雨の中、あの場所から細い腕を無理矢理引っ張り出した。
見た目から細そうだなと思っていたが、思った以上だった。
−−コイツ、こんなに細かったっけ。





帰りはほとんど傘を注さず、野郎二人で濡れ雑巾になりながら帰宅した。
玄関に入るなり、留守番させていたジープが早速羽を広げて出迎える。
口にくわえたタオルを、一目散に濡れた八戒の元に運んだ。

(……俺の分のタオルはねぇのかよ)

悟浄はちらりとジープを一瞥するが、つぶらな深紅の瞳はあからさまに悟浄から背けている。
……コイツ、飼い主に似て良い性格してやがる。
明かにこめかみに青筋を立てる悟浄の横で、予想外にもフワリと頭に何かが乗った。
それはジープが八戒に渡したタオルだった。

「すみません」
「なんでお前が謝るのよ?」
「……」

ただ申し訳なく謝罪を口にした八戒は、何も言わずに紅の髪を優しげ拭き取っていく。
ジープが若干不満そうにこちらを睨むが、そこは勝ち誇った笑みをぶつけて先程の仕返しをしてやった。
ざまぁみろー、と思った矢先にハッと我に返った。
急いでタオルを奪い返すと、八戒はきょとんした表情を見せた。

「人の心配する前に、自分の心配しろっての!」
「わっ、ちょっ、悟浄!」

すっかり水分を含んでいた焦げ茶の髪をゴシゴシと拭く。
その間にちらりと視線を下向けると、濡れたシャツから白い肌が微かに透けて見えた。
更に今度はタオル越しから顔色を伺うと、家に出る前より悪くなっている。
どう見たってテメェの方がずぶ濡れじゃねぇか。
コイツはいっつもそうだ。
人に対しては口うるさいおかんになるが、テメェの事になるとかなり無頓着になる。
思わず内心に舌打ちをうちたくなった。

「てか、こんな所に居てるヒマあんなら、先にシャワー浴びてこいって」
「え、でも……」
「どう見たってお前の方がびしょ濡れだろーが!」

長い間雨に当たっていた身体は相当冷えきっているはずだ。
ただでさえ八戒は普段から体温は低い。
更に冷たい雨に晒された身体をこのまま放置すれば、確実に風邪を引くに決まっている。
しかし、八戒は頑固にも首を横に振って聞かない。

「いいえ、悟浄から先に入って下さい。僕は後から浴びますから」
「どの口で言ってやがる。いいからお前が先に−−!?」

言い終わる前に濡れた背中を軽く押したつもりが、予想外にもくらりと八戒の身体が押された方向へと倒れていく。
ぎょっとして慌てて八戒を受け止め、間一髪身体と床に激突は免れた。

「おいっ、八戒!」

顔を再度伺えば最早目も開ける余力が無い様子で、力なくぐったりと悟浄に身体を預けていた。
眉は険しく寄せ合い、呼吸は少し乱れて僅かに震えている。
医学なんてさっぱりわからない素人でも、今の八戒の状態は異常だと分かった。
こうしてはいられないと、悟浄は速やかに八戒を横抱きにして寝室へと運びこむ。
行儀悪く蹴ってドアを開け、慌ただしく八戒の部屋に入った。



先程、知り合いの町医者に連絡したからすぐこっちに向かってくれるはずだ。
医者は、辿り着くまでに『出来るだけ八戒の身体を温めておけ。間違っても風呂になんぞ入れるなよ』と言い残し電話を切った。
そして、言われた通りに濡れた服は着替えさせ、毛布と布団を深くかけさせた。
しかし、芯まで冷えた身体はそれだけでは温まらず、ますます悪寒が駆け上がっていた。
吐息が荒く、苦しそうに眉を潜めてうめき声をあげている。

「ん、ぅぅ……っ」

八戒とは一年ちょっとの付き合いだが、ここまで八戒が苦しむ様を見たのは初めてだ。
おいおい、本当に温めるだけで大丈夫なのかよっ? と、悟浄は医者の言葉を疑いたくなった。
しかし、医者でもない悟浄に出来る事は先程言われた通りにしか出来ないのだ。
あまりの無力さを感じながら、焦燥感に一粒の冷や汗が頬に滴った。
そんな時、ふと爪が白くなるまでシーツを握りしめる八戒の手を、ジープは気遣うように擦り寄せているのが目に入った。
小さな身体が、冷たい手を覆って体温を与えているように。

(これだ……!)

