだ。
お前が寧ろ失礼を通り越して無礼だコノヤロウ。
しかも刑事に包丁を投げつけやがって、殺人未遂罪で逮捕するぞ逮捕。

見事に刺さった包丁は今だに小刻みに揺れていて、天蓬がどれだけの投力で投げつけたかが分かる。

「で、マジでエプロンなんか付けて何してたワケ?」
「だから、料理してたに決まってるじゃないですか」
「料理ぃ?……インスタントラーメンか?」
「ラーメンじゃなくてカレーです。カレーライス」

−−カレーライス。
この天蓬の口から、『カレーライス』という言葉が聞けるとは想像もつかなかった。
捲簾はこの天蓬とはそれなりの付き合いだが。

・コーヒーを沸かす。(滅多になく、ほとんど人にやらす)
・ラーメンを作る。(お湯を入れるだけのインスタント)
・洗面所に行くのが面倒なので、台所のシンクで顔を洗って、歯磨きする。(よって洗面所には歯ブラシセットが置かれている)

それらの項目以外に台所に立っている姿を見たことがない。
勿論、今の今まで料理をしている様など、一切見たことがない。
そういえば、先程から室内から玄関に美味しそうな匂いが鼻に届いている。
その天蓬が、わざわざ炊飯器で米を炊き、肉と野菜を一口サイズに切って、カレーをこしらえたなんて……、そんな、バカな……っ。
軽い目眩が襲った。

「−−お前、実は天蓬に変装した弟の八戒じゃないよな?」
「残念ながら違います。一瞬ソレも思いつきましたが、生憎八戒は最近飼いはじめたペットの世話で忙しいんですよ」
「ペットぉ?」
「ええ、一週間ぐらい前に家に伺って見せて貰いました。中々可愛らしかったですよ」
「……オイ、〆切り期限とっくに切れてるヤツが、何余裕ぶっこいて遊びに行ってやがる」
「〆切りは破ってこそ存在します。因みに、今日で〆切り破り16日目です」

その開き直った言葉に、思わず頭をガツンと打たれた衝撃が襲った。
〆切りが遅れる度に、天蓬の担当者に怒られるのは何故か捲簾だ。
天蓬本人に言っても〆切り破りは変わらないので、同居者の捲簾にいつも矛先が向けられる。
恐らく、留守番にメッセージ件数が頭が痛くなるほど、保存されているのだろう……。











「って、カレーも飯もレトルトじゃねぇかよ!!」

いつまでも玄関にいる訳にはいかないので、早速天蓬が作った(らしい)手料理を拝みに、室内に足を進めたが……。
今、叫んだ通りカレーライスは、カレーも白飯もレトルトだった。
何故分かったというと、ご丁寧にもテーブルには、正に温めたばかりといわんばかりにレトルトパックとチンするご飯が湯気が立ちながら、平らな皿とスプーンの隣に置かれているからだ。

「おや、よく分かりましたね」
「誰がどう見たって分かるわっ!」

ちくしょう。
お湯と電子レンジで温めるだけのレトルトなら、そのエプロンとおたまとさっきの包丁はなんだったんだ?
形だけ完璧に入るパターンかお前は。
ひと時でも期待した俺がバカだった。
次にヤツが台所に立つ時の項目に『レトルトカレーとチンするご飯を温める時』を忘れない事だ。

多大な期待を見事に打ち砕かれた時。
ふと、明日はゴミ収集日でもないのに、詰められたゴミ袋が置かれているのを目にする。
見たトコロ、生ゴミのようだった。

「あぁ、それはただの産業廃棄物なんで気にしないで下さい」

捲簾がそのゴミ袋に目に入った途端に、天蓬は極力ゴミ袋を避けさせようとしている。
そのさりげない動きが引っ掛かり、天蓬の制止する言葉を無視してゴミ袋を覗きこむ。
すると、中にはカレーらしき物体が入っていた。

