外はもう日が沈みかけている時刻。
あらかじめ購入していた花を手に、仕事終わりに徒歩にてある場所へ向かう。
普段ならペットのジープに乗って帰宅するのだが、今日はどうしても寄りたい場所があった。

場所は彼女、……『花喃』が亡くなった場所。

日が暮れると急激に歩道にも車道にも人気も車がなく、不気味なほどに静まり返る道。
その廃びれた道に構えた横断歩道。
信号を支える柱の下には、先客とばかりに花が手向けられていた。
恐らく、兄が先にココに訪れて花を置いていったのだろう。
自分も早速とばかりに膝を折って花を手向ける。
そして、冥福の祈りを捧げた。

あれから一年が経とうとしているね。
君が、雨が降るこの場所で帰らぬ人となったのは……。



今日は珍しく悟浄が夜になっても家にいた。
珍しい事があるモノだと思い、ジープと一緒にリビングで寛いでいる時だった。

「お前さ、大丈夫なの?」
「何がです?」

主語がない質問に対して明確に聞き返すと、悟浄は眉を寄せてこちらを見つめてくる。
ただし、不自然にもそれから悟浄は何もしてこない。
強いていうなら悟浄が咥えているタバコの煙が、ゆらゆらと揺れ動くぐらいだ。
いつまで待っても悟浄からの返事が帰ってくる気配すらなかった。
あくまでも、こちらから口を開かないと一切アクションは起こさない、と言いたげに。
その様子を訝しく思いながら、仕方なく呼びかける。

「悟浄?」
「……言いたく無かったら別にいいけどよ」

やっと出て来た言葉は、酷くぶっきらぼうな声だった。
正直言いたい事があれば、はっきり言ってくれた方がこちらとしても楽なのに。

「だから、一体何がです? ちゃんと言葉にしてくれないと分かりません」
「……」

そしてまた、悟浄は黙り始めてはこちらを見つめてくる。
……一体何なんだろうか。
悟浄の言動がまるで理解出来ず、次第に小さな苛立ちが芽生え出した。
いつもならサラッと流せるはずなのに、今日は何故かそれが出来ない。
それを自覚すると、ますます苛立ちが増していく。
それでも、微笑む表情は崩さずにキープし続けている自分は大したピエロだ。
悟浄は吸いかけのタバコを灰皿で揉み消し、すっと八戒と向かい合わせのに立ちはだかる。
紅の双眸が冷たく見下ろしてくる。

「今日、命日だろ」
「……知ってたんですか」
「一応ね。最近、お前の顔色が悪いし。それで思い出した」

慣れた手つきまた新たなタバコを吸い出す悟浄。
淡々と話される言葉の一つ一つに反応して、神経が過敏になっていく。

「それに、ここしばらく飯もロクに食ってねぇだろ?」
「ちょっと、食欲が無かっただけですよ」

厳しく睨む紅の双眸に向けて、顔を見上げる。
すると突然悟浄がグイッと腕を掴み、無理矢理身体を起き上がらせられた。
隣でずっとソワソワと二人を見守っていたジープは、怯えるように短く鳴きだしている。

「男のわりには随分軽くねぇ?」
「……手、離して下さい」
「テメェの顔、鏡でちゃんと見てる? 目の色なんて死んだ魚みたいだぜ?」
「貴方には関係ないでしょう? 僕がどんな顔をしようが」
「……」
「離して下さい」

悟浄は明かに目を吊り上がり、こめかみに青筋を浮き上がらせている。
八戒はきつく掴む腕の力に屈せず、冷気を込めた言葉で返す。
紅と青緑の睨みあいが、静かな火花を散らしあっていた。
そんな時。
一触即発な空気に耐え兼ねて、ジープは激しく鳴き叫んで二人の間に飛び込んできた。

「わっ、何だ!?」
「ジープ!?」

そして、そのまま恩人である八戒の肩にジープは止まった。
二人の殺伐とした空気が少しだけ変わり、悟浄は八戒の腕を離した。

「……ワリィ」
「僕こそスミマセン。何だかつい苛立ってしまって……」

視線をそらしながらの謝罪を入れても、やはり気まずい空気までは拭えきれなかった。
八戒は心配そうに目を合わすジープを安心させるため、他意がなく微笑んだ。
そしてゆっくりとジープをソファーに下ろした。

「……ちょっと頭を冷やしてきます」
「え、おいっ、八か−−」

悟浄から背を向けながら、呼び止められる声を無視して夜道へと駆け出した。
今、この場に自分が居てはいけないような気がしたから−−。



久しぶりに疾走したその終着点は、数時間に冥福の祈りを捧げた場所。
疎らに点灯する頼りない街灯、隣の道路もめったに車は通らない。
横断歩道の端に置いた花束が、まだ微か夜風に揺れながら残っている。

「結局、僕はここしか帰るほか無いみたいですね。−−花喃」

花束を見下ろしながら、今は懐かしい人の名前を呟いた。
約一年前、『花喃』はこの横断歩道を渡る途中に暴走車に跳ねられ、……そのまま息を引き取った。
滅多に車が通らない車道なのに、よりにもよってあの日に暴走車が駆け出した。
当日の兄は『不運な事故』だと自分に言い聞かせたが、本当にそれで納得していいのだろうか。