悟浄はある案が浮かび、無我夢中に己の上着を脱ぎ捨てた。
つぎに、すかさず八戒のシャツのボタンを外し、前を肌蹴させた。

(ようは温めたらいいんだろ、温めれば……)

悟浄は迷いもなく、そっと仰向けた細身に素肌を重ね合わせた。
案の定、重ねた細身の体温は氷のように冷たい。
いきなりご主人様に何仕出かす気だコイツは! とジープが険しく鳴き散らしているが完全無視。
お前みたいな小さな身体だけじゃあ、この範囲的に冷えきった身体には足りねぇの。
悟浄の言う事に納得したのか、これ以上騒いでも八戒の邪魔になるだけだと思ったのか、ジープは次第に大人しくなっていく。
そしてしぶしぶといった動きで、端にある高い本棚の上に飛び出してその場に落ち着き出した。

「うっ……」
「大丈夫か、八戒?」
「−−」

気がついた八戒は、うっすらと青緑の双眸をのぞかせる。
伺うように小さく聞くと、僅かながらに八戒は顔を頷いた。

「俺が邪魔だったらどくけど?」

この質問に対して八戒は、少し早く顔を左右に揺らした。
珍しく自分の意思を伝える八戒本人の希望通り、寒気が落ち着くまで維持のようだ。
八戒から覆いかぶさる体制から、互いに向かい合わせて横向けに寝相を変えた。
この方が八戒に負担がかからずに長くいられるからだ。
こうして、医者がくるまでは野郎と裸で抱擁なんて異常な行動をし続けることになった。

(−−てゆーか、こんな衰弱するまで雨に当たるなよな)

最近見たところ余り食事も取らないまま、普段通り仕事行ってたみたいだし。
こうして間近に見ると、伏せられた目の下にくまが存在している。
恐らくロクに睡眠も取ってもいないだろう。
食事も睡眠もロクに取っていない身に、豪雨で身体を冷やし続ければぶっ倒れもする。
悟浄は思わず小さく嘆息を吐いた。

八戒と俺はただの同居人。
若しくは何処か気の合うダチ。
でも性格はどちらも正反対。
ワードスタイルなんて八戒は日が出てから学校、俺は夜から賭博。
今まで過ごしてきた生活習慣だって違う。
ある意味こうやって同居し続けているが奇跡に近い。
しかしそれでも八戒と俺が同居を始めてから、今まで問題なく過ごしてこれた。
その一番の大きな理由は『お互いに深く干渉しない』という事。
干渉や束縛を嫌う俺、深く自分の事を追求されたくない八戒。
正反対の二人だが『自分に関わって欲しくない』という唯一の共通点がある。
お互いに触れて欲しくない部分を自然に察し、深く相手の奥底に踏み入れない。
その二人の間でいつの間にか出来た『暗黙のルール』を守ってこそ、悟浄と八戒の同居生活が成り立つ。
だから今回も、同居し始めてから始めての『命日』を迎える八戒に対しても、こちらは見て見ぬフリしなければならなかったのだ。
たとえ、今日まで明らかに八戒の身が衰弱していっていても、死ぬわけではないのだから。
なのに、俺は自らの手でそのルールを破った。
大切に想っていた人の命日当日なのに、八戒は普段通りに微笑むのが堪えられなかったからだ。
だから出ていく前にあんな、自分らしくもない事ばかりが口から次々とでていった。
あの時の俺は、無性に何故か苛立っていた。
本当は精神的に追い詰めるほどの日なのに、何お前毅然としてんの?
平気じゃねぇくせに、何平然と笑っていられるんよ?
そんな行き所のない苛立ちを、次第に八戒本人にぶつけてしまった。
そして、呼び止める前に八戒は出て行った。

追い掛けようとしたのは一瞬だけ。
すぐに、何必死になって追い掛けようとしてんの?
わざわざ俺が追い掛けなくても、頭冷やすって言ってたからその内戻ってくんじゃねぇの?
そう思ったから、八戒の帰りを待った。
なのに、いつまで待っても八戒が戻ってくる様子が無かった。
窓を見て、段々と雨が振り始めているのが分かった。
奴の嫌いな雨だ。
詳しい理由は知らないが、今日の『命日』と関係があるのは何となく分かる。
そして、雨が降ると八戒は精神的に情緒不安になっているのを前々から知っていた。
隠れて狂い、不眠が続いて医者から睡眠導入剤と精神安定剤を飲んでいたのも知っていた。
次第に堕ちていく姿を知っていながらも、それでも見て見ぬフリを決め込んだ。
踏みたくても、一線を踏み越えないようにしてきたのに……。
しかし、たってもいられない自分に気付いてしまった。
一度奥底に踏み入れてしまった以上、後戻りが出来ず、勢いのまま八戒を探しに行った。
行き先は何となく頭に過ぎったあの場所。
八戒の身内が亡くなった場所であり、俺達が初めて出会ったあの場所。
−−予想は的中し、八戒はその場にいた。
無防備に雨に打たれ、頭から足まで濡れながらもただ立っていた。
一体、どれくらいの雨をこの細い身体は受け続けていたのだろうか。
何故ここまで追い詰めるまでに、少しでも奴に気にかけなかったのだ。
行き場のない様々な激情が込み上げ、無意識に傘の曲がり手をキツく握りしめていた。