「……なーるほど。お前も可愛いトコあるじゃん」

思わず本人を前にして口がにやけてしまう。
ようは、一度はカレーを作ってはみたが失敗して(見た感じ失敗しているように見えないけど)、急遽レトルトで済ませようとしたのではないかと仮説を立ててみる。
つまり、一度は料理しているのだ。失敗はおいといて。

「別に。作ったけど気に入らなかったので捨てただけです」
「あ、作ったコトは否定しねえんだ?」
「見え透いた嘘は、見苦しいだけですから」
「てか、お前が料理なんかしたの初めてじゃね?」
「まあ、八戒がいてくれた時は、殆どやって貰ってましたからね」
「それだ。なんで今更になってカレーなんか作ったりしたワケ?」

尋ねると天蓬は一度口を閉じ、また直ぐに返答が返ってきた。

「たんに気まぐれですよ」
「あ、そう」
「あと、……たまには、僕が作ってみてもいいかな、と思っただけです」

最後らへんからはボソリと呟くように話していたが、ちゃんと最後まで聞く事が出来た。
ふと、視線を逸らし、冷蔵庫に貼られた整った字で書かれたメモを発見する。
恐らく、弟の八戒がわざわざ書いたレシピだろう。
料理なんかした事もなく、する気も更々無く、『寧ろ作って欲しい』と要求する、この傍若無人な天蓬自らやろうとしたのだ。
そうなると、先程の天蓬の暴行と形だけ入ったエプロン姿が、何だか微笑ましくなってきた。
誰かの為になんて似合わないこの天蓬が、理由があるにしろ、わざわざこんな料理を作ろうとしたのだ。
そう思うと気を抜けば、口角が上がりそうになってしまいそうだ。

「で、頑張って俺様の為に作ってくれたのに、失敗しちゃったワケか」
「誰も貴方の為になんて、一言も言ってませんが?」
「まあ照れるなって。失敗ってアレか? 野菜を切るときに薪割をする動きで包丁を使ったり、米を洗剤で洗ったり、砂糖と塩を間違えたりという、ドジっ子キャラのお約束的コトしちゃったとかか?」
「そんな面白可笑しなコトしてませんよ。ちゃんとレシピ通りに作ったんですから」
「じゃあ、なんで失敗なワケ?」
「それは……」

また、言葉を詰まらせる天蓬。
しかし今回は言いだしにくいという訳ではなく、言葉を選んでいる様子だった。
しかし、そんな天蓬を待っていたら埒が空かないので、ゴミ袋に入っていたコトは置いといて、試しに指を突っ込みカレーを掬って口に含ませてみた。

「あ」
「−−っ!?」

間が抜けた声が何処か遠くに聞こえ、一瞬視界が暗転。
強烈な目眩、気を少しでも緩めば気を失いそうになる異常事態が、捲簾の屈強の身に突然襲いかかった。

「お、お前……、何いれたんだよコレに……っ」

咄嗟に壁伝いで倒れこまないよう身体を支え、一瞬の隙も許されない状況だった。

「ソレなんですよ。僕は確かにレシピ通りに作ったのに、何故か食べるとそうなるんです」
「うそつけ……、これが普通に作ったカレーかよ……っ!」

息絶え絶えに身体を蝕む苦しみに、倒れかかる捲簾を見ても、呑気に『不思議ですね〜』なんて言っている。
段々暗くなる視界に、捲簾の強靭的な体力をもってしても、とうとう限界を感じて片膝を床につけてしまった。
すると、心配の言葉を投げかけてくれるかと思いきや、天蓬からの無慈悲な一言が降り注がれる。

「僕も味見した時には、ちょうど今の貴方のような感じになってましたけど。大丈夫。死にはしませんよ、……多分」

多分って、おいぃぃ……!!

そしてついに捲簾は意識を手放し、体を床に伏せてしまい……。

次に目を覚ました時。
点滴を打たれ、病室のベッドで寝かされていた。
そして目の前にいた天蓬はというと、捲簾が目覚めた事に気付かず、捲簾の横で本(料理の本)にトリップしている。
姿を見て、捲簾は壮大に嘆息を吐き出したのだった。






料理なんか始めやがった。



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