『花喃』と僕は血の繋がった双児、姉と弟の関係だった。
しかし、それでも一人の女性として『花喃』を愛してしまった。
幼い頃に両親を無くし、僕や兄の天蓬、花喃は別々に親戚の元に引き渡され暮らしていた。
両親達が駆け落ち夫婦だったため、両者の親戚はあまり仲が良くなかった。
そのため僕を引き取った親戚は、兄姉がいる事実を教えてはくれなかった。
兄姉がいるとも知らずに育ち、『花喃』と出逢った当初も実の姉と知らなかった。
高校の時に花喃と出逢い、彼女の優しさに触れ、名に相応しい可憐な笑みにいつしか恋に落ちていた。
例え実の姉と知らされた後でも、この気持ちは変わる事はなかった。
だから、この初恋は自分の胸にしまい込もうと固く誓った。
血の繋がった弟の恋情など、本人にすれば迷惑でしかないのだから。
なのに、高校卒業後、生き別れた兄さんと『花喃』と一緒に住み始め始めて半年。
若気の至りとしか言いようがない、実の姉に想いを打ち明けてしまったのだ。
打ち明けた後の彼女の反応が恐ろしかったのを、今でも覚えている。
しかし彼女からの返事は予想外にも、気持ちを受け止めてくれた形だった。
実の弟と分かっていても……、と彼女は首を縦に降ってくれた。
嬉しさや愛おしさに半分、犯してはならない禁断の恋情に踏み入れた背徳感で半分だった。
決して許されない禁忌の枠に入ってしまっても、二人は秘密の関係を結んだ。



−−ポタリ。
一粒の水滴が頬を撫でた途端、勢いづけて雨が降り始めていく。
おそらく降り始めてから一分も経過していないのに、まるでバケツをひっくり返したような雨が降り出した。
すぐに水分を含み過ぎた髪から額へと水滴が滴り落ちて、顔が濡れていく。

(そういえば、天気予報では今夜は降るって言ってましたっけ……)

だんだん雨粒の勢いが増していき、すでに全身は水びたしだった。
次第に目を開けるのが煩わしく感じ、その場で立ち尽くしたまま目を閉じた。

(……確か、あの日もこんな雨が降っていましたね……)

一年前のこの日を思い出す。
あれは天気予報で夕方からの雨が続くと知っていたのに、運悪く傘を忘れた日だった。
同時通っていた大学の交通手段はバスだった。
帰りに最寄のバス停を降りてから徒歩なので、その間だけはどうしても雨の中に晒されてしまう。
それに気付いた花喃は、帰りに傘を持って迎えにいくと着信が入った。
初めは大したコトないと言ったが、彼女は、時々頑固な一面を見せてくれる。
一度言い出したらよほどの事がない限り、それを通そうとする。(でも彼女いわく、自分も似たところがあるとも言い変えされた)

帰りはやはり予報どおり、強い雨が降っていた。
最寄のバス停に降りた後、簡易的な屋根の下で彼女を待った。
直ぐに彼女は現れ、傘を差しながら横断歩道を駆け出す彼女の健気な姿に、顔が綻んでしまう。

しかし、それが間違いだった。
もし、彼女の優しさに甘えずに自らが向かい側の道路を渡っていれば。
この日に傘を忘れていなければ。

彼女がこの場所で、あんな、血まみれに死なせる事はなかったかもしれない……。

そもそも想いを打ち明けず、両想いなどならなければ……。
彼女は迎えに行く発想を起こさなかったかもしれない。
過ちの始まりは、自分自身だ……。



−−あれからどれくらい雨に当たっているのだろうか。
身体の芯から冷えきっていて、身体の感覚が無くなっていく。
それなのに、頭の血管はドクドクと脈打つのは妙にリアルに伝わった。
頭痛が痛い。
オマケに耳鳴りがうるさい。
もう、立ち続けるのも煩わしい。

(……このまま、あの日のように車が通りかかってくれたらいいのに)

そしたら、この場所で彼女の元に行けるだろうか……?
淡い期待を抱くよそに、背後から気配を感じた。
そして、すっと頭上に傘をさされる。

「……水に滴るなんとかのつもりか?」

今だにけたたましい雨音が鳴り響く中でも。
ザーザーと耳鳴りがうるさくても。
この馴染みになった皮肉めいた声だけは、はっきり聞き取れた。
だからわざわざ振り向かなくても、誰だか直ぐに分かる。

「……帰るぞ。文句なら後で聞いてやるから」
「……」

せっかくわざわざ迎えにきてくれたのに、この場を動きたく無かった。
もうすっかりずぶ濡れて形が乱れた花は、まるで一年前の彼女を現しているかのように見えてならないかったからだ。
この場所に『一人』でいさせたくなかった……。

いつまでも動こうとしない八戒に訝しく見る悟浄。
ふと下方へ一瞥すると、悟浄は察したかのように濡れた花束を拾い上げた。

「八戒……」

そして、紅の双眸が痛々しい己を見据えてきた。
何か、言いたそうにして。
しかしこれ以上悟浄からは、何も告げられなかった。
ただ名前を呼ばれた後、キツく腕を掴まれる。
出る前とはまるで違う、酷く優しい力で。
だが、決して離す気などないほど力を込めて。
掴まれたところだけが、火傷しそうなほど熱かった。





水に滴る、何とかです。



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