(−−全く、俺らしくもねぇ)

干渉と束縛を嫌いだから、極力他人と深く関わないようにしてきたのに。
今まで一夜を過ごした女も皆、遊びと割り切ったドライな性格の女ばかりだった。
一度しか寝てないのに彼女ヅラしたり、しつこく付き纏われる女なんて論外。
過去に体験した事があるから、二度と執拗に依存してくる女とは寝ないと決めた。
そうやって快楽だけを求めながら、自分の踏み入れたくない領域を広げていく生活が続いた。
賭博場に踏み入れられると、簡単に勝ち続きで食いぶちを繋いた。
景気が悪い時は簡単な口説きで女を落とし、人肌恋しい夜を凌いだ。
この目立つ紅の髪せいで、難癖付けて喧嘩を売ってくる野郎を幾度となく締め上げた。
こんな荒れた生活を唯一血の繋がった兄貴は、本人なり気遣ってくれているみたいだが、兄貴には悪いがこの生き方は死んでも変えられそうにない……。
てか、まして変わる気も無いし。……と思っていたのによ。
−−八戒と出逢うまでは。



思いに耽っている間にいつの間にか、八戒から悪寒がおさまっていた。
鎖骨付近に当たっている吐息は熱く、浅く頻繁に呼吸を繰り返している。
熱が出てきたのか、白い頬は僅かに紅潮していた。
悟浄は八戒を起こさないようにゆっくりと上体を起こし、汗ばんだ額に手を重ねた。
先程と比べたら極端に熱い。
そういえば『温めて八戒の体温が上がってきたら、熱が出てくる』と、確か電話を切る前に医者が言っていたのを思い出した。
まだまだ油断は出来ないが、どうやら人肌効果は成功したらしい。
とりあえず第一関門はクリアーしたようだ。
悟浄は安堵の一息をつく。
あとは医者が来るまで待つかと、悟浄はベッドに出ようとした時。

「ぃぎっ!?」

突然襲った下方の髪の引っ張りにより、再びベッドに沈み返ってしまう。
見れば八戒が紅の髪の一房を、いつの間にか離さないばかりに掴んでいた。
剥がそうと心みるが、細い手は想像つかない力が込められている。
そして、苦戦を強いられている悟浄に更なる不運が襲う。
それはようやく待ちに待った医者が到着し、我が物顔で家に入り込んできたのだ。
そうとは知らずに悟浄は何とか髪を引っ張り出している時、医者は八戒の部屋のドアを開けた。

「……」
「……あ」

紫暗と紅の視線がバッチリと目が合った。
悟浄は、内心冷や汗が止まらない心理の中、何とか声だけを絞りあげた。

「お、遅かったじゃねぇか、三蔵……」
「……」

明かに声が震えて、動揺を隠しきれていなかった。
そして医者から見た視線の先は、極めて悪夢だった。
素っ裸に近い格好をしたマヌケな男が、美しく整った顔の男を押し倒しているのだから。
オマケにシャツを肌蹴させて、白い肌があらわになっている。
最早決定的過ぎる場面に出くわした医者は、金色の髪を小刻みに揺らして修羅の如く狂い怒った。

「わざわざ野郎を押し倒す趣味を見せびらかす為に、俺を呼び付けてきたのかテメェは!」
「ち、ちげぇよ! これにはちゃんとわけが……いで!」

医者の必需品の聴診器が投げつけられ、弁解する悟浄の顔面に見事命中した。

「死ねぇ! くそゲイ河童!!」
「ンだとぉ、このヤブ医者がァ!!」

悟浄に向けて怒声を上げぶつける医者と、理不尽な仕打ちに怒りを放つ悟浄。
その場で二人の口論が勃発し、熱に苛む八戒が診察されたのは15分も経過した後であった。





非常事態だったんだから仕方ねぇだろ!



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